その頬を撫でて泣く

時は来た

 明けて次の日、アリスさんに作戦を伝えられた。

 僕らの魔導と擦り合わせながらそれをじっくりと吟味し、半日かけて修正していった。正直なところ——この時点で僕らにはほとんど不安がなくなった。


 何故なら彼女の立案はすごく現実的で、不確定要素、希望的観測を排除した上で綿密に組み上げられていたからだ。おまけにそれらは、魔王と実際に戦った経験が下地になっている。ここで確実に仕留める、そんな二百年の執念をうかがわせた。


 打ち合わせの最中に、アリスさんは言った。


「これは、戦いじゃないよ。。向こうが暴れる前にけりをつける」


 全員の顔を見渡し、続いてどこか遠くへ思いを馳せて——。


「千八百年の時を経て、私は幸運を得た。きみたちという幸運だ。……その機を逃しはしない。すべてを注ぎ込んで、世界の危機を片付けよう」


 準備をすべて終え、宿に戻り、僕らはゆっくりと家族でひと晩を過ごす。

 不思議なほどよく眠れた。

 きっと他のみんなも、同じだっただろう。



※※※



 ——かくして、決行日の朝。


 全員の体調が問題ないことを確認した後、『大発生』以来、およそ二十年ぶりの戒厳令がエルフ国アルフヘイムに敷かれる。第二区の住民たちを第三区へ避難させた上で、国民すべての外出が禁じられた。


 その上で、関係者たちは城の大広間——第ゼロ区へと繋がる扉の前に立つ。


「始祖さまとは比べるべくもないけど、僕らには大役だ。正直、手が震えてるよ」

「そうね……だけど、それでもしっかりやらなきゃ。私たちは『魔女』なんだから」


 そう言って僕らに頷いてみせるのは、リックさんとノエミさん——エジェティアの双子だ。彼らをはじめとして長老会のミヤコさんやモアタさんなど、魔導に覚えがある人たちはここで後詰め、つまり万が一の時のための防波堤となる。


 アリスさんが双子の肩を叩きながら笑った。


「大丈夫。どんな不測の事態が起きても、変異種どもはともかく本体は絶対に外に出さないから。……きみたちの魔力の波長は、私の友達——ご先祖さまによく似てるよ。自信を持って」

「「はい!」」


 さすがに始祖本人の発破はっぱは効くようだ。先祖に似てる、なんて言われたらなおさら。リックさんもノエミさんも感極まった表情をして居住まいをただした。


 アリスさんは続いて、他の後詰めメンバーにもひとりひとり声をかけていく。名を問い、どの血に連なるのかをき、しっかり名を呼び視線を合わせながら、始祖の誰それと絡めて激励していく。


「上手いなあ……さすがだ」

「くぅーん?」

「なんだ? 僕はこういうの向いてないよ」

「わふっ」

「あら、シデラでスイくんがやった婚姻祝いの演説、良かったわよ?」


 ショコラに慰められていると、母さんが微笑みを向けてくる。


「いや、あれはおめでたい席のやつだったし……」

「お父さんはねえ、交渉とか駆け引きとか上手かったわ。日本人ってそういうの得意なのかしら? 他の人を引っ張っていく、みたいな」

「アリスさんのは二百年の積み重ねだと思うけど。でも確かに、こっちよりもそういう教育は充実してたのかもなあ」


 スピーチとか、ディベートとか。あとはクラス係なんかで他者を取りまとめたり。

 もちろん個々の素質や向き不向きもあるから、母さんが想像しているみたいに日本人なら誰も彼もってわけじゃない。ただ、教育を受けるのと受けないのとではやっぱり下地が違う。異世界の学校は読み書き算盤そろばんと魔導が精々で、この手のことは商人の子や貴族でもないとそもそも教わりさえしない。


 そんな雑談を交わしているうちに、アリスさんが戻ってくる。


「よし。じゃあ、行きましょうか」

「はい」


 僕、カレン、母さん、ショコラ。

 ジ・リズ、四季シキさん、シキさん。

 それにアリスさんを加えた八名が、魔王と戦うメンバーだ。


「エミシ、ユズリハ、メイシャル。街の方はよろしくね」

「はい、仰せのままに……万が一など起きないと確信していますが、仮に起きても犠牲者は決して出しません」


 彼らは国民たちの戒厳令を取りまとめ、先導する役割を担っている。エミシさんの横にはハジメさんが神妙な顔で控えていて、メイシャルさんも決意の込められた真っ直ぐな目をしていた。


「ご武運を!!!」


 そうして——。

 控える人たちのときを背に受け、アリスさんを先頭に、僕らは大広間の扉を開ける。


 その先にあるのはコンクリートの箱。魔王を閉じ込めた『第零区』。

 出入り口はジ・リズの巨体が通れる大きさではない。が、


「このくらいでいいかしら?」


 アリスさんが右手で大きく円を描くと、す……と。

 その軌道に沿って壁が、中の鉄骨ごと


 断ち切った壁を足蹴にし、内側に倒れ込ませて穴を作るアリスさん。

 火と水と風の三重属性による切断魔術だ。既に昨日見せてもらっているとはいえ、鮮やかな魔導に全員が舌を巻いた。


 アリスさんに続き、ジ・リズも含めた一同が、穴を潜って中へ入っていく。


 数日ぶりに対面する魔王の姿。

 竜のかたちをした蟲、あるいは蟲の外観をした竜——初めて見た時にはおぞましさを感じたけれど、成り立ちを聞いた今となっては、痛ましい。


「これが……儂のひいひい爺さん、か」


 ジ・リズのつぶやきは平坦だった。動揺はしていないように思える。単に、感情を押し殺しているだけなのかもしれないけれど。


「ジ・ディア。私の友達だった竜の、息子だよ」

「始祖殿の友は、ヤト氏族であったな。いやはや、儂があの偏屈どもの血を分けられていたとはなあ。……長く生きていても、己のことさえわからんものよ」


 深く大きく、偉大なる竜は溜息を吐いた。

 その瞳に浮かぶ色に、哀愁と憐憫が混じる。


「ひいひい爺さま。あんたが身をていしてひい爺さまを守ったからこそ、子孫の儂はここにいる。あんたのことを、儂は誇りに思うよ……だからこそ、そんなあんたに、世界を滅ぼさせるわけにはいかん」


 頭を垂れて礼を取ったジ・リズを見て、アリスさんが高らかに告げた。


「始めよう。スイくん、カレン。お願い」


 呼ばれた僕とカレンが、前に出る。

 魔王を前に——まずは一番槍を務めるのは僕らだ。


「いいよ、カレン。いつでも」

 魔剣リディルを抜き、僕は身構える。

「ん」

 カレンは頷くと、魔術の詠唱を始めた。



※※※



「……『白玉楼霧はくぎょくろうむ春凪はるなぎうつす』!」

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