第5話 触れてはならない過去

 彼女は飯島 愛理いいじま あいりさん。 響歌ちゃんの高校時代の仲の良かった同級生なんだそう。 懐かしい声が聞こえたから覗いてみたと、一緒に来た友達を放って僕達の個室に入ってきた。


「高校卒業以来じゃん! …… 彼氏? 」


「違うよ! 元凄腕プログラマー。 今はわたしの片腕かな 」


「なにそれわかんないですけど! 」


 久々の再会らしく、僕をそっちのけで話が盛り上がる。 響ちゃん…… 凄腕プログラマーじゃないから残業してたんだし、片腕になった覚えもないよ?


「アンタ変わったねえ。 昔はあんなにツンツンしてたのに 」


「いや…… まあ、そんな時期もあったね 」


 響歌ちゃんは苦笑い。 飯島さんの様子にどことなくハラハラしているようにも見えた。


「ツンツン? 響歌ちゃんが? 」


 そう言うと、飯島さんは突然目を光らせて僕に食い付いてきた。 僕が彼女を名前で呼んだのが、飯島さんを焚き付けたらしい。


「聞いて咲原さん! 響歌って『狂犬』って言われるほどヤンキーだったんだよ! 」


「ちょっ! やめて愛理! 」


 突然の暴露話に響歌ちゃんは声を荒げた。 悲痛とも取れる叫びは、両隣の個室の会話をも止めてしまう。


「なによ…… アンタの為に言ってるんでしょ? 」


「いらないわそんなお節介。 迷惑よ 」


 お酒が入っているせいか、二人は一気に険悪な雰囲気になった。 睨み合い、お互い一歩も引く様子がない。


「彼といい関係になりたいんでしょう!? 後で『こうでした』って言ったって遅いのよ? 」


「過去なんて関係ないでしょ! 誰にだって暗い過去くらいあるんだから! 」


 『そうだよ』と言ってやれば良かったのかもしれない。 でも彼女達に気圧されて、僕はただ黙って見つめることしか出来なかった。


「…… 泣いたって知らないからね 」


 飯島さんはそう吐き捨てて、僕を一瞥して個室を出て行った。 残された僕達の間には沈黙が流れる。 情けないことに、俯いて口を固く閉じた彼女にかける言葉が見つからない。 ふと目線が合った彼女は、バツが悪そうに苦笑いになった。


「…… なんか冷めちゃったね。 出よっか 」


 ジョッキの半分を残したまま、彼女は伝票を持って靴を履く。 その伝票を、彼女の後ろから抜き取るように奪った。


「僕のお礼だって言ったでしょ? 」


 精一杯の微笑みを、振り返った彼女に向ける。


「…… もう。 ごちそうさまです 」


 寂しげだけど、やっと笑顔が見れた。 楽しかった僕達の飲み会はこれでお開き…… 聞きたかった彼女の過去は聞く訳にはいかず、これ以上ここにいては彼女がツラくなるだけ。


「…… 」


 お店を出てドアを閉める瞬間、飯島さんの『あ゛ー!!』という雄叫びが聞こえた。 飯島さんにしても、響歌ちゃんを想って言い出したのだろう…… 言い方は別にして、彼女だけが悪いとは思えなかった。




 タクシーで帰る最中、響歌ちゃんは窓から外を見たまま終始無言だった。 僕もかける言葉が見つからず、彼女の横顔を時折見ることしか出来なかった。 普段明るい彼女が、ここまで思い詰めるのはよほどの過去があるのだろう。 踏み入ってはならない領域なのは分かっていたが、過去の呪縛から彼女を救ってやりたいとは思う。 そんなことを考えていると、タクシーは彼女の家に着いてしまった。


「今日はありがとう。 その…… 」


「僕は! 僕は過去なんて気にしないから! 」


 薄っぺらい言葉だったと思う。 彼女はその言葉に笑顔を見せてくれたが、一瞬見せた悲しい表情が僕にはとても辛かった。 


 雨はまだ止まない…… いっそこの雨が彼女の過去を、きれいさっぱり流してくれたら。 ふとそんなことを考えてしまった。

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