2-1 新生活

 食堂から分隊室に戻ると、シマザキ隊長は席を外していた。テーブルの上にメモ書きがあったので、それに従って部屋に待機していた。そうしたら私の推薦についての話に始まり、今のうちに互いの理解を深めようという話になって、お互いのことを聞いたり喋ったりした。

 イロハはすごい奴だった。彼は国内最高峰の魔術師学校である国立魔導学院を、主席で卒業して特務部隊に入ったらしい。新人なのに二等兵なわけだよ。

 なんでも、家が貧乏だから頑張ったのだとか。

 イロハは、汎用魔術が得意な代わりに、固有魔術である「浮遊の魔術」はあまり得意ではないようだ。汎用魔術メインというスタイルがある事も、異能にはない魔術の利点なんだと彼は言った。

 ハルはあまり自分のことは話さなかったけど、幼い頃から異能や剣術の鍛錬をしているらしいことはわかった。彼女は私と同じような理由で特務部隊に入ったらしい。少し嫌そうに「人々の助けになりたいから」と彼女は言った。

 彼女が入隊したのは二年前。私が陸上部隊に入ったのと同じ年とのことだった。私にとっては碧選軍全体で見れば同期で、特務部隊で見れば先輩だ。

 逆にイロハとは、特務部隊で見れば同期というわけだ。

 隊長が戻ってくると、場所を変え、容赦ない鬼訓練が始まった。思ってた通り、シマザキ隊長の強さは異次元だった。彼は私たちの分隊長になる前は教官だったらしく、優秀な指導でそこそこ有名みたいだ。今日は剣術の訓練だった。覚醒能力の使用は無しだったけど、転属初日とか関係なしの鬼っぷりだった。

 そして夜が更け、隊員寮。安直な木製の、机やらクローゼットやらの家具が、最低限の大きさ、種類、スペースで配置されている。目を引くのは、二段ベッドと二つの机。どうやら二人部屋のようで。

 私は二段ベッドの前で非常にこまっていた。そこには丸裸のマットレスと、疲労で気力のかけらもない状態の私。

 そういえば、ルームメイトは誰なのだろう。まだ帰ってきていないようだけど。最初はハルなのかとも思ったが、私のものでない方の個人机がやけに散らかっていたので、おそらく違う。上の段のベッドは……綺麗に整頓されている。きっと、そうしないと怒られるからだ。

 もうすぐ消灯の時間だ。今帰らないということは、日を跨いだ任務をこなしているのかもしれない。挨拶は早めにしておきたいけど、とにかく今は一人だから、まあ、ちょっとくらいは。


「ニル、少し話そうよ」


 私は自分の胸の中心に向かってそう言った。

 直後、そのあたりから白く淡い光が溢れ出した。光は徐々に大きくなって、私を包み込みそうなくらいまで広がると、やがてそれは光の粒子となって、私の周りの空間に拡散した。空中に漂っていたそれらは、二段ベッドの向かい側にある散らかった木製机についた椅子に向かって、一斉に動き出した。引かれたまま仕舞われることなく放置された簡素な椅子の上に、光の粒が集まっていく。それは少しずつ大きくなっていって、やがて人の形を成すと、視界が唐突な光源に慣れていく時のように、ゆっくりと色づいた。

 彼女は私に体を向けて、椅子の向きとは垂直に腰掛け、足を組んで背もたれに肘を置き、手の甲で頬杖をついていた。銀色の、ボブカットに纏められた髪。小柄だが、筋肉質な体格。私の姿を反射する、微かに紅い瞳。加えて、使い古した地味で安価な寝巻きに、なんだか物寂しい胸部。紛れもなく、私の姿だった。ただその表情だけは私を模しておらず、何の感情の色も見えない。空っぽで冷たい無表情だった。

 彼女は、ニル。とある理由で、六年前から私の中に宿っている。彼女は自分自身を「魂の集合体」と言った。だから本当は「彼女」であるかも怪しいけど、多分彼女で正解だろうという気がしている。

 彼女は口を開く。


「なにか用か?」


 良かった。今日も平常運転みたいだ。

 本来は体を持たない彼女だけど、私とゆっくり話す時は、こうして私の姿を真似て実体化する。確か、私の魂との相性がいいから実体化しやすいとかなんとか言っていた気がする。


「いや、ベッドメイクのお供にしようとおもって」


 私はベッドの上に畳んであったシーツを広げながら、彼女の方をチラチラと見て言った。


「他人にむかって「お供にしよう」などとは、随分な物言いだ」

「へへへ。手伝ってくれてもいいよ」

「そうしてやってもいいが、私には勝手がわからん」


 彼女は目を逸らしてそう言った。

 本当にわからないんだろうなと思った。彼女の持つ知識は、かなり偏っている。こういう日常的なものほど彼女は疎い。


「大丈夫大丈夫、私は一人でも生活していける女なんだから。それより、実は用事がないわけでもないんだよね」


 ニルが「ほう?」と言って続きを促す。

 私はベッドの準備を続けながら言った。


「探し物について、何か思い出した?」


 ニルは「いや」と言って、静かに首を振った。


「そっかあ」


 やっぱりダメか。

 この質問にイエスが帰ってきたことは今までで一度もない。急かすのは不本意なのであまり聞かないようにはしているけど、それでもやはり確認したくなる時がある。


「まあでも、これから特務部隊の任務で色んなとこ行けるし、まだまだ焦る必要はないよ」

「そうだな」


 彼女は無表情のままだが、無感情ではない。六年の付き合いから察するに、彼女は今……きっと微笑んでいる。かもしれない。

 それにしても、「焦る必要はない」とは言ってみたものの、ここまで一緒に過ごしてなんの手がかりも無いとなると、不安に似た感情が少なからず生まれてきてしまう。記憶がないというのは、きっと私には想像し難い恐怖なはず。だからなるべく早く、「探し物」についての手がかりを見つけてあげたいんだけど……。


「そういえば、今日は随分な活躍だったんじゃないか?」


 ニルが私を見て言う。さっきよりも、頬杖に角度をつけている気がする。


「活躍かあ……。そうでもないよ。無覚醒だから、そう見えるだけで」


 私は軍司令の期待に(それがどんな物かは知らないけど)応えなきゃいけない。

 そうしないと、特務部隊の資格を剥奪され、せっかく増えた人助けの機会を失ってしまう事になる。

 でも別に活躍しようとしているわけではない。私は私の生きがいために、全力になるだけだから。最低限成果を出せて、人助けができればなんの問題もない。

 だけどニルは私の発言に対して、深くため息をついた。


「お前は、自分への評価に無頓着すぎる」

「え、そう?」


 枕カバーをつけていた私は、一度手を止めてニルの方を見た。彼女は立ち上がって私の目の前まで来ると、真っ直ぐに私の目を見た。

 なんか、気恥ずかしいんですけど。


「それがお前のよいところでもあるのは確かだが、その点はお前の欠けた部分として認識すべきだ」

「それって客観的な評価で長所と短所をはっきりさせた方がいいってこと? それなら、今までも意識してたけど」


 様々な古武術を修練していた時期なんかは、そのありがたみを特に痛感したものだ。


「いや、そうじゃない」


 ニルが微かに首を横に振る。

 その時、ドアの向こうで足音が聞こえた。だんだんと近く大きくなっていくそれは、ドアの前で停止した。ルームメイトが帰ってきたのか。

 ニルを見ると、既に光の粒子になっていた。それは瞬く間に私の胸の中心に集まって、やがて消えた。

 扉から、ガチャガチャと音がしている。どうやら鍵を開けるのに手間取っているようだ。


(とにかく、頭に入れておいた方がいい)


 彼女はそう言い残した。そんなこと言われてもなあ。

 ちょうど、ベッドの準備を雑に完了させたところで、部屋の扉が開いた。

 扉を開けたその人物の方を見て、驚きのあまり口が大きく開いた。


「あ、こんにちは! あなたが新しいルームメイト?」


 その子は明度の高いロングヘアを揺らしながら、入ってきた扉を閉めつつ私を見た。

 そしてその片手には、かなり大きめな握り飯。もう一度確認しておくが、もうすぐ消灯の時間だ。

 その光景は、私にとってはあまりに業が深すぎた。

 特務部隊こわい。

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