嵐が来そうとのことで

「……嵐?」

「ああ、たぶん、あと二日か三日くらい後だよ」


 次の日、夕食どき。

 留守の間、庭周りの面倒を見てくれていた妖精一家(とアリスさん)にカレーを振る舞っていると、四季シキさんが教えてくれた。


 もうすぐこの一帯が嵐になるかもしれない——と。


 なんでも四季シキさんは、大陸の各地に設置した『ドア』を使って定期的にあちこちの様子を見に行っているらしく、その過程でここより南東、シデラの遥か東側で風と雨が荒れ狂っているのを目撃したそうなのだ。


「もちろん、逸れていく可能性も高い。ただ直撃しないにせよ、暴風域には入ると思うよ」


 神妙な顔をしつつの注意喚起に、僕は問う。


「台風……なんですかね?」

「すまない、台風というべきなのかハリケーンと呼ぶべきなのかはよくわからない。ぼくらは中学の授業を途中までしか受けていないから、高校を卒業しているスイくんよりこの手の知識は乏しいしね」

「いやあ、僕も正直、そっち方面は……。書斎の本にも地学に関するやつはないんですよね」


 我が家にある日本の書物は、こっちで活用できるようにと父さんが選定してくれたものだ。地学——地球科学を異世界で応用することは、さすがに父さんも想定していなかっただろうな。


 なので、台風とハリケーンの違いとか定義とかは僕もさっぱりだ。というかまず、この世界をひとつの惑星として見た時、大陸がどの辺にあるのかが定かでない。嵐だか台風だかが北上してくること、北に行くほど寒くなること、その辺を考えればきっと北半球にはあるんだろう。でも、わかるのはそれくらい。


「ま、知識はなくとも、長年の経験則は信頼してくれていい。これでも『うろの森』に居着いて長いからね、ぼくらは」

「もちろん。教えてくれてありがとうございます。というか、嵐って頻繁に来るんですか? 去年はそういうのなかったですよね」


「この森の深奥部が暴風域になるのは、そうだね……三年か五年に一度ってくらいだ」

「雨季に来るのも不思議な感じです。日本の台風は夏から秋がシーズンでしたもん」

「確かにそうだ。魔力なんかが関係しているのかもしれないなあ」


 地球——日本とはいろいろ勝手が違うらしい。


 なんにせよ、この世界で嵐を体験するのは初めてだ。

 カレーライスを口に運びながら家族へ視線を送る。


「ごめんなさい、実はお母さんも嵐に遭遇したことはないの。今まで住んできた場所ってだいたい、気候の変動が少ない土地だったし」

「ん。私もよくわからない。ただ、王都に住んでた時、被害報告書は読んだことある。建物が壊れたり死人が出たりしてた。少し、心配」

「私は宮廷勤めをしていた頃、嵐で壊滅した集落の救難活動に幾度か赴きました。……痛ましいものでしたね」


 母さんが不安そうな顔をし、カレンは眉根を寄せる。

 そしておばあさまはスプーンを運ぶ手を止め、祈るように目を閉じた。


「ま、直撃してもスイくんの結界が防いでくれるんじゃないかな? この家は平気でしょ」

「そうね。お正月に大雪が降った時も問題なかったから」


 対して、あっけらかんとしているのはアリスさんとシキさんだ。

 元日本人だから台風に慣れているのか、あるいは長い人生の中でこの世界の嵐も幾度となく経験しているからか。たぶんその両方だろう。……シンプルに肝が太いってのもありそうだけど。


 僕も彼女たちにならうように、でんと構えることにした。


「アリスさんたちの言う通り、たぶん我が家は大丈夫だと思うんだよね。暴風雨っていっても変異種の攻撃よりすごいってことはないだろうし。気になるのはシデラだけど……」

「一応、クリシェに通信を送っておきましょう。ただ、問題ないとは思いますよ」

「そうだね。ありがとう、おばあさま」


 シデラがもし嵐に頻繁に襲われるような土地柄であれば、そもそも都市計画の段階から備えができているはず。


「おかさん、あらし、ってなに?」

「そうね……ものすごい雨とものすごい風がいっぺんにくるの。木が倒されることもあるそうよ」

「あめとかぜ、いっぺん……どんなのだろ……」


 首を傾げつつ視線を宙に移ろわせるミントに、妖精の子たちがわいわいと話しかける。


「あら、ミントは嵐を見たことないの?」

「あのねー。雨がざーざーしながら風がびゅーびゅーして、けっこう面白いよ!」

「まあ、妖精境域ティル・ナ・ノーグから見てる分には、だけど……」

「わ、わたしはちょっと怖いな、あれ……」

「心配いらない、ぼくがお父さんと一緒に移動経路を観察しておくよ」


 わいわいする妖精たちに呼応するように、ショコラが鼻を鳴らす。


「わふっ……くぅーん」

「お前はなんでちょっとうきうきしてるんだ。……いや、思い出したぞ。お前、日本にいた頃から台風が来ると外に出たがったよな」

「わん!」


 雨と風なんて、犬にとっては楽しいイベントなのかもしれない。


「嵐の中で散歩に行ったりはしないぞ?」

「わう!? きゅーん……」


 びっくりしょんぼりするショコラをわしゃわしゃと撫でる。


「なんにせよ、軽い警戒くらいで充分だとは思うよ。嵐の大きさ的には、未曾有の天変地異ってわけじゃない。いつものやつだ」

「そうですね。でも、備えはしておきます」


 我が家の敷地内はともかく、数日間まったく外に出られないということは充分に起き得る。保存のできそうな食料品やらを、シデラから仕入れてこなくちゃね。





——————————————————

 節タイトルですでにネタバレですが、嵐の到来です。

(事件にはなりません)

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