日が沈み、お茶を飲み

 楽しい食事の時間は、やがて終わる。


 はしゃぎすぎたのか、ミントや妖精たちは早々にになった。ミントは庭の寝床に、妖精たちは妖精境域ティル・ナ・ノーグに。子供たちがいなくなって途端に静けさを増したリビングで——僕らは穏やかなひと息をく。


 母さんとカレンがお茶をれてきてくれた。森で採れる香草をブレンドさせた、我が家オリジナルのハーブティーだ。少し独特ではあるが、四季シキさんたちはもう飲み慣れていて、初めてのアリスさんも香りを嗅いだあと、口を付けてほっとした顔になる。


「美味しいなあ。これもスイくんが?」

「いえ、カレンです。あれこれ試行錯誤して」

「そっかあ。子孫の手作りしてくれたお茶を飲むなんて、贅沢ぜいたくな老後だよ」

「ん……ご先祖さまにそう言ってもらえると、私も嬉しい」


 見た目は二十歳前後なアリスさんだが、二百年以上の人生でたくさんの子供を産み、孫やひ孫の顔を見て、更には見送ってもきたという。だから心境としてはやっぱり、老後な気分なのだろう。


「そういえば……妖精境域ティル・ナ・ノーグを使っての移動、大丈夫そうでした?」

「うん、問題ない。やっぱり私の身体は、エルフよりも妖精に近いみたいだ」


 今回、アリスさんはエルフ国アルフヘイム四季シキさんの開けた穴から妖精境域ティル・ナ・ノーグへ入り、我が家の庭に固定された扉を通じて出てきた。これは本来、人が使ってはいけない移動手段なのだ。


 妖精境域ティル・ナ・ノーグはある種の異界であり、こちらとあちらとの移動は境界融蝕ゆうしょく現象に近い。同じ座標を使って行き来する分には問題ないが、『入った場所とは別の場所から出る』という行為は、危険が伴うそうだ。


 具体的には——存在が妖精に近付く。


 おそらく、幽世かくりよを介して現世うつしよのあちこちに出没するなんてことを繰り返していくと、存在の基底——軸足が幽世あっちに移ってしまうのだろう。と、世界に判断されてしまうんだ。


 だから僕らも、四季シキさんを介してエルフ国アルフヘイムからシデラに帰ったりはしなかった。これからも、誰かの命がかかっている状況でもない限りはしないと決めている。


 一方でアリスさんは元々の存在があちら寄りなのに加え、人であることへのこだわりもない。身体が完全に妖精となったらなったで別に構わない、くらいの気持ちだという。


「これからの私の居場所は薫子かおるこたち……ううん、シキたちと同じ、妖精境域ティル・ナ・ノーグだと思ってるしね。ただ、しばらくは祖国のこともあるから、すぐ引きこもるわけにもいかないかな」


 アリスさんの顔は、晴れやかだった。


エルフ国アルフヘイムはどんな感じなんですか?」

「雰囲気を見るに、悪い方向には転ばないと思うよ。……私が頑張らなきゃいけないのはむしろ、彼らとの距離感かなあ。手伝えることは手伝いたいけど、私が出しゃばりすぎると国家間のパワーバランスが変わってきちゃう。始祖の存在を政治利用されても困るから、ほどほどにしないと」


 それを聞き、母さんが思い出したように言う。


「ファウンティア……ソルクスの王妃からは連絡が来てたわ」

「王妃さまが? なんて? 僕らに聞かせられることかな」

「ええ。『卒倒そっとうしました』ですって」

「うわあ……」


 まだ会ったことのない人なのに、一報が飛び込んできた時の光景が目に浮かぶ。

 ——いや、こと魔王の件に関してはむしろ僕が首を突っ込んだ形になるから、責任は母さんじゃなくて……やばい、変な汗が出てきた。


「わふっ?」

「なんでもないよ。おいで」

「わうっ!」


 僕の動揺を察したショコラが心配げに見詰めてきたので、誤魔化すように手を広げて抱きかかえる。なんかごめん。変に心配させちゃったな……。


「他にはなにも言ってきてないの?」

「ええ、それだけよ。いろいろ詳しい話を聞きたいでしょうにね……。ただ王家も、私を政治利用することは避けたいから我慢してるみたい」

「ただやっぱり、ひとこと文句は言いたかったと……」

「いいのよ、スイくんは気にしなくても。偉い人は卒倒するのが仕事なんだから」

「業務外だと思うなあさすがに!」


 一応、僕もソルクス王国の国民ということになっている。それも踏まえて改めて考えてみると、ちょっとやりすぎたんじゃないかと思えてきた。特に、他国の政治家に魔術をかけて拘束しちゃったやつ。国際問題にならなきゃいいけど。


「くぅーん……?」


 思わずショコラを撫でる手がぎこちなくなる。

 そんな僕らを見て、アリスさんは笑んだ。


「大丈夫、きみたちに迷惑はいかないはずだよ。エルフ国アルフヘイムとしても、領土を確保したいって第一義がある以上、他のことを大事おおごとにしてはまずいんだ。特にスイくんたちを脅迫しちゃったことは国の不始末になるからね。……きみたちにはあくまで冒険者として依頼を出して、きみたちはそれを遂行した。依頼した相手の一党パーティーにたまたま『天鈴てんれいの魔女』がいて、魔王のことを証言してくれた。これは、それだけのことよ」


 聞きながら、思う。


 たぶん——二千年前に生きた始祖のエルフという存在は、各国の首脳も無視できないほどに大きいカードなのだろう。伝統の面ではどこの王家よりも重要で、権威としてもなによりも大きな存在だ。学術的にも、アリスさんが語るだけで、歴史学は大きな進歩を見せる。


 エルフ国アルフヘイムは、その交渉カードをできるだけ平和的に切らなければならない。自分たちの利益だけを考えず、各国が損をしないよう、ゲームの参加者すべてにとって最大限の利益をもたらすべく。


 アリスさん自身もその価値はしっかりわかっている。わかった上で、自身の影響力を濫用されないよう、禍根を残さないよう、協力できるところは協力しつつ、分水嶺ぶんすいれいを見極めて手を引き、穏やかにフェードアウトしようとしている。


 それはきっと、二百年の間に培った政治技術なのだろう。異世界からやってきた中学生が、国々に騙されて利用される過程で身に付けた——生き残るためのすべなんだ。


「とはいえ始祖殿、あなたにだけ背負わせるのも申し訳ないわ。ソルクス王家には少し、口添えをしておきます。もちろん、私たち家族の面倒にならない範囲でね」


 母さんがそんなアリスさんへウインクする。母さんもまた——『天鈴の魔女』として、政治闘争を力尽くで乗り越えてきた人だ。きっと上手くやってくれるだろう。


「それはありがたいな。私としては早くこういうのから解放されて、世界を見て回りたいんだよねえ。ま、あと二十年以内には目処を付けたいな」

「その時は、四季シキの設置したとびらを利用すればいいわ。この二千年でいろいろなところに打ってあるから、すぐ移動できるわよ」

「あはは、ほんとにどこでもドアだ! やるじゃん」


「スイくんからも同じ単語を聞かされたよ。ぼくはその『どこでもドア』っていうの、よく覚えていないんだ」

「記憶にはなくても絶対、無意識で再現してると思うなあ。日本人の心には染み付いてるからさ」


「そういえば、たぶんアリスさんたちが見てた頃とは声優変わってますよ。僕は前の人のこと、再放送とかでしか知らないんですけど」

「え、マジで!?」


 真面目な話題でも、時々はわきに逸れつつ、空気は穏やかに。

 夜はそんなふうにして過ぎていった——これから未来のことを、みんなで見据えながら。

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