夜を翔ける

 シデラからだと、ソルクス王都は北西の方角に位置する。

 だから飛び立ったジ・リズの背にあって、僕らは左手に薄明はくめい稜線りょうせんを見ていた。


 ぼんやりと白く、やがて黒くなる運命さだめにある日暮れの端。中天はすでに暗く、星が瞬き始めていて、だから進む空もまた闇の中。


「……こんな中で飛んで、ジ・リズは平気なの?」

「うむ、竜はヒトより遥かに夜目よめが利く。とはいえやはり、昼間とは見え方が違うがな。それでも、行く先を見失ったりはせんから安心しろ」

「そっか……」


 たぶん方向感覚や距離感も、僕らとは比べるべくもないんだろうな。以前も、コンパスとかなしにエルフ国アルフヘイムまで飛んでくれたりしたしなあ。


「僕らには闇だよ。地上の景色なんかはもう、身体強化を使ってもわかんないや」


 昼間に出発したユニさんたちの蜥車せきしゃがもし見えたら、追い越していく時にちょっと気まずくなっちゃうかもなと思ったけど、杞憂だった。もはやシデラからどのくらい離れたのかもわからない。かなりスピードも出ているようだ。


「だいぶ速く飛んでおるから、大気の座がきしむやもしれん。さすがに落っことすことはなかろうが、風が強いと思ったらぬしも結界を張っておけ」

「うん、ありがとう」


 確かに、いつもより気圧というか、Gを感じる気がする。普段シデラを往復してもらっている時はだいぶのんびり飛んでくれていたんだな。


「星が綺麗ねえ」


 母さんがゆったりと夜を仰ぎながらつぶやく。


「今日はよく晴れてたもんね。もう少ししたら雨季だから、こんな空はしばらく見られなくなるかも」

「去年、スイくんがミントと一緒に雨を浴びたのを思い出すわ」

「あれ、けっこう気持ちよかったんだよね。またやろうかな」


 目を凝らすと暗闇の中、遠くの地平線がぼんやりと見える。いつの間にか陽は完全に沈んでその名残もなくなり、もはや西の空も夜の帳が完全に降りていた。


「わふっ……くぁ」

「お前はマイペースにのんびりしてるなあ」

「ジ・リズの背中にいると、ショコラはいつも丸くなるのよね。寝心地がいいのかしら?」

「いまショコラがいるそこらへん、ちょうど身体がぴったりハマる、いい感じの曲線になってるんだ。こいつのお気に入りポジションだよ」

「くぅーん……」


 わしゃわしゃと背中を撫でると微かに身じろぎする。ジ・リズが「なるほどなあ」と可笑しそうに息を含んだ。でも、声が少し遠い。風が強くて、魔術を介しても音が届きにくくなってるんだ。


「ジ・リズは、全力で飛んでも疲れないの? 大丈夫?」

「ぬしらも魔導を用いれば、一昼夜を走っても平気だろう? それと同じよ。むしろ魔力しか使っていない分、ヒトより楽かもしれん」


 他愛のない会話をしながら、心が浮き立つのを感じる。


 星を眺めながらかすかな月明かりを頼りに臨む遠景。

 真っ暗なよるを突き進む。

 そらに心を溶かす。

 肌に感じる空気の流れ、魔力の流れ、速度とは裏腹に穏やかな竜の背中。

 座った鱗の硬さ、だけど心地いい。

 ひんやりして、すべすべして、その奥に確かな体温を感じて——。


 穏やかに、楽しい。


「夜間飛行、確かにいいね」

「ふふん、そうだろう?」


 ジ・リズの得意げな様子に思わず苦笑し、


「くー……」

「気持ちよさそうに居眠りしてるな」


 リラックスしきったショコラをそっとしておき、


「母さん、王妃さまに連絡してるの?」

「ええ、もうじきに着くからって」


 通信水晶クリスタルを操作する母さんを背中越しに見遣り。


 そうして、


「見えてきたぞ。王都の明かりだ」

「ほんとだ。さすがに日本の夜景とは違ってぼんやりしてるな」

「あれでもヒトの街ではおそらく、大陸で一、二を争う大きさだぞ」

「遠すぎて規模感がいまいちわかんない……」


 飛ぶ先、地面に群がる蛍みたいな光は、やがて近付くにつれて輪郭をくっきりさせ、円形に広がる都市の気配を露わにしていく。

 防壁にぐるりと囲まれ、面積はシデラの三倍ほどはあるだろう。あっちは森に添った三日月状だからなんとなくの目分量ではあるけど。


「速度と高度を落としていくぞ。夜で良かったかもしれんなあ。住人たちを騒がせずに済む」

「この前、母さんと行った時は真っ昼間だったんだっけ」

「ミントのことがあったから、周囲に気を遣う余裕はなかったのよね。後から聞いたところによると、王都じゅうが大騒ぎになっちゃったらしいわ」

「まあ、そうなるよね……」


 竜族ドラゴンの飛行は魔術だ。最中も静かなもので、羽ばたくことも滅多にない。垂直な離着陸もできて、その際に風を巻き起こしたりもしない。だから夜間であれば王都民のほとんど誰にも気付かれず、王宮の中庭に降りることができるようだ。


 果たして、そうなった。


 ジ・リズが降下するのに合わせて王都がどんどん詳細になっていき、その中央にそびえる荘厳そうごん壮麗そうれいな建物——王城が見えてくる。なんとなくイメージした『王さまが住んでいるような城』そのままの意匠だ。


 エルフ国アルフヘイムの城よりは派手というか豪勢だ。そういうところでも国民性というか、考え方の違いが見て取れた。エルフたちはそもそもがシンプルなものを好む傾向があったよなとか、空に浮いてるから他の国と比較する必要もなかったんだろうなとか、こっちはやっぱり他国よりも立派にみたいな見栄とか、国民たちが誇りに思うようなデザインである必要があるのかなとか。


 あれこれ考えているうちに、あっという間に——。


 王城の中央部、建物をくり抜いたように広がる中庭はかなりの広さで、噴水とか花壇とかも備わっているけれど、それでも竜が着陸して翼を休めるのに充分なスペースがある。位置調整をしながら垂直に、それでいて雄大に、ジ・リズはそこにふわりと降り立った。


「ありがとう。じゃあ、悪いけどちょっと待っていてくれる?」

「おう、儂は寝ているからゆっくりしていくといい」


 母さんが僕らを促しながら庭に着地する。

 僕とショコラもおっかなびっくりそれに続く——さすがに緊張してきた。


 というか、母さんだいぶ我が物顔だけどいいのかな。

 中庭に人はいない。建物の中に気配は幾つかあるけれど、視線は感じない。

 人払いがされている? それとも、そもそも夜のお城ってこういうものなの? よくわからないけど……、


「行きましょう、こっちよ」

「う……うん」




 そして、誰ひとりとして出迎えもない、しんと静まり返ったお城の中へ。

 僕と母さん、ショコラは入っていく。





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 ちなみにタイトルはスピッツの方です。

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