第47話 寂しかったんだ

 その夜、僕は響歌とりいさがお風呂に入っているうちに、美優に『にゃん娘』の初版がどこに売っているか連絡を取ってみた。


 ― あれ、リメイク前の人気が出なかったボツ品なんだけど。 もう回収しちゃってて、ウチに少し在庫あるよ。 あれがいいだなんて、コアなファンがいるんだねアハハ…… ―


「そうなの? 凄い食い付き様だったから限定なのかと思ってた。 悪いけど、もう一つ送ってくれないかな? 」


 ― いいけど、あたしの事は公開しないでよ? ―


「わかってるよ、ありがとう 」


 『ビー娘』の原作者が妹だなんて知られたら、美優のみならず僕だって粘着されるかもしれない。 それは勘弁だ。


「コラりいさ! 待ちなさい! 」


 通話中に響歌とりいさがお風呂から上がってきて、居間で追いかけっこが始まる。


 ― なに? 随分賑やかじゃない ―


「ああ…… 毎日の事だから気にしな…… うわっ! 」


 りいさは素っ裸でタオルドライから逃げて来て、ベチャベチャの体で僕の背中にダイブしてきた。 響歌もバスタオル姿で追いかけ、僕ごと包み込んでりいさを確保する。


 『また連絡する』と通話を終了し、響歌と一緒にりいさをワシャワシャ拭き上げる。


「電話、美優ちゃん? 」


「うん、さっき話してたキーホルダーの事でね 」


「ふーん…… 」


 ジト目で僕を見てくる彼女はなんだか機嫌が悪い。 またりいさが余計な事を言ったのか?


「りいさ、響歌と何を話したの? 」


「ナナせんせいがパパとてをつないでたよって 」


 犯人確定。 見たそのままを言ったりいさが悪い訳ではないのだが、子供が怖いと思う瞬間だ。


「三石さん、キーホルダーが欲しくて必死なんだよ 」


「ふーん…… 」


 僕に興味を持ってるわけじゃないからね! と言うと逆効果なような気がして言うのを止めたが、彼女は白々しい目を僕に向けたまま空返事を返すだけだった。 響歌って意外にヤキモチやきなのかな……


「鼻の下伸ばしてなきゃいいけど! 」


 その一言にカチンときた。 落ち着いて話せば別に大したことはないのに、つい頭に血が上ってしまう。


「伸ばしてないよ! 浮気なんてしないよ? どうしてまた疑ってるの? 」


「なんで怒るの!? 何か気まずい事があるから怒るんでしょ!? 」


「何もないよ! ケンカ売ってきたのはそっちじゃないか! 」


 彼女の体に巻いていたバスタオルがハラリと落ちたが、今はそんな気分にはなれない。 彼女も同様らしく、胸元を押さえるだけで恥ずかしがりはしない。


「和くんは誰にでも優しすぎるんだよ! 八方美人っていうんだよそれ! 」


「誰にでも優しくなんてしてるつもりはないよ! そんなに僕が信じられないんだったら響歌が送り迎えしたらいいだろ! 」


 しまった…… 言ってから後悔するがもう遅い。 彼女が一瞬驚く顔が目に入った。


「…… わかった。 明日から送り迎えはわたしがするから 」


 言い聞かせるようにそう呟いた彼女は、お尻丸出しで風呂場へと消えていく。


「パパ、ケンカしちゃダメ 」


 泣きそうな顔で見上げたりいさに、再び頭に血が上る。


「お前のせいだろ! 」


 ビクッと跳ねたりいさは涙を堪えていたが、やがて大きな声で泣き出してしまった。 泣きたいのはこっちだよ…… とため息をついたその時だった。


  バチン


 響歌が戻ってきて、僕の頬を平手打ちしたのだ。


「子供に当たるなんて最低 」


 マジギレしているのがすぐにわかった。 彼女はりいさの手を引いて風呂場へと戻っていく。


「なんなんだよ…… 」


 ケンカするつもりなんてなかった。 怒鳴るつもりなんてなかった。 これは僕の落ち度のか? 僕一人が責められる事なのか? つい前の会社であった疎外感を思い出してしまう。


「夫婦喧嘩なんて、これからいっぱいあるよ 」


 気が付けば、ばあちゃんが熱いお茶を淹れてくれていた。


「響ちゃんだってやきもちだってわかっているよ 」


「うん…… 」


 ばあちゃんは言い争う僕達を冷静に見ていて、敢えて黙っていたのだと言う。


「二人とも最近忙しかったからねぇ。 いろんな事があって、響ちゃんも寂しかったのかもしれないよ 」


 確かに、りいさの事でいっぱいになってしまって彼女との時間は少ない。 まだ婚姻届も出していない僕達だが、夫婦仲ってこういうところから崩れていくのかなと考えさせられてしまった。


「ちゃんと話してくるよ 」


「そうだね、落ち着いて一呼吸置いてからそうしなさい 」


 ばあちゃんのアドバイスもあり、僕は淹れてもらったお茶を飲んでから彼女と向き合う事にした。


 風呂から上がった響歌は髪も乾かさず、りいさと一緒に布団にくるまって寝ていた。 部屋の電気は全て消し、暗がりで時折モゾモゾ動いている。 どちらかがまだ起きているのは間違いない。


「響歌 」


 顔まですっぼり被っている布団の脹らみがピクッと震える。 起きているのは響歌らしい。


「ごめん、怒鳴るつもりはなかったんだ。 ついカッとなっちゃって…… でも浮気なんてしてないし、それはわかってくれるよね? 」


 ごそごそと布団が動いて、響歌が目だけを出す。


「…… わたしの方こそゴメン。 ひっぱたいちゃった…… 」


 とりあえず話は出来そうだ。 彼女の枕元に座り、その頭を撫でるとエヘヘと笑顔になる。


「りいさは? 」


「ようやく眠った。 怒鳴られたのがちょっとショックだったみたいでさ、ずっと泣いてたよ 」


 チラッと布団を捲る彼女に合わせて中を覗き込むと、りいさは彼女の服をがっちり掴んで寝息を立てていた。


「…… わたし、やっぱり明日りいさを送っていこうと思う 」


「えっ…… だって…… 」


 『ううん』と彼女の髪と枕の擦れる音が切なく感じる。 目を閉じて首を振った彼女は、僕の手を握って頬に当てた。


「今までりいさの事を和くんに任せっきりだったから。 母親らしい所も見せないと、りいさだって『ママ』って呼んでくれないと思うんだ…… だから和くん、勇気をちょうだい 」


 彼女の決心は固い。 りいさにしがみつかれて動けない彼女に、僕はそっと唇を重ねる。 少し長めのキスに体勢がツラくなって離そうとすると、彼女は僕の頭を抱き寄せてディープなキスをしてきた。


「ん…… もうちょっと…… 」


 ばあちゃんの言う通り、響歌は寂しかったんだ…… 男として、夫として気を付けなきゃと思う夜だった。

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