第3話 残滓

 それから夏美と冬華はきっちり課題を進めて公園に向かった。冬華は西山高校学年二位の実績に恥じない実力で、夏美の課題をポンポン解いていった。実際に答えを書いたのは夏美自身だが、負担の八割は冬華の脳が働いた。


 冬華は食後にも関わらず、準備運動に公園まで走ろうと提案したが、夏美が断ったので一緒に歩く。一人で先に行くかと思った夏美の思惑は外れた。生来一人の時間の方が気が楽な夏美にとって、四六時中誰かと一緒にいると息がつまる。詰まった息を適度に吐き出すには、公園で一人ボールをついているのがちょうど良かった。


 (変なのに目を付けられたのが運のつきか。)


 「なあ、この前会った時は自主練は一人でやるんだ~って言ってなかった?私がいたら自主練できないぞ。」


 「別に自主練が目的じゃない。夏美が勉強している時に舟をこいでいたから、一回バスケを挟んだ方がいいかと思っただけ。」


 「そういう時は素直に寝るの。全人類、バスケをやれば元気になるわけじゃないの。ただでさえ午前中練習してヘロヘロなのに、なんで課題の後で自分に鞭打たなきゃいけないんだか。」


 じりじりと鳴りやまない蝉の声と、帽子越しにも伝わる太陽の熱が、頭を良く働かせてくれる。課題を間に挟んだこともあり、暑さのピークは過ぎたとはいえ、饒舌に愚痴を吐かせるぐらいには燦々としていた。


 

 ◇


 

 「夏美はバスケ、楽しい?」


 「少なくとも今は全然楽しくない。」


 公園についてからまた、ひたすら1on1をやらされた。注意力散漫な夏美に対し、やる気十分といった冬華。もともとの実力差と相まって、結果は火をみるより明らかだった。


 「それは下手だからだよ。」


 「…冬華、お前学校で言われたことないか。『時に言葉は人を傷つける』って。」


 「夏美は楓子ふうこの友達?」


 「いや誰。」


 「夏美と同じ言葉をいった私のクラスメイト。」


 「今度うちに来るときはその楓子ちゃんを一緒に連れてきなさい。そうすれば私の負担も幾分減るだろうから。」


 「でも楓子はバスケできないよ、運動神経悪い。」


 「バスケの話じゃねーよ!。はぁ、頼むから楓子ちゃん呼んできてくれ…。」


 話をすればするほど、冬華との会話は調子を外していく。ただ、夏美は冬華の事を最初の時ほど憎めなくなっていた。冬華は言葉に絹を着せない。その分、鋭利な刃となって心を刺激する反面、その言葉には嘘がないと分かる。そして、ことバスケ以外の事に関してはどこかネジが外れている。生活の軸をバスケに置いて、それ以外をバスケに合わせて調節し、そのための努力なら惜しまず労力を注ぐ。


 西山高校はバスケットボール部が強いことでも有名だが、もともと進学校としてそれなりの難関校で知れている。冬華は中学まで追試を避けるため一夜漬けを繰り返す夏美タイプの人種だったが、進学するにあたり猛勉強をして今の学力を定着させたらしい。それも、学校の先生や友達を余すことなく利用し、たった三か月で西山高校の合格水準を満たすレベルにまでになったとか。


 「天才嫌い…。運動も勉強もできてその容姿とか、ほんと生きてるのが嫌になる。」


 「それって嫌味。」


 「は?いやどこが嫌味なんだよ。」


 「夏美は勉強に関しては残念だけど、バスケは私より圧倒的にうまい。あと顔が良い。」


 冬華の言葉に嘘はない。夏美は面と向かって「顔が良い」と言われ、どんな表情を取っていいのか分からなくなってしまった。家族、特に母方の祖母にはめっぽう可愛がられてきた夏美だったが、「可愛いね~、美人さんだね~」と褒められたことはある。それでも「顔が良い」とかキザったらしい、昔回し読みしてた少女漫画みたいなセリフを、同い年の同性から言われたのは初めての経験だった。


 「ねえ、なんでいつも本気でバスケをやらないの。」


 「本気だよ、全力も全力。」


 「嘘。」


 冬華は夏美の視線を掴んで離さなかった。両手をコートに付けて座りこむ夏美の背後から、頭上を見下ろすように冬華が立つと、彼女の長いまつ毛がよく見えた。やっぱり、嫌味なのはこっちのセリフだよな~と夏美はしみじみ思った。


 夏美はわざとらしい掛け声と共に起き上がり、ボールをリュックに仕舞った。これ以上は面倒になる、そう思ったからだ。


 公園を去ろうとすると、冬華は立ちふさがるように夏美の前に立った。


 「歳上を除いて、バスケで負けたのは初めてだった。小学校のクラブチームでも、中学のバスケ部でも、私より強い人はいなかった。別に周りが下手だった訳じゃない。私がそれ以上に強かった。」


 「知ってる。」


 「でもそれは運がよかったのもある。私のお母さんは実業団の選手としてバスケをしていた。お父さんと結婚して私を産んでからは選手を引退したけど、もともと教える方が性にあってたっぽくて、今でも小学校のクラブチームで時々コーチを兼任してる。私はそんなお母さんにずっとバスケを教わってきた。勿論誰にも負けないぐらい努力してきた自負はある。でも、お母さんのような指導者がいたからここまで成長できたのは事実。だから、私は恵まれていたんだと思う。」


 夏美は驚いて目を見開いた。あの冬華の口から『恵まれている』なんて言葉が出てきたからだ。冬華は自身の実力と、それを裏付けるだけの環境とをはっきりと分けて認識している。高慢ちき、なんて思った当初の考えを夏美は恥じた。


 初めて冬華と試合をした時、彼女は「ろくな人に教わらなかった」と言った。あれは侮蔑ではなく、本心からでた哀れみの言葉だった。冬華自身が、指導者の存在がどれほど大きく影響を促し、自ら体験したからこそ、同じ環境で育たなかった事を憂いたのだ。


 「だから解る。夏美のバスケの実力は、あなたが憧れている人と一緒に手に入れたものだって。その人に憧れて、バスケが好きになったって。でも、だからこそ解らない。そんな大切なバスケを、どうして適当にやってるのか。どうして本気でプレーをしないのか。」


 冬華の言葉は強く、それと同時にほだされるような感覚に襲われた。直線的で、まっすぐ心の奥底に入り、追い出そうと試みる時には手遅れだった。


 「冬華は勘違いしてるよ。私はバスケなんて好きでも何でもなかった。」


 「嘘、あなたのプレーを見ていれば解る。」


 「それはきっと、秋姉がバスケを好きだったから、だよ。」


 突然告げられた名前に冬華は首を傾げた。


 「私があの時見せたプレーは、全部秋姉が高校生だった時の技をそのまま真似したやつなの。」


 「それは、夏美が秋姉って人から技を覚えたってだけで。」


 違う、と夏美は冬華の言葉を無理やり遮る。


 「試合前にオレンジのゴム紐で髪をくくり、心の中で数字を数えながらゆっくりボールをつく。力任せな相手には技で、技で仕掛ける相手はプレーを誘導させて、自分から無理に攻めることはしない。ポイントガートとしてチームの司令塔としてクレーバーに徹する反面、ストリートの派手なプレーに感化されやすい。誰よりも強くて、誰からも慕われていて、


 「だった、ってことは。」


 「亡くなったよ。四年前の七月二十四日。インターハイの本選が始まる前日に、交通事故で。」


 冬華は何も言わなかった。すぐに飛び出そうになった言葉を飲み込み、夏美の言葉をただじっと待っていた。


 「あの時も夏休みの真っ只中だった。昔は近所の子とうまくなじめない私を、秋姉が無理やり手を引いて連れ出してた。秋姉とは六つも歳が離れてたから、到底私が勝てるわけないんだけど、実力差とか全然わかんなくて、ただただボールを追いかけてた。中学、高校に上がってからは遊ぶ頻度は減ったけど、それでも夏休み中は部活動の合間をぬってくれて公園に出かけた。全国大会出場が決まった年はめっきり会えなくなったけど、インターハイ予選の三日前に一回だけバスケしたんだ。」


 夏美は空を見上げて、どこか懐かしむように空を見つめた。段々と雲が色づき、あの日の景色と瞳の奥の景色が薄っすらと重なる。


 「強かったな~、あの時の秋姉。クラブチームに入って、私もそれなりに上手くなった自信があったけど、もうほんと、神懸かってた。手玉に取られるっていうか、遊ばれてるっていうか、次元が違うと思った。あの時、あの瞬間だけは、世界中のどんな選手も敵わなかったと思う。」 


 意気揚々に語る夏美の瞳には、話し始めた時の陰りは微塵もなく、冬華もつられて頬が緩むのを感じていた。


 「でも死んじゃった。」


 途端、夏美の瞳に色が消えた。鈴本秋を見せた瞳には、もう光は宿っていなかった。


 「そしたらさ、気付いちゃったんだ。私、バスケそんなに好きじゃないって。秋姉に勝ちたくてバスケしてただけなんだって。試合で何点シュートを決めても、ドリブルで何人抜いても、それは秋姉じゃない。私の一番を越える機会は、もう一生ない。でもさ、秋姉が無くなるのは嫌だな~って思ったの。ここに、このコートには、秋姉がいたんだって残したくて、それからずっとあの日のプレーを何度も繰り返した。練習ノートから秋姉の試合の動画から全部さらって、私は秋姉を残した。」


 「それは、でも、きっと、間違ってる。なら、そうだ、だからこそ夏美は、秋姉って人の継いで、私はこんなすごい人に教わったんだって言ってやればいい。そうすれば、夏美のプレーを見てバスケを初めた人に託すことだってできる。」


 冬華は言葉を繕った。冬華らしからぬ言葉の切れ味に、思いやりに夏美は苦笑した。そんな冬華に対し、真っ向から『違う』と否定するのは憚られたはばか


 継ぐとか、託すとか、そんなことどうでもいい。


 「私は、ここで秋姉とバスケがしたいんだ。」


 再び歩き出した夏美の肩に、冬華の手が置かれることは無かった。伸ばせば届く距離なのに、冬華の手は何者かの意思によって阻まれているようだった。夏美の横を歩く、大きくもぼんやりとしたモノの手が、そっと彼女の肩に置かれているような気がして、冬華は夏美を引き留めることができなかった。

 


 


 

  


 

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