今日はこちらを召し上がれ

「いやー、それにしてもほんとに森になっちゃったんだねえ。しかもその中にぽつんと日本の一軒家。なんてーか、いろんな意味で不思議な光景だよ」


妖精境域ティル・ナ・ノーグ』経由で我が家にやってきたアリスさんは、庭から周囲の森を眺めながら感慨深そうにそう言った。


 一方、


「ありすは、はないかだたちのばあばなの?」

「うーん……少し違うかな。お父さんとお母さんのお友達。お姉さんって呼んでって言ってた」

「おねーさんかあ」

「でも、すごく懐かしい感じがする。私たち、いっぺんで好きになっちゃった」

「うー! みんともね、ばあばにあったとき、すぐ、すきなった!」


 庭の片隅ではミントと妖精たちが戯れている。話を漏れ聞くに、どうやらアリスさんは彼らにとって『お姉さん』だそうだ。存在のあり方が近しいそうで、その親近感からすぐに打ち解けたとのこと。


 ……あるいは、二千年前。幼子だった頃の思い出が、心のどこかに残っているのかもしれない。四季シキさん夫婦の子供だった彼らは、アリスさんに抱っこされたことがきっとあるはずだから。


「改めてありがとうね、帝江ていこう発生対策のこと。きみたちがいてくれるんなら、ここは安心だ」

「空に打ち上げた使い魔は、僕が死んだ後でも動作し続けます。将来はきっとミントたちが引き継いでくれるし、いつかは星の傷も癒えるんでしょう?」

「うん。魔力の調子を見る限り、たぶんあと二、三百年くらい……長くても五百年はかからないと思うよ。その頃にはもう、この森も前人未到の魔境じゃなくなる」


 二百年、あるいは五百年。遥かな未来に思いを馳せる。この場所もいつかは人の手によって切り開かれ、街ができたりするのだろうか。我が家も朽ちて崩れて、土の下に埋もれるのだろうか。


 まあ、考えても仕方ない。時代は移ろい変わっていくものなんだし。それよりも今日のこと、明日のこと、僕らの生きる毎日のことの方が大切だ。


「わうっ! わんわん!」

「あはは、ショコラ、速い!」

「うー、まけないよっ!」

「追いかけっこではしゃぐなんて、子供ねえ。……はい、ポチ。できたわよ、花輪」

「きゅるるっ?」

「少し小さかったかしらね? つのの先っちょまでしか通らないわ……」


「ふふ、元気で楽しそう。よかった……よかったなあ」


 妖精たちを眺めながら少し泣きそうな顔をするアリスさん。

 遥かな過去に生き、遥かな未来に目を覚ました彼女。けれどこれから過ごすのは今日いまなのだ。僕らと同じように、日々を一歩ずつ刻んでいくのだ。


「ところでアリスさん、まだ早いけど、夕ご飯。時間あります? うちで食べていけますか?」

「もっちろん! エルフ国アルフヘイムでの雑事は済ませてきたよ。いやー、お邪魔するのも悪いとは思ったんだけどさあ。さすがに日本の味が懐かしすぎて……今日はなにを食べさせてくれるの?」


 ちょっと悪戯っぽく、けれどそれ以上にわくわくしながらにやりと笑むアリスさんに、僕はそれ以上の——期待を持たせる意味ありげな顔で答えるのだった。


「内緒です。お楽しみに」



※※※



「じゃあ今日のご飯は、カレンとミントに手伝ってもらいます」

「ん。頑張る」

「みんとはやるよっ!」


 そして、それから二時間ほど後。

 僕とカレン、そしてミントはキッチンに立ち、三人で拳を突き上げる。


「よし、がんばろう!」

「おー」

「うーっ!」


 アリスさんたちは母さんに相手をしてもらっていた。暮れなずむ夕日の中、イングリッシュガーデンでお茶とともにのんびり談笑だ。というのも……調理工程を見られていては、なにを作るのかすぐにバレてしまうから。


「まずはタマネギをみじん切りにします。これは僕がやるよ。目に沁みちゃうからね」


 シデラで買ってきたタマネギを、たっぷりと切り刻む。でもってそのうち四分の一ほどをより分け、透明になるくらいまで軽く炒める。


「その間、ミントにはこれをねてもらおうかな」


 冷蔵庫から取り出したのは、挽肉だ。

 猪と牛の合い挽き。お昼ご飯の時、ついでに作っておいた。もちろんミンサーなんてないから、包丁で叩いての手作業。『神無かんなぎ』の切れ味は凄まじく、たいした労力もなくいい感じにミンチにできた。


「さっき教えた通りにできる? カレン、見ておいてあげてね」

「ん、だいじょぶ。ミントならやれる」

「がんばるっ」


 まずは挽肉に塩を加え、粘りが出てくるくらいに混ぜる。

 そしたらそこに炒めたタマネギ、パン粉、生卵、牛乳を加えて更に捏ね捏ね。


「そう、お肉を手をぎゅって握る感じ。ぐっぱー、ぐっぱー」

「こう? ぐっぱー、ぐっぱー……」

「うまいうまい」


 カレンには以前、作り方を教えたことがある。なかなかいい先生になってくれているみたいだ。ミントも拙い手付きながら頑張っていた。


「もういいかな。次はぐるぐる掻き混ぜる。一緒にやろう」

「うーっ!」


 ふたりがを作ってくれてる間、僕は別の作業だ。

 さっきみじん切りにしたタマネギのうち、使わなかった四分の三を鍋に入れ、今度は飴色になるまでじっくりと炒める。そこにスパイスを投入し、次いで水とヨーグルト。


「シデラで買い込んでた卵や乳製品、悪くなる前に使わなきゃいけなかったからね。そういう意味でもこのメニューは都合がいい」


 煮汁が沸騰し始めると、スパイスのいい香りがキッチンに立ち込めてきた。いったん火を止めて蓋をして、フライパンで野菜ときのこ——ニンジンとシメジを炒める。今回は具材をシンプルに。


「スイ、見て。どう?」

「お、いい感じだ。ちゃんと中央にくぼみがあるし、空気も抜けてそう」

「すい、すい! おにくをね、ぽんぽんぺちーんってやった! てとてで、ぽーんってして、ぺちんって!」

「すごいなあ。上手くできてる。ミントは器用だね」

「むふーっ」

「ふふん、私の教育のたまもの」

「ふたりとも、えらいえらい。じゃあ手を洗おうね」


 炒め終わったニンジンとシメジを鍋に投入し、煮込み開始。空いたコンロでフライパンにバターをひいて、肉ダネを焼く。中火で二、三分かけて片面に焼き色をつけ、裏返したら弱火にして蓋。そうこうしているうちに鍋がぐつぐつと、をキッチンから居間を越えて、家の外まで広げ始めた。


 ——それはたぶん、アリスさんにとっては郷愁きょうしゅうの、懐かしさ。


「……スイくん! これ……この匂い!!」


 やがて、すぐに。

 ガーデンを飛び出したアリスさんが走ってきて、縁側の掃き出し窓をがらりと開け、床に膝を突いて身を乗り入れてくる。


 その目はきらきらと子供のように輝いていて、期待通りの反応に嬉しくなった。


「ええ、その通りですよ」


 タマネギの甘味とスパイスが溶け合ったカレーの香りに、ニンジンとシメジもいい感じに馴染んでいて、あとは味を整えるだけ。

 ハンバーグもすっかり頃合いだ。フライパンの中で蒸し焼きにされたそいつは、中央を串で刺すと透明な肉汁がじわりと染み出てくる。


 カレーとハンバーグ。

 ひとつひとつでさえ最高のやつだけど、このふたつを合わせると更に良い。


 僕はアリスさんに頷き、その名を告げる。





「今日の夕食は、ハンバーグカレーです」





——————————————————

 こいつは優勝ですよ。

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