5-3 ありえないだろ

「それで、分隊の調子はどうなのかな? シマザキ」


 普段となんの変化もない、むしろ好印象な口調に、俺の背筋は強張った。

 目の前で立派な机越しに腰掛けているその人は、少し微笑んで俺を見上げている。

 黒の短髪に、細く妖しい目。俺より少し年下くらいに見える、美形な顔立ち。


「はい。順調に力をつけていますが、本日の任務がかなり応えているようです。傷に関して、アサカワからは「問題ない」と聞きましたが……その、」

「精神面が心配だ、と?」

「その通りです」

「ふむ」


 シラノ軍司令は、表情や顔の角度を一切変えずに、俺を真っ直ぐに見たまま続ける。


「それは、主に誰のことだい?」


 横に立っているルティーが固唾を飲む。さっきから、まるでこの軍司令室という空間に煮物の落とし蓋を乗せられたかのような雰囲気が漂っていた。

 俺はありのままを伝えられるように強く意識しながら言葉を選ぶ。


「イロハ・メローニと、ハニエル・コンテスティです。特にハニエルとは、目覚めた直後に会いましたが、かなり深刻な状態と言えるでしょう」

「やっぱりね。二人とも自身の実力不足を痛感してのことかな?」


 この、じいっと中身まで見つめられる感じ。何度経験しても慣れない。怖い。


「ええ。おそらく」


 軍司令の眉が僅かに上がる。


「それで済めばいいけどねえ」

「? どういった意味でしょうか」


 引っかかる言葉だったので聞き返すと、手のひらがこちらに向けられた。


「ごめん、適当な事を言った。まあ、その点は心配いらないさ。きっとそのうち改善されるよ」


 シラノ軍司令は頷きながら、何もない机上に視線を落とす。

 やっと視線から解放されて嬉しいが、予想よりも軽い反応に拍子抜けする。もっと色々と言われるかと思っていた。俺が間に合っていればそれで済んだから。


「申し訳ございません。俺が現場に遅れたばかりに」

「いや、あれは仕方ない。「シマザキに定期連絡をさせろ」とルティーに言ったのは僕だからね。巡回に回したのも大した問題じゃない」


 判断ミスだと後悔する俺の心の一部を見透かしたかのようだ。


「問題なのは、あのとき緊急任務を受けられる分隊が、結成して間もない彼らしかいなかったことだ。その辺はどうなんだい、ルティー」


 そう言って軍司令はルティーを見る。しかし、彼女は視線を落としていた。


「それが、ですね……」


 視線を合わせられない……らしい。ルティーは切羽詰まった表情だった。こめかみのあたりの髪が、微かに汗で濡れている。こいつのこんな顔はなかなか見られないぞ。一体どんな言いづらいことが……


「任務を受けられる分隊は、あったのです」

「な……」

「ほう」

「何を言っているんですか部隊長。そんな馬鹿なことが」

「詳しく説明してくれるかな?」


 軍司令の顔から微笑みが消える。

 俺には何かの冗談とすら思えたが、深刻さを増していくルティーの表情がそれを否定する。


「遠方に出ている分隊に転送述式を使わせれば、任務を受けさせることは可能でした。他の拠点の分隊に要請すれば、さらに選択肢は増えたでしょう。しかし、……司令班はそれをしませんでした……」

「なるほどね。申請と要請が面倒だった。もしくは境護班と連携すれば未熟の分隊でも平気だろうとタカを括った。あるいはその両方かな」

「はい、おそらくは両方かと……」


 言葉が出ない。采配云々ですらなく、気分の問題だっただと?

 そんなくだらない理由で、あいつらが危険に晒されたってのか?


「増援をしなかったのは何故だい? 壁を破壊された時点で異常事態に気づくはずだけど」

「どうやら、レンがいると勘違いしていたようです。きちんと伝達はされていたはずなのですが……。加えて、司令班の話を聞いた限りでは、壁が破壊された事を認識していたかすら疑わしいと感じました」


 エリート気取りの腐れ無能どもが……


「ごめんなさい、レン……」ルティーがその珍しい顔を俺に向けた。「これは明らかに私の監督責任よ。私がもっとしっかり……」

「やめろ」


 俺はルティーの顔から目を逸らした。彼女の言葉はそこで止まった。

 こいつは優秀だ。わかってる。それでも監督責任は事実だ。俺や司令班の連中に比べたら、ルティーの罪なんてほんの一握りだが、その一握りが、俺の中にやり場のない怒りを増幅させる。ならばせめてやり場がないままにしたい。この怒りをルティー本人にぶつけるなんてことは、俺自身が許せない。


「シマザキ。抑えろ。僕が相応の処分をするから」

「……申し訳ございません」


 ……顔に出てたか。抑えるのは決して簡単じゃないが、相応の処分をするという軍司令の言葉は、下手な慰めよりはよっぽど効果がある。


「魔物が一気に力をつけ始めたこの時世で、平和ボケは碧選軍の威信に関わる大問題だ」


 軍司令の表情に笑みが戻る。


「ルティー。今回の原因調査を正式に行ってほしい。君の言ったことが本当なら、班長を含めた司令班のメンバーを何人か免職する。場合によっては総入れ替えだ。あと、他の拠点の司令班にも調査を入れて、何か問題があれば班全体に「次はない」と伝えてくれ。僕の名前も出していいよ」

「……はい」


 容赦ない対応だ……。これを涼しい顔で、どころか少し楽しそうにさえ見える顔で言っているのが恐ろしい。


「君のいう通り、これは君自身の監督不行き届きでもある。改善についてしっかり書面に起こしてもらうよ。民間に向けた言及は僕がやる。壁の防衛能力不足に関しても、こっちからできるだけなんとかしよう。君は司令班のシステム見直しに専念してくれ」

「了解しました」


 吹っ切れたような返事。ルティーも軍司令の言葉に少しは救われた様子だった。相応の処分は、こういう奴にはよく効く。

 やはり優秀な人間は大変だ。彼女には心から同情する。


「ところでなんだけど」シラノ軍司令は俺を見る。「君の報告にあった、「ニル」という存在については、確かなんだね?」


 どうやらアレに関しては、流石の軍司令でも信じ切れないらしい。だがやっぱりどこか楽しそうだ。疑ってる感じは全くしない。


「ええ、もちろん本当です」


 俺はニルに関して、もう一度詳しく説明した。


「レン、まさか気が……」


 ルティーが驚愕したままの表情で俺に問う。

 めちゃくちゃ真面目にそういうことを言うな。さっきまでの申し訳なさそうな感じはどうしたんだ。


「残念ですが、俺の精神は正常です。イロハも一緒に会話をしている時点で充分な証明になるはずです」


 ルティーは考え込みながら細かく頷いた。納得せざるを得ないといった感じだ。

 対して軍司令は、動揺する様子もなく妙にあっさりしている。


「うん、そのようだね。それで、その時感じた外理エネルギーの量は、具体的にどれくらいなの?」


 軍司令の表情はやっぱり変わらない。

 俺はあの時の感覚を思い出す。それだけでも汗が吹き出しそうだった。


「トレース・マグナの絶対なる一ファーストに、見劣りしないレベルでした」


 軍司令が「おー」と驚嘆(?)の声をあげ、ルティーは疑いの目を俺に向けている。俺は正気だ。


絶対なる一ファーストか。君は確か、あの人を見たことがあるんだったね」

「はい、襲来の日に。後ろ姿を遠くから見ただけなので、姿はわかりませんでしたが。感じた外理エネルギーだけは確かに覚えています」


 世界最強の三人とも言われるトレース・マグナのうち、二人は素性を明かしているが、一人は謎に包まれている。それは、竜王ノルグランデ討伐に最も貢献したとも、真の世界最強とも言われている人物。正体が分からないから、絶対なる一ファーストという呼び名がいつしか定着するようになった。


「懐かしいなあ。元気かなあの人」


 軍司令が急に言い始めたその言葉に、俺とルティーは前のめりになる。


「あの人って、絶対なる一ファーストのことですか」

「お知り合いなのですか」

「え、うん。そうだよ。トレース・マグナ制度を考案するときに交渉したから」

「ああ……」「そ、そうでしたね」


 そうだった。この人はすごいのだ。作った本人が、そのメンバーに会っていないわけがない。

 シラノ軍司令は、両手のひらを軽く突き出して言う。


「ちなみに何を聞かれても答えないよ。情報は一切漏らすなってきつく言われてるからね。何をされるかわかったもんじゃない」

「ですよね」


 しかし意外と物騒な人らしいことはわかった。


「まあそれはともかく、そんなに膨大なエネルギーを持っているとなれば、ユリアが学者連中に捕まりかねない。そんな事態は碧選軍としてまっぴらごめんだから、口外禁止で」

「「了解しました」」


 そもそも一つの体に二つの魂が存在している時点で、外理エネルギー研究の糧にされそうだ。俺個人としても、そんなのはなんとしても避けたい。


「しっかしあの人と同等か。楽しみになってきたな。ユリアが早く熟してくれれば、いろんなことがうまくいくんだけどねえ」


 軍司令はやれやれと言った感じで、さらりとそう言った。


「ユリアが、ですか?」


 少し不自然な感じがして、俺は思わず聞き返した。なぜ、ユリアなのだろう。ニルのエネルギー量についての話だったはずだ。


「そうだよ。あの子は碧選軍どころか、世界を変えるかもしれない要素だ。だから推薦したんだよ」


 世界を変える……? 不思議な力を持っているとは思っていたが、そんなに言うほどか?


「さては信用してないな? なら、彼女とサシで体術勝負をしてみるといい。彼女の特異性が、少しはわかるはずだ」

「まさか、俺が負けると?」

「さあね、今はどうだかわからないけど。君は知らないみたいだから言っておくけどね、あの子はこの国に存在する全ての古武術道場に入門経験があって、その師範を全員ぶちのめしてる」

「え?」「……今なんと?」脳が理解を拒絶した。

「全ての道場に入門して、免許皆伝を済ませた上で、師を打ち倒したと言ったのさ。もちろんただ倒したじゃなくて、その流派の戦い方でまさった。そしてそれにかかった時間は全部で四年だ」


 ルティーと俺は息を呑むことしかできなかった。一体どんな成長速度ならば、そんな事が可能になると言うのだ。


「ですが、訓練中にそのような成長速度を感じることはありませんでした」

「当たり前だよ。他人が成長を感じられるような速度なら、四年じゃ無理だ」

「そんな……」


 他人が成長を感じられない速度なんてあるのか?


「どうだい? 彼女は面白そうだろう?」


 長く、剣術指南を担当していた。自分で思っているわけじゃないが、評判もいい。だが、その経験を持ってしても、軍司令の言っていることに対する感想は「ありえない」だ。

 本当に……、本当にそんな人間がいるのか?


「レン、……怯えてるの?」


 ルティーが俺に、そう言った。


 怯えてる? 俺に限ってそんなこと、ありえないだろ。

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