5-2 リブ
少し悪い空気の時間が流れた後、イロハが積極的に喋って雰囲気を和ませようとしてくれた。
私は自分のことで考え込んでいたが、彼の言葉にはとりあえずでも救われておかなければならなかった。気づけば、いつも通りの会話を交わしていた。
夜でもこの時間なら、患者や看護師とたまにすれ違う。少し肌寒くなってきた。
イロハと一緒に病院の廊下を歩いていると、向かいから白衣の男性が歩いてきた。
わりとさっぱりした黒髪に眼鏡。いかにも医者という感じだ。優しい雰囲気をまとってくれていれば完璧なのだけど、目が全然優しくない。歳はおそらくシマザキ隊長と同じくらいだろう。
彼はその鋭い目つきで私たちを捉えると、「ユリア・シュバリアスとイロハ・メローニだな」と言った。私とイロハは一瞬だけ顔を見合わせる。
「はい、そうですけ」
「困るんだよな、勝手に抜け出されると。うちの新人を困らせやがって」
彼は三本の曲線で書いた笑顔をそのままはっつけたみたいな顔をしていた。すごく怖い。正直なところ抜け出した自覚はなかったけど、彼にとってはそんなこと関係ないだろう。「うちの新人」というのは、あの看護師のことか。
「すみませんでした……」「ごめんなさい」
そう言って二人で頭を下げると、彼は「ふん」と鼻を鳴らし、白衣の裾を揺らして振り返る。
「思ったより素直じゃねえか」そしてこちらをチラリと見て言う。「病室に戻るぞ。逃げるなよ」
逃げる気も勇気もありません……。
彼は自分のペースで歩き出した。イロハと一緒についていく。
きっと、ハルは無断ではないのだろう。
「あの、あなたは……」
イロハが恐る恐る尋ねる。
その医師はイロハを見て「あ?」と言ったが、その直後に自信が名乗っていないことを思い出したかのように「あー」とこぼした。イロハが固まりかけてる。
「俺はリョウヤ・アサカワだ。中央拠点医療班の班長をしてる。あとここの院長だ」
「え! あ、」
思ったよりもビッグな人だった。イロハも意外だったのだろう。驚いた後にキョドっている。多分、敬礼するべきなのか迷っているのだと思う。何せアサカワ班長は白衣を着ているから、階級を確認しようとしてもわからない。
アサカワ班長もそれを察したようで、イロハに手のひらを見せて制止する。
「医療班に階級はねえよ」
「あれ、そうなんですか」
「ああ。立場的には常衛だが、実質的には特務部隊っていうややこしい組織だからな」
医療班に部隊の壁はほぼないと言っていい。だからいくつか例外的な扱いを受けている。新人のイロハが知らないのも無理はない。
たしか医療班は、分隊はないが、任務が発令されれば現場にも赴く部隊だったはずだ。私も陸上部隊にいた頃に何度かお世話になった。まさに今日もお世話になったのだけど。
「ところで、お前に聞きたいことがある」
アサカワ班長は私のことを目で示す。
「はいっ」
「お前、なんで倒れた」
どうやら言い方からして、私を診てくれたのはアサカワ班長らしい。それほどの異常事態、もしくは異様な事態だったということかもしれない。
班長は続ける。
「気絶したって聞いたから見てみりゃあ、外傷がねえ。一通りの検査もしたが、それらしい異常は見られなかった。血液の酸素量に多少の問題はあったが、気絶するレベルじゃねえ」
「俺もユリアに聞こうと思ってた。それ、多分あの銃のことだろ」
イロハも私に視線を合わせる。
「銃? 何の話だ」
そうか、アサカワ班長は何も知らない。でも、ここでニルのことを隠すのはきっと不可能だ。
「私専用に設計されたリボルバーのことです。名称はリブ。私の中に住んでいる、ニルという魂の力を借りて使用します。私はその銃の反動を受けて気絶しました」
案の定わけがわからないという顔をしているアサカワ班長。まず、彼にニルのことを軽く説明した。直接会わせれば話が早いが、応答がないし人目も多いから無理もない。
「……マジなんだよな」
「はい、マジです。あ、その、アサカワ班長。この話は」
「わかってる。他言無用だろ。それで?」
「ああ、はい。えっと、リブは絶大な威力と引き換えに、一発発砲するごとに大量の外理エネルギーを使用するんですが……」
またしても眉をひそめるアサカワ班長。と、イロハ。
「もちろん、私の持っている量じゃ足りません。だから、ニルのエネルギーを借りるんです」
「え、他人のエネルギーを!?」
「おいおい……」
イロハが真っ先に反応し、アサカワ班長は口元を引きつらせる。彼らからしたら、それはきっと紅茶に塩を入れるくらいには異常なことなのだと思う。
外理エネルギー、特に人間が持つものは、個人によって性質が微妙に異なる。要するに燃料が人それぞれ違うというわけだ。ニルは私の体に住んでいるけど、それでもたしかに私とは別の存在だ。他人や他の生物からエネルギーを獲得する試みは今までいくらでもあったけど、ことごとくが失敗に終わっている。そんなものは遠い過去の歴史で、それらの試みが今に残したものは、「不可能だ」という常識だけだった。
「お前は可能にしたってのか?」
「いえ、うーん……そうなんですけど、一口にそう言い切ることもできなくて」
「ほう?」
アサカワ班長は半信半疑という感じだったが、少し興味深そうにも見えた。学者的な興味だったりするかもしれない。
「それを可能にしているのは、リブに組み込まれた特殊な魔述式なんです。引き金を引いた瞬間に、ニルのエネルギーを体に無理やり流し込み、一気に消費して、弾を撃ち出す。これを一瞬のうちに処理する仕組みです。私の師が組んだものなのですが、複雑さが異次元すぎて、再現は不可能でしょう。そして、あまりに乱暴な仕組みなので、体に大きな負荷がかかるんです。具体的には、全身に呪いのような痛みが走ります。ものすごく痛いです」
アサカワ班長とイロハはしばらく沈黙する。二人とも思案顔だった。
しばらくして、イロハが班長を見て言う。
「外理エネルギーの血管のようなものがあるんでしょうか」
「そうだな、それなら少しは納得がいく。すでに提唱されている説だ。だが矛盾する点も多い」
それからまたしばらく沈黙が訪れる。会話の内容はよくわからなかったが、とにかく私の話は伝わったようだ。
聞いた話によると、外理エネルギーについてはまだ謎が多いらしい。
「そういえば、ユリアの師って誰なんだ?」
「え、ああ……」
急な話の振り方に、少し驚かされた。
その言葉を聞いて、私は申し訳なくなった。例えるなら、自分が手渡した土産の箱が空箱であると後から気づいた時のような、そんな気分。
「ごめん、あの人の事は私も全然わからなくて」
「師匠なのにか? 名前もわかんねえのか」
班長が何気ない感じでそう言う。
「はい。謎の多い人でしたし、記憶も曖昧で。最後に会ったのはかなり前なので」
考えてみれば失礼だしおかしな話ではある。だけど、師と言ってもその人に全てを教わったわけではないし、頻繁に会っていたわけでもなかった。今の私を構成するのは、独学で得たものがほとんどだ。
「そうなのか……」
イロハが斜め下を見てつぶやく。なぜか、少し残念そうな顔をしていた。
やがて広い病室の入り口についた。アサカワ班長は、他の患者の迷惑にならないよう小声で「じゃ、大人しく寝ろよな」と言い、去っていった。彼は口調こそ乱暴なイメージだけど、よく考えるとあの人がここまで来たのは、私たちを送り届けるためだったのかもしれない。いや、きっとそうだ。
イロハと私は軽く挨拶を交わし、言われた通り大人しくベッドに戻った。イロハはちょっとだけ上の空な様子だった。
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