二千年前の悲劇に

「じゃあ、あの魔王は、アリスさんの……」

「うん。友達の息子、ってことになる」


 アリスさんの言葉はいろんな意味で、僕らに衝撃だった。


 かつて友誼ゆうぎを結んだという、ヤト氏族の竜族ドラゴン

 彼女はファーヴニル氏族にとつぎ——『嫁ぐ』という概念が竜族ドラゴンにもあるのかはともかく——ジ・ディアという子供を産んだ。そしてそのドラゴンはやがて巣立っていき、しかし……、


「あの子が魔王にされたのは、おそらく二百年前……いや、今を基準にしたら二千年前か。敵対していた奴らの残党によるものだと思う。もっとも、当時の私たちは世界のほとんどを相手に戦ってたから、どこの誰がやったのかはわからないんだけど。魔王が発見された時にはもう、そいつらは死んだ後だったからね」

工廠こうしょう……魔王城に魔王だけが残されてた、ってことですか」

「そうだね」


「始祖さまはそのように多くの者たちと、戦っておられたのですか……?」


 ミヤコさんがエルフたちを代表し、怖ず怖ずと問う。

 アリスさんは頷いた。少し笑って、少し好戦的に。


「当時、この世界はすごく荒廃していて、ほとんど滅びかけてたんだ。あらゆる国が戦争をしてた。魔王……きみたちの言う『稀存種きぞんしゅ』を人工的に生産し、兵器に使ってね。私たちは魔王の生産施設を潰して回って、無理矢理に戦争を終わらせたんだよ」


 もちろん彼女たちがしたのは、魔王城の破壊だけではない。


 世界まるごとを改変する大魔術の行使——四季シキさんたち一家が妖精となったことにより文明はリセットされた。戦争どころかすべてが終わりを告げ、人々の記憶からも忘却され、当時の国々は残らず滅び、歴史が新しく始まったのだ。


 アリスさんもさすがにそこまでを説明するつもりはないようで、僕らとシキさんたちに意味ありげな視線を送っただけだった。


「……おそらくそのタイミング。戦争が終わる直前だったんだろうね。あの子が囚われ、工廠に入れられたのは。そして誰にも気付かれないままに魔王にさせられていたんだ」


「アリスさま、質問したい」


 カレンが不安げな声で尋ねた。


「現代だと、竜族ドラゴンや人は変異種にならないって聞いてる。二千年前はそうじゃなかったの? それとも、今の知識が間違っているの?」


 たぶん、ポチやショコラのことを考えたんだろう。


うろの森』の奥深く、魔力坩堝るつぼができやすい我が家の周辺——もしもどんな生物も変異種となる可能性があるのなら、あの環境は危険を孕んでいる。


「わふ? くぅーん」


 しゃがみ、かたわらにいたショコラをぎゅっと抱き締めたカレンへ、アリスさんは首を振った。


「大丈夫だよ。カレンの懸念していることは起きない。人も竜も、社会的な動物というのは変異種に限りなくなりにくい。それは昔も同じだったよ。……でもね。なんだ。だからこそあの工廠は、この世にあっちゃいけなかった」


「限りなく、って、つまり……」


「家族から引き離し、薬物と魔術によって理性を失わせ、心を壊す。その上で長期間、高濃度の魔力に晒す。そこまでやらなければ、人や竜は変異種にならない。……そこまでやれば、どんな生物だって変異するよ。

「……っ」


 ——その場の気温が数度、下がった気がした。


 アリスさんの身体から膨大な魔力が立ち上る。

 凍てつくような、燃えるような、吹き荒ぶような、怒りと悲しみの入り混じった、そんな——痛ましいほどに恐ろしい、魔力が。


「魔王は長いこと眠りについていた。それが強引な工程によるものなのか、あの子の最後の理性だったのか、わからない。わからないけど、私たちが発見した時にはもう、すべてが手遅れだった」


 第ゼロ区に隔離されている魔王——あの個体を思い出す。


 竜によく似たかたちをした虫、とでも形容すべき姿だった。でも、似ていたのは当たり前だったんだ。まさに竜の成れの果てだったんだから。


 竜——ドラゴン。

 あの気高くて、優しい目をした、知的で穏やかで、荘厳な生き物。


 ジ・リズの一家を思い出す。子供たち——ミネ・オルクちゃんとジ・ネスくんを思い出す。ラミアさんたちと一緒にゆったりと暮らす彼ら。姿は違っても僕らとなにも変わらない、幸せな家族を思い出す。


「……みんな、必死に戦った。せめて安らかに眠らせてやるために。でも、相手は強くて。私たちも長く戦いから遠ざかってたし、情もあってさ。阿形あがた白河しらかわ、それからうちの旦那が死んだ」


 痛ましげにシキさんたちを見るアリスさん。

 ふたりは厳粛げんしゅくに頷き、かつての兄に、義兄に思いを馳せる。


輪島わじま中野なかのが協力して術式を編んだ。ふたりとも闇属性が強かったからね。そして私があの子を相手している隙を見て、遅延領域を展開し、私もろとも時を止めた。あとは、この国の歴史にどこまでが伝わっているのかわからないけど……私の体感としては、そこから今に続いてるってわけだ」


 そうして——。

 話を終えたアリスさんは深い息を吐き、張り詰めていた魔力をやわらげると、僕らを見渡して笑う。


 いつの間にかシキさんが、アリスさんのそばに来ていた。慰めるようにいたわるように、背後からぎゅっと親友を抱き締める。

 アリスさんもまた小さく頷くと、シキさんの腕に自分の手を添える。


「まあ、私の感傷はともかく。領域に綻びが出始めてるって言ってたよね? だったらやっぱりあの魔王は、なんとしてもここで討伐しなきゃならない」


 そうしながら彼女は、移ろわせていた視線を僕に定めた。


「幸いというべきか運命的にというべきか、ここには……私だけを領域から引っ張り出すなんて離れ業をやってのけた子がいる。……スイくん」

「はい」

「たぶんきみの闇属性の魔導は、輪島と中野を合わせたよりも強い。それに見る限り、私にまさるとも劣らない魔導士もいるみたいだ。……ヴィオレさんとカレン」


 いや。

 に——定めた。


「ええ」

「……はい」

「わうっ!」

「うん、ショコラ。もちろんきみもね?」


 母さんが、カレンが、ショコラが頷くのを見、アリスさんは微笑む。

 どこか縋るように、微笑んだ。


「私情がだいぶ入っちゃってて、悪いんだけどさ。……改めてどうか、魔王の討伐を手伝って欲しい。私の友達の子を……あの可愛かったジ・ディアを、楽にしてあげたいんだ」


 もちろん、僕ら三人と一匹四人の返事は決まっている。




「もちろんです。……元々、僕らはそのために来たんだ。だからどうか、あなたの手伝いをさせてください」

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