第41話 世間は狭い……

 りいさの入所届を提出したその日の夜、僕は早速そのことを響歌に話した。 『うん、うん』と相づちを打ちながら笑顔で聞いていた響歌だったが、僕には彼女が笑っていない事に気付いていた。


「…… やっぱりやめようか? 」


「えっ? なんで? 」


「何かあるんでしょ? 話してよ 」


「あはは…… やっぱり和くんにはわかっちゃうんだね…… 」


 そう言うと彼女は俯いて暗い表情を見せる。 これは只事じゃない…… そう思った僕は、向かいに座る彼女の横に移動して肩を抱いた。


「所長って渡辺さんでしょ? あのね…… 」


 そこで彼女の言葉が止まる。 彼女は僕の手を握り、意を決したようにギュッと力を込めると、その続きを話してくれた。


「…… わたしの元カレのお兄さん 」


 えっ!? という言葉を懸命に飲み込んだが、体がピクッとしたのは隠せなかった。


「じゃあ面識はあるんだ…… 」


 小さく一度頷いた彼女は、『あの人は関係ないんだけど』と付け加える。


「わたしの子供の父親、あの人の弟なんだ 」


「弟って…… 学生同士じゃなかったの? 」


 どう見ても渡辺さんは40代。 なら弟だっていくら歳が離れていたって30代だと思う。


「うん…… 教育実習で来てた先生。 31歳で大学入って、教師を目指したおじさんだったんだ。 ひいちゃうよね、やっぱり 」


 正直聞きたくはない話。 胸がモヤモヤと黒い渦を巻く…… だけど響歌は思い出したくもない話を、勇気を振り絞って話してくれている。 そのきっかけを作ってしまったのは僕なんだから、しっかりと聞いてあげなきゃならない。


「大丈夫、何を聞いても僕は傍にいるから 」


 繋いだ手を握り返すと、彼女は僕の顔をじっと見つめて、そして柔らかく微笑んだ。


「バカみたいに真面目で、今どき珍しい熱血でね…… 友達にも馬鹿にされたけど、わたしは本気だった。 あの人は渋々といった感じで付き合ったんだけど、わたしが妊娠したことを知ったらパッタリと連絡が途絶えた。 そりゃそうだよね、教師と生徒の恋は禁断だもん 」


 彼女は淡々と当時の状況を語る。 妊娠が発覚し、お義父さんも探偵を雇ってまでその実習生を探したが見つからず。 響歌が死産して実家に強制送還された後に、渡辺さんが頭を下げに来たのだという。


「結局、その人は自殺してたんだって。 渡辺さんは弟の死よりもわたしを気にかけてくれてさ…… もしかしたらわたしが彼を死に追いやっちゃったんじゃないかって考えると…… ね 」


「そんな…… 傷ついたのは響歌じゃないか! 無責任にも程があるよ! 」


 僕はその元カレに一切同情出来ない。 響歌を傷つけ、自分勝手にこの世を去り、なお周りに迷惑をかけただけの最低な奴だ。


「火種は弟で渡辺さんには非はないけど…… だから、渡辺さんにはどんな顔していいのかわからないんだ 」


「それならもっと早く言ってくれれば…… 」


 『ううん』と彼女は僕の胸に頭を擦り付けるように首を振る。


りいさ・・・の為だもん。 それに今のわたしは一人じゃない 」


 これは『杜のくまさん』に響歌を行かせる訳にはいかない。 


「ごめん、二人の為になると思ってたのは僕だけだった 」


「ううん、きっと前を見て進みなさいって事なんだよ。 和くんは悪くない! 」


 突然響歌は僕を押し倒して馬乗りになる。 


「ありがとね。 嫌な顔一つしないで聞いてくれて…… 嬉しかった 」


 抱え込むように抱きしめてくる彼女は、僕の耳元でそう囁く。


「僕の方こそ…… ツラい過去を話してくれてありがとう 」


 こんな事で僕の愛情は消えたりしない。 むしろ彼女を守りたいという想いが、もっと愛しくさせていた。




 翌日、僕は足にする車を買うことを決めた。 やはり地方では交通網が発達してなく、移動には車が便利で時間短縮にもなる。 送り迎えをすると決めたものの、僕だって仕事がある。


 とはいえ、一括で車を買えるほどの余裕はないし、就職期間半年の僕にはローンは組めない。 りいさの養育費には手をつけたくはない。 毎度お義母さんの車を借りるのも気が引けて、思いきって実家に相談してみることにした。


 ─ いいよ、そのくらい ─


 父さんのスマホを奪い取った美優の一言。 えっ…… 100万円を『そのくらい』って言ったか?


 ─ グッズの売上があるし、必要なんだから買ってあげる ─


「い、いやいや! ちゃんと返すから! 」


 ─ 結婚祝いだと思いなよ! それに車持ったらもっと帰って来やすく…… ─


 言葉の最後の方はゴニョゴニョと聞こえない。 美優ってこんなに寂しがり屋だったっけ? ってか、ウチの妹スゲー! 僕よりずっとしっかりしてる。


 ─ そのかわり! 月1で帰って来なさいよね! ─


「ぜ…… 善処します…… 」


 ブチッと切られた通話に、僕はスマホを見つめて唖然とするしかなかった。

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