季節は巡る

朝の散歩に行こう

 ぐっすり寝て、さわやかに起きた。


 エルフ国アルフヘイムにまつわるほとんどの憂いが解決したおかげなのか、異世界に戻ってきて一年という区切りが心機を一転させたのか、それとも春の陽気のせいか——夢も見ず、八時間くらいは深く眠っていた気がする。


 カーテンを開くと朝日が眩しくて、けれど目を開けるのがつらいなんてこともない。時計を確認すると朝ご飯にはまだ早い。


 顔を洗い、歯を磨き、着替えて庭に出ると、


「わうっ!」

「おはよう、ショコラ」


 僕の気配を察知したのか、厩舎の方からショコラがひょっこりと顔を出す。

 ぶんぶん尻尾を振りながら「どうしたの?」みたいな目でこっちを見てくる愛犬に、僕は言った。


「帰ってきてからまだ行ってなかったし、散歩に行くか」

「わふ……? わうわうわうっ!」


 シデラを往復したりエルフ国アルフヘイムで暴れたり、運動が不足しているわけではない。だけどやっぱり散歩は別腹だ。ショコラにとっても、僕にとっても。



※※※



「ふふ、ショコラ、楽しそうね」

「わん!」

「いつもの狩りとは顔付きが全然違うわ。ゆるんじゃってる」

「わおんっ!」


 そして——五分の後。


 ちょうどタイミングよく起きてきた母さんに散歩へ行くと伝えると「じゃあ私も」ということになり、僕と母さん、ショコラとで、一緒に森へと入ることにした。


「まだ少し肌寒いけど、いい季節になってきたわね」

「うん。もう冬の気配はないや」


 ショコラのリードを握りながら、母さんと並んで歩く。

 草木は朝露をまとっていて、朝日を浴びてきらきら輝いている。吸い込む空気にはどことなく、芽吹きの匂いがあった。


「お、今日はそっちか?」

「ふすっ……」


 あちこちに鼻をひくつかせながら、気ままに進むショコラに従う。立ち止まる時は僕らも立ち止まりつつ、リードの引っ張るのに任せて。


 本当は犬のしつけとして、散歩コースは飼い主が決めた方がいい。家庭内での序列をしっかり犬に理解させないと、自分が主人よりも偉いと勘違いしてしまうからだ。


 でも、ショコラは普通の犬じゃなく、僕らが共に重ねてきた歳月も長い。散歩コースを委ねたところで、いまさら関係が変わることはないと確信している。


「ふす……ばうっ!」

「こら、毛虫に興味を示すんじゃありません。食べられないからね」

「きゅうー……」


 ……まあ、こういうのを止めたりはするんだけど。


「ショコラ、あなたよく棒切れを拾ってるわよね。これはどう?」

「くぅー……?」

「あら、ダメなのかしら……」


 母さんが地面から枝を拾ってきてショコラの眼前に差し出すが、ちょっと鼻を近付けただけでふいっとそっぽを向く。


「こいつは自分がいい感じだと思った棒にしか興味を示さないんだよね。装備したら誰にも渡さないし、そのくせ飽きたらふいっと捨てちゃうし……」

「気まぐれなのねえ」

「わうっ」


 そうこうしているうちに木々がまばらになり、岩肌が目立ってきた。いい感じの棒がドロップするエリアではなくなったようだ。


「この辺りって確か……」

「そうだね、の寝床がある」


 などと、母さんと話していると。


「わうっ!」


 ショコラのひと吠えに応じて、ぐるるる、と唸りながら。

 薮で囲まれた岩場、そこに穿たれた洞穴から——刀牙虎スミロドンの親子連れが姿を現す。


「久しぶりだな。長らく留守にしてたけど、帰ってきたぞ」


 僕が挨拶すると、母虎ははとらが猫みたいに身体を擦り付けてきた。

 ごろごろと野太く鳴る喉を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。


「わん! わんわん!」


 ショコラは三匹の子猫たちに飛びかかられ、遊び始める。こいつらもだいぶ大きくなってきた。


「この調子だと、独り立ちの時期も近いのかな」

刀牙虎スミロドンの寿命から考えると、もう少し先だと思うわ。あと一、二年くらいかしら?」

「そっか。地球の獣とはやっぱり感覚が違うんだ」


 幼年時代が長いのは、いいことなのか悪いことなのか。母親はその間、子を庇護ひごしなければいけなくて、『虚の森』においてはなかなかハードだろう。

 だけど、その分——親子はずっと、共に過ごせる。


 子猫たちを見る母さんの目は優しかった。

 それはきっと、幼かった僕やカレンに向けていた視線と同じように。


「お前、けっこう傷が残っちゃったなあ。あちこち禿げてる」


 母虎の体表には、飛角兎ヴォルパーティンガーの変異種に付けられた傷痕があちこちにある。肉が壊死するような怪我だったから仕方ないけど、新しい皮膚ができても体毛までは生えてこなかったみたいだ。


「もっと上手く治せればよかったんだけど、ごめんな」

「大丈夫よ、スイくん。子供を守ってできた傷だもの。母親には勲章よ」


 がおんっ! と。

 母さんの声を肯定するように、刀牙虎スミロドンは吠えた。


「そっか。……しっかりな」


 撫でるのをやめると母虎はがうっと鳴き、子猫たちを連れて茂みの奥に消えていく。僕らの帰宅を知ったことだし、ひょっとしたら数日中にまた、肉を咥えてやってくるかもしれない。


「わうっ!」

「お、どうした? 折り返すのか?」

「わうわう!」

「そうだな。あっちに行っちゃ、狩りの邪魔になる」


 元来た道へと戻り始めるショコラをひと撫でしながら、僕らは散歩を再開する。



※※※



 やがて——帰り道。

 岩肌を抜けたところで、ショコラがいい感じの棒をついに見定め、口に装備した。


「いや、お前……」

「あらまあ」


 だけどまさにそれは、行きがけに母さんが見繕って拾った木の枝だった。

 ショコラのお眼鏡に適わなかった枝を母さんが地面に放り——なのに今度は自分からひょいっと、まるで『いいやつ落ちてた』と言わんばかりに。


「はふっ! ふすーっ」

「得意げだ……」


 適度に長く適度に太く、適度に重いそれは、きっと咥えて歩くだけで楽しいのだろう。てくてく脚を速めながら、尻尾がご機嫌に揺れている。


「ほんとお前は……さっきはせっかく母さんが拾ってきたのに、そっぽ向いたくせに」

「いいのよ、スイくん」


 けれど隣の母さんは満面の笑みで、嬉しげで、楽しげで。

 穏やかな気配で、感慨とともに言うのだった。


「子供ってね、そういうものなの、きっと」


 母親がくれたおもちゃと、自分で発見したおもちゃ。

 それが同じものであっても、子供にとっては別物で。

 子供にとっては別物でも、母親にとっては同じもので——。


「そっか。母さんがそう言うなら」


 きっと、おもちゃに限らないんだろう。

 教訓だったり、環境だったり、歩む道だったり。


 父さんと母さんから受け継いだそれらを、僕らは再発見し、己のものとしていく。

 今日の散歩コースだってひょっとしたら、既に母さんが狩りの時に辿ったことのあるルートなのかもしれない。



 だけどショコラと僕はこの道を、自由に歩いて、好きに進んだのだ。





——————————————————

 叶うならこういう話を永遠に書いていたい。

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