第4-2話
これはアニメじゃない。
たった数日やそこらの練習で劇的に実力が飛躍することはない。ドーピングか強力な暗示か、肉体を肉体と思わなくなるような、そんな非合法な方法以外ではありえない。それが真の勝利と言わないことは、冬華自身が一番よく分かっている。
だから、彼女に鈴本秋を倒すことはできない。
冬華がフルドライブで右サイドへと切り込む。夏美は起こりを見逃さず、すぐさま進路を塞いだ。
「っ!」
キキっと靴底が焼き切れる音がしてた。
冬華はロールで逆サイドへと切り返し、夏美のディフェンスを振り切った。しかし、勢いの乗りすぎた重心を抱えきれず姿勢がぶれる。
(ここでもたつけば、奪われる)
冬華は乱れた態勢のまま、ねじ込むようにレイアップの形に持っていった。リズムが悪く、見た目も不格好な拙いシュートだったが、手の平からボールが離れると冬華はゴールを確信した。
「だから、そんなんじゃ全然駄目だって。」
冬華の手を離れたボールはリングに届くことは無かった。夏美は軌跡を辿るように、先ほど見た冬華の攻めを止めてみせた。もし今のが秋姉を打倒するために考えたものだとしたら、拍子抜けもいいところだった。
(まあ、予想通りかな。)
「これでラスト、準備はいい?」
「いいよ、早くやろう。」
夏のうだるような暑さにやられて頭でも可笑しくなったのか。冬華は笑っていた。初めて試合をした時はただただ必死で、自分へのふがいなさに悪態をついて、それでも止めることはできなくて、ボールと相手だけを追いかける。
気温と共に体温が上昇していくのが分かる。額の汗を拭っても、すぐに乾いてしまう。蝉の鳴き声もどこか遠くて、陽炎の向こうにいる冬華の姿だけが鮮明だった。
(いいな、楽しそう。)
一瞬、冬華の顔がぼやけた様に見えた。夏美は目元をぬぐい、もう一度確認してみると、変わらず冬華が構えている。
夏美がボールを受け取り、最後のゲームが始まった。
冬華は最初より守備位置を下げた。夏美が姿勢のフェイントを入れても冬華はピクリと動かない。
(…待たれてる。)
冬華と初めてゲームをした最後のシチュエーション。冬華は3P《スリーポイント》シュートを誘導し、シュート直後の無防備な瞬間をスティールしようとしていた。しかし、夏美は分かっていた上で3Pシュートを選択した。ラスト一点という劇的瞬間に派手なプレーをしがちな秋姉の性格と、秋姉を貶された鬱憤とが混じった不純なシュートだった。
膝のバネを使わなず両手で放り投げるような、型もへったくれもない無骨なシュート。基本に忠実な選手ほど呆気にとられ、気が付いた時にはボールが手元から消えている。ストリートならではの、種が割れれば大したことのないビックリ箱のような技。冬華は、それを待っている。
(本来ならそんな挑発に乗ることもないんだけど、ね。)
秋姉なら、きっと。
夏美が動いた。
冬華もそれを見逃さない。
ボールは夏美の両手に運ばれて、流れるように押し放たれる。
夏美の視界に影がおりる。
陽炎を突き抜けた冬華のお腹が、ちょうど夏美の顔に迫った。
夏美を飛び越える勢いのまま、冬華が空高く手を伸ばす。
軌道を追いかけた視線と日差しが重なり、夏美は目をつぶった。
「げふっ!」
夏美は頭を激しく打ち付け、景色がチカチカと明滅する。人ならではの質感のある重みにお腹を圧迫され、胃のモノが逆流してきそうだった。
冬華の顔が胸にうずめたまま、ピクリともしない。じんわりと、吹き出してきた汗が夏美のシャツに溶け出し、むずかゆさと鬱陶しさが交互に押し寄せる。
「ちょ、降りろって。」
肩をゆすって促すと、冬華が小さく震え出した。震えは段々と大きくなっていき、もしや打ち所が悪かったのか、と夏美は困惑したまま動くことができない。
「と、冬華、本当に大丈夫か?どこか打って…」
ガバッっと顔を上げ上体を起こすと、夏美の心配の声をかき消すぐらいの声で笑い始めた。
「やった!やった!、見た夏美、さっきの!。ボールが夏美の手を離れる時、ここしかないって飛びついたらさ、自分でも可笑しいと思うけど、こう、身体がぐんって前に伸びる感じでさ、ボールめがけてジャンプした時も二メートルぐらい飛んだんじゃないかって思うぐらい、こう、ふわって、いやぶわってなってそれでそれで!。」
ラスト一本のリプレイを、冬華はダイナミックなジェスチャーと共に語る。仰向けに覆いかぶさられたまま冬華の圧に圧され、灼けるコートの上に背中をつけたまま、夏美はしばらくの間動けなかった。
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