先史の魔王
まずは食事をしなくちゃね
その後、アリスさんはまる二日ほど眠っていた。
なにげに疲労が限界だったらしい。
当然だ。彼女の時が止まったのはまさに魔王と戦っている最中で、生理的な状態はすべてそこから地続きなのだから。聞けば、ほとんど不眠不休な上にろくな食事も摂っておらず、魔力もほぼ使い果たしていたらしい。
で、これがどういうことかというと。
目を覚ました時のアリスさんは、めちゃくちゃお腹を空かせていた。
つまり長老会のみなさんには悪いけれど——僕の出番である。
※※※
もちろんミヤコさんたちの方でも、アリスさんを歓待したい気持ちは強く、豪勢なものを用意しようとしていた。だけど目覚めの一食だけはと僕が頼み込んだのだ。
既にエルフ側にも、彼女が日本人——境界
よく考えたら、こっちの人たちは地球や日本のことをなにも知らないのだ。地球にはエルフも獣人も
まあいいや。
なんにせよ同郷のよしみにより、アリスさんに故郷のご飯を食べてもらいたいという僕の願いは聞き入れられた。そして目覚めを待つ間、着々と準備をしつつ——二日後、その時がやってくる。
「これ、まじか……」
「マジです」
かくして。
食卓についたアリスさんは、目の前に並べられたメニューを見て驚愕に口をぽかんとさせていた。
場所はエミシさんの邸宅だ。始祖さまがお過ごしになるのであればやはり始祖六氏族のお屋敷が相応しい、というミヤコさんの(いかにも血統主義らしい)言葉により、目覚めとともに移動してきたのだ。
「これ、ぜんぶ、本物……?」
「本物です」
アリスさんの問いかけに頷く。その顔が見たかった。
平皿に盛られてはいるが、白米。
それからこれもスープ皿だけど、味噌汁。
でもって冷奴に、更には塩鮭。
つまりは日本人の朝食である。
「友人に手を尽くしてもらいました」
もちろん、
彼ら——特に
なので彼にお願いすることで、家の戸棚に収納されているサトウのごはんや味噌に昆布、ついでにシデラから鮭と大豆を調達してきてもらったのだ。
なお、対外的には『自分たちが食べたかったので荷物の中に入れてました。いやー持ってきててよかった!』で通した。鮭とか豆腐とかも言わないとわからないので問題なし。
ともあれその他の食材も市場で買い付けつつ、質素ながらも腕によりをかけた。
「いただきます」
箸を手に取り、まずはご飯をひと口。
目を閉じて噛み締め、飲み込んで。
「ああ……」
涙を滲ませながら、笑う。
「本当に……まさかこんな日が来るなんてね」
続いて味噌汁をひと口。
「味噌の味、久しぶり……。出汁も利いてる」
冷奴をひと欠片。
「ああ、豆腐だ。お醤油がかかってる。すごい」
塩鮭を味わい、ご飯と一緒に味わい——。
「美味しい。本当に、美味しいよ……ありがとう」
涙を拭って息を吐いたアリスさんは、恥ずかしげに一同を見た。
「……ところでさ。お腹も減ってるし懐かしいしでがっつきたいんだけど、ちょっと恥ずかしいからひとりにしてもらってもいいかな?」
「ええ、もちろん。おかわりもあるんでその時は呼んでください」
微笑ましい気持ちになりながら、僕らは揃って部屋を出る。
もちろん——
※※※
——やがて。
二十分ほどの後。サトウのごはんを三パック、味噌汁を二杯、冷奴を三つおかわりし、ようやくごちそうさまを言い。
満腹を通り越して、客間のソファーにぐでーっとしたアリスさんがいた。
「いやー最高。満足したあ……。ご飯って元々、お家にあった物資なんだよね。スイくんは家ごと転移してきたんだっけ?」
「ええ。庭付きの一軒家と、それからショコラと」
「わふっ!」
「そっかそっか。ショコラちゃんと一緒だったら、さぞ心強かっただろうね」
「それはもちろん」
「ふふ。きみのご先祖さまもね、すごく頼もしかったんだぞ」
「わう……? わん!」
彼女たちと一緒に転移した犬——シベリアンハスキーのことを思い出したのだろう。優しい目でショコラを見る。
「……やはり故郷の味が、恋しゅうございましたか?」
そんな彼女へ、ミヤコさんが不安げに問うた。
アリスさんは苦笑しつつ、首を振る。
「ミヤコ、私はきみたちの築きあげてきた文化の方もすごく気になってるよ。気が早い話だけど、お昼ご飯は街に出て買い食いしようと思う。でもって
「っ……はい、それはもうご随意に!」
一転してぱっと顔を輝かせるミヤコさん。
カレンがぼそっと僕に耳打ちする。
「扱いが上手い……」
「そうだね……」
エミシさんの屋敷には長老会の面々が勢揃いしていたが、彼らはみな一様に、始祖さまが幸せそうで嬉しい、みたいな目をしている。ミヤコさんやモアタさんはもちろん、エミシさんにユズリハさん、果ては二日前にアリスさんを襲ったメイシャルさんまでだ。ものすごい求心力である。……二千年も続く血脈の大元、本人だもんなあ。
かしこまる長老会の面々にうんうんと頷くアリスさん。
それからひと呼吸置いて、椅子にしゃんと座りなおす。
「さて。たっぷり寝たしお腹も満たされた」
発せられた言葉とともに。
僕だけではなく他のみんなも気付いた。気配が変わった——と。
それまでのざっくばらんで気安い態度とはまるで違う。凛としていて、涼やかで、それでいて威厳があって。
これはたぶん、二百年にわたり種族を束ねてきた、始祖としての顔だ。
アリスさんはみなを見渡し、不敵な笑みを浮かべ、言う。
「じゃあ、聞かせて。私と一緒に領域に閉じ込められてたあいつ……最後の魔王がいまどんな状態で、世界がどんな状況なのかをさ。随分と先送りにしちゃったけど、こうなったからには決着をつけないとね」
全員が息を呑む。そして、理解する。
アリスさんにとってあの魔王は、千八百年前の存在ではない。
今——現在進行形なのだ。
彼女は未だ、戦いの途中なんだ。
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普段は森の外に持ち出さないと決めているサトウのごはんやお醤油ですが、今回はさすがに特別です。
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