それから現状確認と

「かつて魔王城があった場所は現在、『神威しんい煮凝にこごり』と呼ばれています。それぞれ『うろの森』『ヘルヘイム渓谷』『悪性海域あくせいかいいき』という名称で……『虚の森』の魔力坩堝るつぼを散らす作業を、アテナクが担当していました」


 食事が終わってすぐに、アリスさんへの現状説明が始まった。

 僕も含めて知識を持っている者が総出で、現在いまの情報を教えていく。


「だけどアテナクの現状は、先ほどお話しした通りです」

「そっか。エン・ミ・リ国の跡地……今は『虚の森』だっけ? あそこの見張りをどうするかって話の時、綿貫うちがやろうって提案したのは私なんだ。子供たちももちろん同意してくれたけど……まさかあの一帯が、深い森になっちゃうとはね。さすがに森の中で見張りをし続けるのはきつかったかあ」


 そしてアリスさんは、聞いた情報に所感を述べる。

 二千年前の出来事が当人の口から直接語られるのは、やはり奇妙な気分だった。


「アリスさまにはまこと、申し開きもなく……。アテナクにすべてを押し付けてしまったのはひとえに、我らの怠慢が故です。あまりにも配慮がなさすぎました」

「ミヤコ、顔を上げて。きみを責めたくない。始祖の私も末裔すえのきみたちも、二千年間をまるごと背負う義理はないんだ。無責任にも聞こえるかもしれないけどさ……私たちはみんな、自分が生きる中で、自分の思うがまま、信じるがままに行動した。結果はその積み重ねでしかないよ」

「はい……お言葉、ありがたく」


「私としては、森を出た子供たちがせめて健やかに過ごしているといいなって思う。スイくんたちが頑張ってくれて、問題は解決してるようだし。でも、取り残されちゃった子……ドルチェには会いたいな。会って、謝りたい」


 背負う義理はないという言葉とは裏腹、それでもアリスさんの声には悔恨の色がある。ドルチェさんが孤立していたのは紛れもなくアテナクの悪意によるもので、アリスさんだって子孫たちの醜い話なんて、やはり聞きたくはなかったのだろう。


 だから僕は笑う。


「話が片付いたら、会ってやってください。あの子は家族がいないから、アリスさんの存在がきっと救いになります」

「そっか。……そうだといいな」


「続きです。ヘルヘイム渓谷には、妖精犬クー・シー……ショコラの同族たちが棲息しています。悪性海域は竜族ドラゴンが見張ってくれているそうです。ただ、この二箇所の現状については他国ということもあって僕らは詳しくありません」


小町こまちとフェンの子孫たちにも会ってみたいな。ただやっぱ、野生化しちゃってるよね……ショコラちゃんを見てるといまいち想像はできないけど」

「わふっ?」

「こいつは赤ん坊の頃にうちの父さんが拾ったんで……日本にいた頃も、僕はただの犬だと思ってたし」


 なんなら今でもそう思ってるけど……。


「わうっ! わんわん!」

「わかってるよ。お前は強くて勇敢だ」


 抗議するように吠えるショコラをわしゃわしゃ撫でてなだめる。そんな僕らへ、アリスさんは優しい目を向ける。


「小町はもともと、歳也の家……樋口ひぐちのおじさんとおばさんが飼ってた犬だったんだ。それが私たちと一緒に異世界に来ちゃって。かわいそうだったけど、でもみんな、あの子に癒された。あの子を撫でるだけで、心が救われた」

「……わかります。僕もそうでした」


 樋口さん、か。

 四季シキさん、うちのお隣さんと同じ苗字だったんだ。ちょっと面白いな。まさか本当にあのご夫婦のお子さんだった……なんてことはさすがにないよね。


 ショコラの顎へ手を伸ばしながら、母さんが補足する。


「ヘルヘイム渓谷には入ったことがあるわ。二十一、二年前になるかしら? まさに、うちの夫がこの子を拾った時よ。それほど広くない場所で、変異種の数も『虚の森』ほどではない印象ね」

「わふう……くぅー……」


 母さんのでショコラがぐでーっとし始めたのは置いといて、


「ガドゥテェ連合の魔王城があったところね。そこまで大きな工廠こうしょうじゃなかったから、ヴィオレさんの言ってることも納得かな。というか、エン・ミ・リ国の魔王城が他と比べても特に大規模だったんだよねー。だからこそ私たちも直接、子供らに監視を頼んだんだけど」


 やはりアリスさんが持つ情報は、すごく有用だ。

 今まではずっと、ぼんやりした輪郭しかなかった『神威の煮凝り』の実態が、にわかに実像を結んでいく。


「まあ渓谷も森も、当面は問題ないでしょ。特に森の方は、スイくんたちの打ち上げた衛星? 使い魔? マジでなるほどって感じだし」


 同時に、僕らのやり方が間違っていなかったこともわかって安心した。

 当事者にお墨付きをもらうというのはやっぱり心強い。


 ただ、一方で。


「キャリジア諸島の方は、今も竜が守ってくれてるんだね。夜刀ヤトの一族か……あいつら、元気かな。会いたいけど、会わせる顔がないや」


『悪性海域』の話になったところで、不意に。

 アリスさんの表情に陰が落ちる。


 いや、悪性海域というよりも、これは——、


竜族ドラゴンに、お知り合いがいたんですか?」

「うん。友達がね。……友達だった、かな。今日は、そのことをみんなに話しておきたいんだ」


 彼女の目が一度、静かに閉じられる。

 背筋を伸ばし、居住まいをただし、深呼吸をして、最後に——心を落ち着かせるためなのか、シキさんの顔を見てから。


 アリスさんは、話し始めた。


「二千年前。この世界に転移してきた私たちは、魔王との戦いの中で竜族ドラゴンとも友誼を結んだ。特に私は……とすごく仲良くなってさ。よく背に乗せてもらって、空を飛んだよ。楽しかったなあ」


 懐かしそうに、それでいて悲しそうに。

 輝かしい思い出のはずなのに、つらそうに。


夜刀ヤトの一族に連なる、雌竜めりゅうだった。ファーヴニルの一族の雄竜おりゅうと結婚して、子供を産んでね」


「え……」

 思わず声が出る。


 いま彼女は、ファーヴニルって言ったのか?


 それは、その氏族名は。

 聞き間違いじゃなければ、僕らの——、


「十年くらいは見守ってたかな? ……やがてその子は独尾ひとり立ちして、住処を見つけるために去っていった。私たちも魔王との戦いが苛烈になり始めた頃で、さすがに連絡は途絶えてね。だから再会したのは、その後。


 アリスさんは言う。

 拳を握り締めて、血を吐くように、言った。




「ファーヴニル氏族の、ジ・ディア。私の友達が産んだひな。可愛かったあの子は、。……私たちが発見できてなかった小さな工廠で、とある国の残党どもの手によって囚われてね。それが最後の魔王……私と一緒に遅延領域に封じられていた、あいつだよ」


 僕はその名前を聞き、直感的に思った。思ってしまった。

 きっと『彼』は——僕の友達ジ・リズと、無関係じゃないと。

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