第4-1話 陽炎


 生まれて初めての果たし状は、朝刊の新聞を取りに出た母親から受け取った。



◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆

 夏美殿。

 公園にて待つ。動きやすい格好で来られたし。 

 五月雨冬華。

◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆



 三つ折りを開いた真ん中の面に縦書きで、達筆な筆時とともに文面が添えられていた。


 夏美の母は悪戯だと思い捨てそうになったところ、運がいいのか悪いのか、中身を確認したために捨てられずに済んだ。おかげで朝からやかましい。


 「冬華ちゃんと喧嘩したの?」

 「ちゃんと仲直りしないと駄目よ。」

 「言い出しづらいなら私が付いていこうか?」


 久しぶりに過保護な母を見た、と夏美は思った。幼少期の、上手に他人と距離を取る術を知らなかったとき以来、夏美の母はこと人間関係のトラブルには出しゃばりだった。鈴本秋の影響もありその手の心配後はめっきり減ったといえ、娘が果たし状を受け取ることは看過できなかった様子。


 「大丈夫だよ、今日会ってくるから。」


 きっと、それで最後だから。


 夏美は気もそぞろに朝食を食べ終えて、母に背中を見送られて家を出た。生死を賭けた決闘でもないのに、手を合わせて見送る姿が舞台女優のように儚げだった。



 コートに付くと既に冬華がいた。額に汗を浮かべ、夏美が来るそうとう前から練習をしているように見える。


 フリースローサークルで姿勢を低く構え、まるで誰かと戦っているように鬼気迫る勢いのままドリブルで突っ込む。右サイドへと軸足を踏み出しそのまま抜き去るかと思いきや、華麗にロールで切り返した。あっという間に左サイドからバックボード前まで侵入すると、レイアップをきっちり決めて汗をぬぐった。


 (やっぱすごいな、冬華は。)


 そんなんじゃ全然駄目。

 

 夏美は冬華が描いた軌跡に、鈴本秋を重ねた。結果、冬華がロールで切り返し、抜いたと思ってレイアップに入った直後、ボールをはじかれて終わった。


 (出し抜いたと思い込ませたうえで裏を掻くぐらいしないと、秋姉は止められない。)


 そもそも冬華は秋姉に勝ちたいのだろうか、と思った。秋姉と練習ができれば、それは充実した練習になるだろう。しかし、冬華には実の母がもと選手という、一番近しいところに絶好の指導者がおり、強豪校の部活動メンバーには冬華以上の選手だってきっといるはずだ。考えても考えても、負けず嫌い以外の理由が夏美には思い至らなかった。


 うーん、うーんと唸っているうちに冬華はこちらに気付いたようで、「早く来い」と催促されてしまった。夏美は渋々、といった表情を作って、重い足をゆっくりと前に進めた。



 「鈴本秋と勝負したい。」


 ああ、ただの負けず嫌いか、と思った通りの陳腐な答えに、夏美は落胆した。冬華の実力も、向上心も、夏美は一人の人間として尊敬している。ただ、夏美と秋との過去を知って、それでも自己の利得を優先して突き進む姿は無粋に映る。


 (なんか、思いのほかショックかも。)


 「いいよ、その代わり負けたら二度と話かけてこないで。」


 「分かった。」と冬華の間髪入れず答え、スタスタとハーフラインに立つと、夏美にボールを投げ渡す。


 (あれ、もっとしつこく粘ると思ったけど。まあいいか、これで最後って約束してくれたわけだし。)

 

 夏美はポケットからオレンジ色のゴム紐を取り出し、髪をくくり、ゆっくりとドリブルを始める。


 (いち、に、さん、し。いち、に、さん、し)


 瞼を閉じる。奥深くに眠る記憶を呼び起こし、夏美は深く、小さく呼吸する。手繰り寄せた感覚に触れたと解ると、夏美はワンバンでボールを渡しす。


 そして、最後のゲームが始った。


  


 


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