第42話 ブッコロリー

 『軽自動車では長距離はツラいだろう』


 『燃費はいいことに越したことはない』


 と言うお義父さんに連れられて、お義父さんの知り合いの自動車ディーラーに来ていた。


「すいません、付き合って貰っちゃって 」


「なぁに。 孫娘も喜んでいることだし、車は男のロマンだからな 」


 がははと笑うお義父さん。 自分が若い頃は車を持つことがステータスだったと、子供みたいな笑顔で話す。


「パパっ! これがいい! 」


 りいさが指差したのは400万もする高級スポーツカー。 『無理だよ』と答えると、『これは? これは?』とあちこち指差しながらはしゃいでいた。


「りいさ、触っちゃダメだよ 」


「構わないよ。 良ければ試乗してみないかい? 」


 そう勧めてきたのは店長の堀内さんだ。 お義父さんの後輩らしく、車選びは彼に任せているのだそう。 勧められたのはハイブリッドのコンパクトSUVだった。


「おぉ…… 」


 試乗させて貰うと、中も広いしそこそこ高級感もある。 大きすぎず小さすぎず、少し予算オーバーだったが『内山さんの息子』割引で予算内に納めてくれるという。


「これにします! 」


 即決で決めると冬タイヤをサービスしてくれた。 購入手続きをして、納車は来週になると響歌にメールを入れると、『早く見たい!』と彼女も喜んでくれる。 


 これを機に、県外にドライブに出てもいいかもしれない…… 響歌のストレス発散になればと考えると、僕もテンションが上がっていた。




 週明け。 今日はりいさの『杜のくまさん』の初デビューの日だ。 昨日納車されたばかりの車で響歌を仕事に送り、その足でデイサービスへと向かう。 りいさはやはり乗り気ではなく、終始俯いて後部座席に乗っていた。


「おはようございます 」


 入り口をくぐると、笑顔の渡辺さんと4人の保育士さんが出迎えてくれた。 今日は他の預かりの子供達が歓迎会を開いてくれるという。


「おはよう、りいさちゃん 」


 三ツ石さんが目線を合わせて挨拶してくれるが、りいさは僕の足にすがりついたまま挨拶をしない。


「りいさ、挨拶が出来ないと大人にはなれないよ? 」


「おっ…… おはようございます! 」


 大人にならないと結婚できないと考えたのか、りいさは慌てて元気よく挨拶をする。 あまりの大声に皆は目を丸くしたが、すぐ笑顔になって『おはよう』と返していた。


「お父さん、お昼まで時間取れますか? 」


「えっ? はい、大丈夫ですが 」


「初日ということで、りいさちゃんも緊張すると思うんです。 少し離れた所で見守ってあげて下さい 」


 すぐに慣れる子もいるが、そうでない子も多いと渡辺さんは言う。 大人でも初日は緊張するのだから無理もない事だと納得した。 りいさはしばらく僕を隣に保育士さん達と会話をし、彼女達は優しい言葉でりいさの緊張を解いていく。 会話の途中で歌を交え、手拍子足拍子を加えて楽しい雰囲気を作っていく。 上手いものだ。


 程なくしてりいさは僕の手を離れ、三ツ石さんに連れられて外庭へと出て行った。 僕は職員室の応接スペースでその様子を見守る。


「あの、咲原さん 」


 渡辺さんはお盆を両手に、僕にお茶を持ってきてくれた。 だがその表情は重苦しいものだった。

 

「奥様は…… 」


 僕は響歌の話を思い出す。 保護者氏名の記入欄に書いた僕と響歌の名前に、渡辺さんが気付いたのだろう。


「ええ、聞いています 」


 響歌がこの人を許せないと言うのなら話は別だが、彼女はもうあの事を過去にしているのだから僕が蒸し返すわけにはいかない。 だが言葉短くそう答えるのが精一杯だった。 その途端、彼は深々と頭を下げてくる。


「申し訳ありません! 」


「やめてください。 僕は謝ってもらう為にここに来たんじゃありません 」


 そう言っても彼は頭を上げてくれない。 それを見ているだけでイライラしてくるが、グッと堪えて響歌の思いを伝えることにした。


「弟さんが彼女にしたことを僕は許せません…… ですが、彼女は学生時代に弟さんに救われたとも言っていました。 僕がどうこういうことではないですし、僕も彼女も頭を下げられても困るんです 」


 口調は厳しかったかもしれない。 やっと頭を上げてくれた渡辺さんは、『失礼します』と向かいのソファーに静かに腰を下ろした。


「…… 弟が取り返しのつかない事をしてしまったのは事実です。 責任を取らせると言うと語弊かもしれませんが、弟は他界していますし。 せめて私が何か力になれないかとずっと悩んでいました 」


「渡辺さん、その気持ちは妻に伝えておきます。 ですからもう頭を下げるのだけはやめてくれませんか? 」


 『はい』と軽く頭を下げた渡辺さんの頭は、失礼だが薄い。 響歌の傷も深いが、きっと渡辺さんの傷も深い。 いいかどうかはわからないが、二人はもう一度会うべきじゃないだろうかと、そう感じた。


「お子さんは責任を持って預かります。 少なくてもこの道20年のプロですから、子育てで悩まれることがあったら何でも言って下さい 」


「はい、よろしくお願いします 」




 結局りいさは初日では馴染めず、昼ご飯を食べてから今日は帰ることになった。 担任というわけではないが、しばらくの間は三ツ石さんが付きっきりで見てくれるという。


「…… パ? 」


 響歌は会うと言うだろうか…… この小さな町で、しかも僕が送り迎え出来ない日もきっとあると思う。 僕が間に入れるうちに、一度顔を会わせた方が……


「パパっ! 」


「えっ? 」


 考え事をしていて、助手席のりいさが呼んでいることに気が付かなかった。


「だいじょうぶだよ? りいさがいるもん! 」


 真剣に見つめるその顔と言葉は、一体誰を真似したのやら…… 生意気な! と心の中で思いながら、笑いかけて小さな頭を撫でる。


「そうか? ニンジン残さないで食べるれか? 」


 りいさは『うっ!』と顔を歪めながらも、コクコクと一生懸命首を縦に振る。


「パパもブッコロリーたべなきゃダメだよ! 」


 うっ…… スープに入った溶けそうなブロッコリーは勘弁してくれ。


「サラダなら食べるぞ? 」


「ほんとー? 」


 白けた目で僕を見るりいさは、何を思って『だいじょうぶだよ』と言ったのかはわからない。 でも親が心配事を抱えていると、子供にも伝染するんだなと思う。


 思っていることは相談しよう…… 響歌ともそう約束したんだから。

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