思い出と再会する日

 中庭から開けっぱなしの扉を潜り、屋内へと入る。

 そこに控えていたのはひとりの侍女さんで、僕らへ静かに一礼すると「どうぞこちらへ」と先導を始めた。


「……静かだね」

「夜の城って、こんなものよ。内勤の貴族たちが夜通し仕事しているわけではないから。この時間まで頑張るのは、それこそエイデルくらいではないかしら?」

「そうなんだ……」


 エイデルさん、働き者なんだな……と思ったが、


「まああの子も、職場が自分の家だからっていうのが大きいかもしれないわね」

「あ……そうか」


 僕の想像とは少し事情が異なっていたようだ。

 母さんの言葉で思い至る。


「つまりこのお城は、政治が行われる場でもあり、王さまたちの家でもあるのか」

「そうよ。普通の貴族が出入りできるのも、この辺りまで。ここから先は、禁裏きんりよ」


 禁裏——つまり、王家の私的な空間。


 立ち止まった母さんの前には、大きな扉がある。扉の両端には鎧を着込んだ騎士が警備けいびに立っていた。


 侍女さんが騎士さんに何事かを告げ、騎士さんが僕らに、というより母さんに一礼した。


「『天鈴てんれい』さまとそのご子息、並びに愛犬殿。どうぞお通りください」

「ありがとう。あなたたちも、ご苦労さま」


 母さんは堂々としたもので、鷹揚おうように騎士さんに頷く。


「あの、ありがとうございます」

「わふっ……」


 僕はなんとなく雰囲気に圧されて平身低頭。ショコラは戸惑ったように鼻を鳴らしつつこっちを見上げてくる。いや、なんだかお前も賓客扱いだぞ。愛犬殿って呼ばれちゃってるぞ?


 禁裏へ入ると、続くのは広い廊下。絨毯の柔らかい感触があからさまに高値そうで怖い。並んでいる調度品も絶対にやばい。おっかなびっくりしながらも廊下の先を見遣ると、幾つもの部屋があるようでドアが並んでいる。そのうちのひとつの前で母さんは立ち止まり、ノックした。


「シャップス、ファウンティア。来たわよ」

「どうぞ」


 中に入ると、そこはリビングだった。


 家具の配置とかはノアの屋敷とか僕らの泊まっている宿の居間と似ている。中央にテーブルがあって、ソファーがあって、あとは暖炉とか本棚とかの家具があって。


 だけど広さと豪華さは比べものにならない。テーブルは細かな装飾が施されているし、ソファーなんかものすごい鮮やかでしっとしりた生地が張られてるし、絨毯もペルシャのやつみたいな模様だし、壁の絵画はでかいし——森の中で魔女装束を纏ったおばあさんがお姫さまを導いてるみたいなやつだ——いや、なんか語彙がなくてもうこれ以上は無理です。とにかく、絵に描いたような『最高級のリビング』だ。


 ただ。

 そんな煌びやかな部屋の様子に僕が気を取られたのは、一瞬だった。

 部屋の中央——椅子に座っていた男女のふたりが立ち上がり、こっちへ歩んできたのだ。


 男性と、女性だ。

 揃って外見年齢は二十代半ばくらい。でも物腰とか魔力の感じからして、母さんと同年代か少し上くらいだろう。


 ふたりとも、すごく整った顔立ちをしている。


 男性の方はどことなくぼんやりしているというか、ユニさんを男にしてめちゃくちゃ呑気にしたみたいな。『人のよさそうなイケメン』って感じの佇まいだ。


 一方で女性の方は、ノアの性別を変えておっとりさせたって感じ。優しげな面立ちの奥に、けれどノアと同じように一本の芯が通っているような雰囲気がある。


 そして、ユニさんやノアに似ているってことは、このふたりが——。


「あ、その……このような夜分にたいへんな失礼をしております。こちらの……母さ……母に連れられて、えっと」


 しどろもどろでまともな挨拶ができない。

 だって、この顔立ちといい、まとった豪奢な夜着よぎといい、どう考えてもこの人たちは、本来ならその場でひざまずいて顔を伏せなきゃいけないような相手だ。この国で一番偉い——王さまと、王妃さまだ。


 隣の母さんが立ったままだし、ショコラもなんか絨毯の匂いとか嗅いでるし、でも僕は緊張して、もうどうしたらいいか途方に暮れていたところで、


「……天鈴殿。その子が、スイか」

「ええ、そうよ。私と、カズくんの息子」


 シャップス国王陛下が、そう言い、


「あ、その。スイ=ハタノと申します! この度は……」

「顔を」


 まっすぐに歩み寄ってきたかと思うと、僕の両肩を掴んだ。


「え」

「顔を……見せてくれるか?」


 その手が肩から、僕の頬に添えられる。

 じっとこちらを見詰めてくる王さま。

 口髭の下にある唇が震え、ゆるゆると弧を描く。

 眼差しが、優しく細められていく。



「ああ……そっくりだ。カズテル殿に、そなたの父君に。そっくりだなあ」


 

 王さまの目から、涙が、溢れ始めた。


「そっくりだ。余の思い出の中にいる、カズテル殿と。でも、カズテル殿よりも柔らかな顔立ちをしているなあ。鼻筋はヴィオレ殿に似ているかなあ。真っ黒な目をしているなあ。父君よりももっと深い……ああ、でも、やっぱり、そっくりだ。まるであの人が、帰ってきたみたいだ……」


 王さまは——いや、シャップスさんは。

 ぼろぼろと泣きじゃくりながら、僕の頭を撫でながら、肩を抱きながら、笑う。


「苦労したなあ。元気になってよかったなあ。カズテル殿のこと、残念だった。でも、ご子息がこんなに立派になって……転移した先で、男手ひとつで。お子をこんなにも、立派に育てたのだなあ……」

「初めまして、スイさん。私はファウンティア。こちらは夫のシャップスといいます」


 おいおいと嗚咽するシャップスさんの横で、王妃さま——ファウンティアさんが、苦笑とともに夫を一瞥いちべつし、僕へ頷く。


「ノアにパルケル、エイデルにユニ……息子と娘が四人もお世話になりました。特にノアのことはありがとうございます。そして……この世界へよく戻ってきましたね。ヴィオレとカズテルの友として、言わせてください。おかえりなさい」


 ああ——。


 子供みたいに泣く王さまに抱き締められ、慈愛に満ちた王妃さまの手で頭を撫でられ、そして横で嬉しそうな顔をする母さんの顔を見て、ようやく僕は理解する。


 いきなり『王都へ行こう』なんて言い出したわけを。

 僕とショコラをここに連れてきた、そのわけを。


 母さんは、僕に、友達を紹介したかったのだ。

 友達に——自分たちの息子を紹介したかったのだ。


 だから、僕は。

 シャップスさんの肩を抱き返し、ファウンティアさんの手を握り返し、挨拶をする。





「スイ=ハタノです。波多野はたの和輝かずてるの息子です。長い旅でしたが、この世界に戻ってきました。……生まれ故郷ソルクス王国に、帰ってきました」

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