第40話 デイサービス『杜のくまさん』

 僕達は週明けから、りいさを町営のデイサービス『杜のくまさん』に通わせる事にした。 まずは体験会ということで、入所案内を兼ねて僕も一緒に行く。


「べつにいきたくないもん…… 」


 お義母さんの車で中川町中心部に向かう途中、りいさはずっと下を向いて拗ねていた。 理由は一目瞭然、僕と離れたくないのだ。


「お友達、いっぱいできるかもしれないよ? 」


「いらない 」


「楽しい事いっぱいあるかもなぁ 」


「たのしくない 」


「美味しいお昼御飯食べれるかもなぁ 」


「おいしくない 」


 僕はハンドルを握りながら、後部席のりいさに聞こえないようため息を一つ。 全て否定で返すのは、拗ねた乃愛にそっくりだと思った。


 先が思いやられるな……


 入所が決まれば、週五回を響歌が送り迎えすることになる。 町役場に近いので、預り保育は彼女の出勤退社に合わせるつもりだ。 今日の体験会は午後からなので彼女はいないが、このやり取りを見ていたらまたストレスの元になるのは間違いない。 何とかしなければ……




 到着して出迎えてくれたのは所長の渡辺さんだ。


「ようこそ『杜のくまさん』へ! 所長の渡辺と申します 」


「ひっ!? 」


 満面の笑みで向かえてくれたのだが、くまさん・・・・のような体格の大きな彼に、りいさは僕の後ろに隠れてしまう。


「すいません…… 人見知りする子なもので 」


 とりあえずフォローを入れると、彼は『最初はそんなものです』と笑っていた。 いや、優顔だけどあんたが迫力ありすぎだよとは言えない。


「お名前は? 言えるかな? 」


 屈んで覗き込む渡辺さんに、りいさは僕の足にしがみついて震えている。 代わりに僕が答えようとすると、彼は小さく手を上げて制止してきた。 なるほど…… 自分で言わせて会話のきっかけを作るつもりなんだ。


「りいさ、ちゃんと言わないと…… 」


「お父さん、それはよくない 」


 えっ…… 助け船を出したつもりが、優しい笑顔で否定されてしまった。


「子供には『ちゃんと』は通用しません。 自己紹介する常識を知らないのですから 」


「はぁ…… 」


 言われて見ればそうかも。


言わせる・・・・のではなく、言えるように・・・・・・が大事だと私は考えています。 子供社会も難しいものです 」


 にこやかに言う渡辺さんは40台前半の歳に見えるが、しっかりしていて印象はとてもいい。 さすがプロと言うべきか。


「お名前は? 」


「…… 」


 それでもりいさは口をつぐんだまま。 裾を握る手には力が入っていて、なかなか踏み出せない様子だ。


「りいさ、名前を言うのは悪い事じゃないんだよ? 」


「…… ママがかんたんにいっちゃダメっていってたもん…… 」


 愕然とする一言だった。 知らない人に名前を教えてはならないという意味なのだろうが…… 乃愛が娘を守る為にそう教えたんだろう。


「ふむ…… お父さん、お名前は? 」


 渡辺さんが立ち上がって僕に向き直り、にこやかに笑った。 なるほど…… そっとりいさの頭に手を添えて、見本を見せてやる。


「咲原和樹です。 こんにちは 」


「はい、こんにちは! 」


 僕と彼の視線が向くと、りいさは僕と彼を見比べて裾をギュッと握る。


「す…… すずきりいさです! 」


「りいさ、『さくはら』だよ 」


 しまった! と声には出さなかったが、りいさはあたふたと動揺して僕に助けを求めて来る。


「ハハ…… 少し事情がおありのようですね 」


「ええ…… 」


 渡辺さんは穏やかな笑顔で僕達を職員室へと案内してくれた。 廊下を進む際、両サイドの大部屋を見ると十数人の子供達が元気に走り回っている。


 りいさはあの輪の中にうまく入っていけるだろうか…… これが親心なのかと少し笑ってしまった。


「どうぞこちらに 」


 職員室の角にある応接席に通され、保育士さんがお茶を持ってきてくれた。


「保育士の三ツ石です。 よろしくお願いします 」


 三ツ石さんは絵に書いたような三つ編みメガネっ娘で、エプロン姿は実習中の高校生にしか見えない。


「咲原です。 よろしくお願いします 」


 笑顔で挨拶をすると、少し頬を赤らめるのが印象的だった。


「お名前はなにちゃんかな? 」


「…… 」


 やはりりいさは名前を言おうとはしない。 それでも三ツ石さんはニコッとりいさに笑顔を向けて、渡辺さんが腰かけるソファーの横に秘書のように立った。


「それではまず、このパンフレットを…… 」


 渡辺さんは先ほどの暖かいイメージとは違って、淡々と入所案内を進める。 決して冷たい訳ではなく、保護者相手には必要ないということだろう。 彼らだってボランティアじゃないのだから、真剣に仕事をする姿勢は好印象だ。


 書類にサインをしながらりいさを見ると、職員室の大窓から見える外庭で遊ぶ子供に釘付けになっていた。


「りいさちゃん、お外散歩してこよう! 」


 三ツ石さんもりいさの様子が気になっていたらしく、笑顔で手を差し伸べてくれた。 戸惑うりいさに『行っておいで』と微笑むと、りいさはおっかなびっくり手を繋いで職員室を出ていく。


「さて、お子さんの事について少しお聞きしてもよろしいでしょうか? 」


 渡辺さんはこのタイミングを計っていたらしい。 僕はつい最近、りいさを養子に迎えた経緯について簡潔に彼に話した。


「なるほど…… 立ち入った事までは出来ませんが、我々も出来る限りサポートします 」


「ありがとうございます。 妻とも話していたんですが、子供とどう向き合えばいいのか正直よくわからなくて 」


「我々も保育を仕事としていますが、育て方は一つではありません。 我々と協力してりいさちゃんを育てていきませんか? 」


 この人は信じていいと思う…… りいさをビジネスの材料に言わないのが好感を持てた。 話をしている最中、三ツ石さんと外庭を散歩していたりいさは笑顔を見せていた。


 響歌と三ツ石さんと、何が違うんだろう…… 三ツ石さんはプロなのだからと思いつつ、何かヒントを得られないかと渡辺さんの話を聞きながら観察を続けた。

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