敵が存在するのは嫌?

6-1 極致の練度

 午後二時を過ぎた頃。私はエリン国道を一人でとぼとぼ歩いていた。

 退院はしたけど、碧選軍への復帰は明日からだ。私服を着るのはいつぶりだろう。


「お店の名前、覚えてる?」

犬壱亭いぬいちていだろう。お前が忘れてどうする)

「不安になっただけだもん……」


 ルシアがおすすめしてくれたお店を、そう簡単に忘れる方がおかしい。危なかったけど。

 ルシアとは、今朝会った。お見舞いにきてくれたのだ。昨日は深夜まで任務だったみたいで、私がいない部屋を見て事態を知ったらしい。今はもう平気であることを伝えると、満足そうにしていた。寂しかったんだからね、と私に笑いかける彼女は、相変わらずの様子だった。

 病院を出る前にイロハにルシアを紹介したけど、ハルは私が起きた頃にはもう寮に戻っていた。

 ……そして、さすがと言うべきか。ルシアは私たちに事情を尋ね、ハルについての出来事を理解すると、「私が協力してあげる!」と言い放った。それからは私だけ蚊帳の外だった。件のお店はその時に教えてもらった。つまり、おすすめの店を紹介するから時間潰してきなよという意味。ルシアが言うには、最近流行りのお店らしい。


(ここだぞ)

「あ、ほんとだ」


 風情のある大きな店。の、間に挟まっている、こぢんまりとした店だった。濃い茶色に塗られた木製の扉の横に、「犬壱亭」と書かれた板が立てかけてある。思ったよりも主張が控えめなお店だったから、スルーするところだった。

 店の前に出してある小さな黒板には、「今日の日替わりカレーライス」と言う見出しとともに、メニューやセットの内容が書いてある。

 カレーライスって、確かご飯の上に茶色いスープみたいなのをかけるっていう、最近になって流行り始めた食べ物だった気がする。ルシアが言ってたのは、お店じゃなくて料理のことだったみたいだ。

 少しの好奇心を抱きつつ、ドアノブを回す。どんな味がするんだろう。


「いらっしゃい」


 ドアベルが鳴ると、店主の声がした。落ち着いたいい声だなと思った。

 厨房を囲むように直角になったカウンターに、丸椅子が十席ほど用意されている。カウンターの向こうで、コックコートのスタイルのいい女の人が食器を洗っている。

 店内は空いていて、埋まっている席は一つだけだった。私は店主の正面の席についた。


「ご注文は?」


 店主は洗い物を中断し、手を拭きながらこちらを見て言った。

 奥の壁に、メニューが書かれた木札がいくつかかけてある。


「カレーライス、中辛で」

「はいよ」


 そう言うと、彼女はグラスを用意してそこに水を入れ、私の目の前に置いた。軽く会釈をしてそれを手に取る。彼女は奥の方にある大きな鍋の面倒を見ている。


「おい、お前、」


 グラスを口に近づけた時、一つ挟んで隣の席に座っていた女性が話しかけてきた。彼女は私の肩のあたりを指さしている。


「碧選軍か?」

「……!」


 軍の関係者かと思ったが、容姿からしてそうでもないようだった。

 革色のジャケットと白シャツは胸の下くらいまでの短い丈。露出している腹と、開いている一番下のボタンから垣間見える一発アウトで許せないサイズのモノは、黒い艶のある布で覆われている。見たところ戦闘用インナーの厚いやつみたいだ。

 休暇中という感じでもない。彼女の足元には、剣が一本立てかけられている。……いや、

剣じゃないな。細くて、剃りがある。刀だ。本物は初めて見た。

 ますます彼女の正体がわからない。


「えっと……何で分かったんですか?」

「やっぱりな。雰囲気でわかんだよ。歩き方とかでな」

「そ、そうなんですね」


 言っている意味もわからなかった。


「特務部隊だな?」

「ええ、ええ、そうです」

「ふん、そうか」


 彼女の表情に自信がつのる。

 歳は店主と同じくらい。三十手前くらいか。顔立ちは整っていて、中性的だ。


「使うのは……異能か」

「あ……」


 一気に気まずくなった。ここで間違えるのか……流石に第三の可能性は浮かばなかったようだ。


「いや、私、その、無覚醒です」

「は?」


 彼女はポカンとして、私の目を見た。ちょっとむず痒いような気持ちになった。


「無覚醒ごときが特務部隊だと?」


 そう言うと、彼女の目は少し期限を損ねた。私の全身を舐め回すようにして眺めると、一つ舌打ちをして、「まあそれなりか」と呟いて、目の前にあるカレーライスに再びがっつきはじめた。チーズがかかっている。


「ちょっと。私のお客をいじめないでもらえる?」


 店主が鍋をかき混ぜながら、彼女を睨む。睨まれた彼女はスプーンを持ったまま両手をあげて、


「どーもさーせんした店主さま」


 と言った。そしてそのまま何事もなかったかのように食事を再開する。

 店主はお皿を用意しながらため息をつく。


「キャンセラーを忘れる特務部隊がいるわけないでしょ」


 確かに、そうかもしれない。そんなことをしたら怒られるどころでは済まない。想像しただけでも恐ろしくなってくる。


「許してやってね。あれは多分、あなたの実力を認めざるを得なかった反応だから」

「え、ああ……」


 今のが?


「おい。余計なことを言うな」

「私のカレーを食べながら喋るな」


 文句に対して間髪入れずに文句が飛ぶ。

 この二人、仲が悪いのかな。でも、なんだか深い関係のようにも見える。


「風の噂で聞いたよ。特務部隊に最近入った無覚醒って、あなたでしょ?」

「あ、はい、そうです」


 そう言う店主の顔は無表情だったけど、ニルとは違い、どこか温かみのある顔だった。


「最近は碧選軍も大変みたいだね。魔物が強くなってるとかで。そういえば昨日、ここの壁も壊されたんだっけ」


 流石にもう報道されているか。


「そうですね、頑張りどころみたいです」


 一般人に内部事情を話すわけにはいかないから、そう言って流した。


「私も勘弁してほしいぜ」


 刀の女性が反応した。また喋りながら話しているので、店主に睨まれている。


「最近は妙な仕事が増えてきたからな。正直言って面倒だ」


 妙な仕事。何かの請負とかだろうか。


「どんな仕事よ」

「調査の依頼だ。この後もアーベントまで行く」

「アーベント? なんの調査」

「魔物についてに決まってんだろ。詳細は現地で聞く」

「ふーん」


 店主は納得しきれない顔で頷いた。私は話について行けていない。

 それにしても、やっぱり軽い関係には見えない。常連を長く続けていると、こうなったりするのだろうか。


「あの、お仕事は何をされているんですか?」


 タイミングを測り、彼女に尋ねる。特に嫌な顔をされたりはしなかった。


「フリーの冒険者だ」

「へえ……! 冒険者ですか」


 自分の声に好奇心を隠しきれなかった。

 冒険者はいわば、魔物関連の便利屋。追跡や討伐などの他にも、さまざまな依頼を受ける民間の業者のことだ。フェオストでは碧選軍がそれらの仕事をほとんど担っているから、あまり冒険者はいない。対してアーベント帝国では人気職業ナンバーワンらしい。

 あれ? だとしたら、なんでアーベントから依頼が来るのかな。あっちには優秀な冒険者も溢れかえっているはずだから、わざわざフェオストの冒険者を雇う意味がない。


「はい、お待たせ」


 目の前にカレーライスの皿がコトリと置かれる。ツヤのある白いご飯に、野菜の入った茶色い液体。食欲がすごい勢いで溢れ出した。

 このスパイシーな感じの香り、すごいな。匂いだけでコクがわかる。

 私はついていたスプーンを手に取り、「いただきます」と言って手を合わせた。

 すくって、口に運ぶ。


「おいし……」


 旨味と辛味が舌を刺す。経験したことのないおいしさが体を駆け巡った。スプーンが止まらなくなってしまった。


「ありがと」


 声だけでも店主が喜んでいるのがわかる。辛さもちょうどいいけど、一気にかきこみすぎて舌がつらくなったので、一度お冷を手に取った。


「私はヤシロ・ヒイラギ」

「んむ?」


 頬を膨らませたまま上を向くと、店主はカウンターに手を置いて寄りかかりながら、私を見ていた。


「名前だよ。ヤシロ・ヒイラギ。贔屓にしてね」


 二回名乗らせてしまった。

 口いっぱいに入ったものを水で流し込む。


「ユリア・シュバリアスです。もうこのお店のファンです」


 ヤシロさんは照れ臭そうに笑った。その時にはっきりと、綺麗な人だなと思った。


「あんたも名乗りなさいよ。嫌なこと言って名乗らないとか、ナイでしょ」


 女性は舌打ちをして、しばらく黙り込んだ。食事はすでに終わっていたようだった。

 彼女の顔はイラつきと言うより、名乗りたくないと言う気持ちが出ているように思えた。


「私はセンだ。名字はねえ」


 その名を聞いた瞬間、私の手からスプーンがこぼれ落ち、甲高い音を立てた。

 史上最高練度の異能を持つ人物。最果てのセン。トレース・マグナの一人の名だ。

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