第54話 おかえり

 ホテルをチェックアウトし、僕は響歌達の手土産を片手に高崎市行きの快速電車に乗り込んだ。 


 僕が目を覚ました時には既に仁科の姿はなく、『ありがとう』とだけ書かれたメモがローテーブルに置かれていた。 きっともう二度と会わないという意味なんだと思う。


 仁科とは電話番号もメールアドレスも交換していない。 つまり本当に一夜限りの関係。 同窓会の参加はがきを確認すればわかってしまうのだが、彼女はきっとそんなことはしないと思う。 


 今のご時世で政略結婚などと信じがたい話ではあるが、嘘にしては彼女はとても真剣だった。 彼女の最後の抵抗だったのか…… 正直僕にはわからない。 響歌を裏切ってしまった罪悪感は半端ないが、言葉では癒す事の出来ないものもあるのかもしれない。


「ん? 」


 流れる景色を見ながら思いに更けていると、響歌からメールが届いた。


 ― お土産は濃厚チョコレートケーキがいいなぁ! ―


「はいはい、わかってますよ…… っと 」


 響歌には『ラムボール』というちょっと有名なチョコ菓子。 りいさには神奈川が発祥という童話の『赤い靴』にちなんで、形も可愛い横浜の定番ミルクチョコを買った。 ばあちゃんにはお茶うけにマロンケーキだ。


 ― 昼過ぎには帰るよ ―


 そう返信してはみたものの、響歌の顔を素直に見れる自信はない。 ただ仁科を前に、響歌をより愛おしく感じた── なんて話せるはずがなく。 この件は墓場まで持っていこうと誓って目を閉じ、群馬まで少し眠る事にした。




「おかえりー! 」


 タクシーで帰った僕を、響歌とりいさが笑顔で迎えてくれた。 少しでも移動代を節約しようと、帰りの電車をグリーン席にしなかったのが悪かった。 直角に近い固い席に疲れてしまい、結局タクシー代の方が高くついてしまった。


「お疲れ様。 無理矢理送り出してゴメンね 」


 玄関にも関わらず、響歌は僕の首に腕を回してギュツと抱きしめてくる。


「ううん、思ってたより楽しかったよ。 背中を押してくれてありがとう 」


 『うんうん』と抱きついたまま首を振る彼女の髪がくすぐったい。 愛しくなってその背中に手を回すと、彼女の体がピクッと震えた。


「うん? 和くん…… フローラルっぽい匂いがする…… 」


 彼女はクンクンと僕の首に鼻を付けて嗅ぎ回る。 鋭い!? 朝方に汗を流したのがまずかったか!? いや、でも仁科の匂いを残すわけにはいかなかったから少し念入りに洗ったのだ。 決して一緒にシャワーを浴びたわけではない。


「飲まされて倒れちゃってさ…… そのままそこのホテルに泊まったんだよ 」


「えっ! 倒れたって、大丈夫なの!? 」


「うん、もう大丈夫。 それよりも話しておきたい事が…… 」


「パパだいじょうぶ? 」


 響歌を見習ってか、りいさも足にしがみついて僕を心配そうに見上げる。


「大丈夫だよ。 はいお土産、テーブルに持って行って開けてごらん 」


 袋ごとりいさに手渡して、パタパタと走っていく小さな背中を見送る。


「話? 」


「うん、前にここに押しかけてきた福山って同級生の事 」


 その話題を隠れ蓑にするつもりではなかったが、僕は仁科の事を一切伏せて同窓会で起きたことを話した。





 福山が同級生の警察に連行されたと聞いた響歌は、少し難しい顔でりいさを見つめていた。 りいさはというと、チョコレートでできた赤い靴を食い入るように眺めている。


「そっか…… その女は許せないけど、捕まって素直に喜べないね 」


 大袈裟な罪にはならないとはいえ、目の前で手錠をかけられる同級生の姿はショックだった。 そう伝えると彼女は自分の事のように考えてくれる。


「まあその後はそれなりに盛り上がったんだけど。 皆もりいさを引き取った僕達を応援してくれるって 」


「そっか! それは期待を裏切らないように頑張らないとね 」


 ニコッと微笑んだ彼女は、りいさの頭をそっと撫でる。 キョトンと彼女を見上げたりいさの口にはよだれが垂れていた。


「ハハハ…… せっかくパパが買ってきてくれたんだし、食べよっか! 」


「ええーっ! おくつがなくなっちゃう! 」


 大事そうに体を被せて赤い靴を守ろうとするりいさに『溶けてなくなっちゃうよ』とビビらせ、また買ってあげると約束して食べさせる。


「んん! 美味しいねりいさ! 」


「うん! おいひい! 」


 響歌はラムボール、りいさは四等分にしたチョコを口いっぱいに頬張って笑顔を見せる。  そうだ…… 僕はこの二人の笑顔を守りたい。 いや、守らなければならない。 改めてそう感じる。


 仁科との事は後ろめたさを感じるが、乗り気ではなかった同窓会はとても有意義だったように思える。


 響歌、ごめん…… そしてありがとう。 

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