第1話 中川という田舎町
ど田舎、というと失礼に当たるかもしれない。 群馬県の山裾に広がる、緑豊かな田園風景。 春に植えられた稲はまだ青く、張られた水田の水は空の青を映し出す。 山から吹き抜ける風は程よく夏の暑さを和らげ、水田に注ぐ用水路には小魚が泳ぐ。
ここは中川町の江南区。 十年ほど前にいくつかの農村が合併されて誕生した新しい町だ。 新築の町役場を中心として東西南北に区分けされており、この江南区は80人と最も人口が少ない。
田舎はいい。
山のような仕事と時間に追われ、都会の人付き合いに疲れた僕には、ゆっくりと時間が流れるのどかな日常がちょうど良かった。 迎えてくれた田中さん夫婦もとても優しく、遊びに訪れた親戚の孫のように接してくれる。
僕は住んでいた街を離れ、米農家を営む老夫婦の元に就職した。 ハローワークで見つけた、住み込みが条件という閲覧件数がほとんどなかった仕事だ。 給料面は前職の半分と決して良くはなかったが、静かな環境を求めてこの募集に飛び付いたのだった。
「
奥さんの
「はーい! これ済ませたら行きます! 」
キーボードとモニターを触り続けていた僕にとって、鴨小屋の掃除は大仕事だ。 汚れた藁の交換と、餌の補充…… 口にすれば大したことなさそうだが、何せ相手は100羽と大所帯なのだ。
「後にしなさいなー! そうめん伸びちゃうよー! 」
80歳を越えているのに、悦子の声は張りがあってよく通る。
「ほら、メシだ和樹君。 焦らんでゆっくりやればいいべ 」
白髪頭の旦那さんの
「はい。 それじゃあ 」
途中で作業を中断し、恵治さんの後に続いて家に戻る。
「たんとおあがり 」
悦子さんは、大ザルいっぱいにそうめんを茹でて待ってくれていた。 薬味もいっぱい…… 三人ではとても食べきれる量ではないのだが、僕には腹一杯食べてもらいたいと言う。
「頂きます 」
座卓の中央に置かれた大ザルから麺を少しずつよそうと、『もっと食え』と恵治さんに笑われる。
「和樹君は細いんだから。 たんと食べて、体力つけないと
「はは…… そうですね 」
響歌ちゃんというのは、お隣の内山さんの一人娘だ。 僕の一つ下で、思いやり溢れる活発な町役場の事務員さんだ。 色白なのに日に焼ける事も気にせず、役場が休みの時はタンクトップ姿で畑を手伝いに来てくれる。
お隣と言ってもこの地域は、家の間隔が数百メートルもあるのだけど。 彼女はあぜ道を、ノーヘルでスクーターに乗ってやってくるのだ。
「おばあちゃーん! 来たよー! 」
ミディアムショートの髪をなびかせ、彼女はよく通る声で悦子さんに知らせながら縁側から入ってくる。
「あっ! そうめんだぁ! 和くん、色付きは食べちゃダメだからね! 」
バタバタと洗面所に手を洗いに行く響歌ちゃん。 そうめん一束に何本かしかない色付きは、決まって彼女に食べられるのだ。
賑やかな食事。 ゆっくりと流れる時間。 笑顔や笑い声。 どれも都会にいた時にはなかったものがここにある。 それがとても心地良かった。
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