空白を埋めるように

 それから——。


 シキさんとアリスさんはしばらく、抱き合ったまま泣いていた。

 やがて落ち着いたのち、四季シキさんとも抱擁ほうようを交わし再会を喜び合う。

 そうしてようやく、僕らへと向き直った。


「積もる話は山ほどあるんだけど、いま始めるときりがないや。スイくん、本当にありがとうね。……まだ、夢でも見てるんじゃないかって思うよ」


 アリスさんは真っ赤に腫れた目を拭いながら笑った。


「いえ、いいんですよ。場所も場所ですしね」

「そうだねえ」


 ここはミヤコさん第三者の屋敷で、今は人が来ないようにしてはいるものの、いつまでもこのままというわけにはいかない。


綿貫わたぬきには『妖精境域ティル・ナ・ノーグ』に来てもらうという手もある。というより、来てもらいたいんだが……さすがに今は無理か」

「ええ、エルフたちを放ってはおけないものね」


 四季シキさんとシキさんが残念そうに言う。


「うん。遠い子孫のこれからは、さすがにちょっと見守りたいな。喜んでくれてるミヤコたちにも応えたいしね」


 アリスさんは肩をすくめ、頷いた。


「ふふ……ずいぶんと大人になったのね、あなた。昔はそんな殊勝なこと言うような子じゃなかったのに」

「あはは! 二百年も経つとさすがに貫禄もつくよ。そっちは二千年も生きてきた割にはあんまり変わってないんじゃない?」

「この姿を見てそう言えるの、感心するわ……」


「きみもそういうところは変わっていないね、綿貫。懐かしいな」

「あんたもよ? 歳也としや。一歩引いたところでちょっと得意げな顔してるところとか、昔のままじゃん!」

「言われちゃったわね、四季シキ

「……参ったね、どうも」


 三人に流れる空気は、あたたかく穏やかだ。

 いかにも友達同士といった軽口に、僕らも自然と口元が綻ぶ。


 叶うのならいつまでも、このやり取りを見ていたい——そんなことをぼんやり思っていた中。アリスさんがふと、思い出したように言った。


「ところでさ。薫子かおるこたちがこうなってる理由はなんとなくわかるけど、その他のあれこれがさっぱりなんだよね。スイくん、事情知ってるみたいだし、教えてもらえない?」

「あ……」


 そういえばそうだった。

 僕は苦笑しながら、まずなにから話したもんかなと途方に暮れた。



※※※



 迷った結果、最初から順を追って説明した。


 二千年前、大魔術を行使したせいで妖精になった四季シキさんたちは、それまでの記憶をほとんど失ってしまっていたこと。つい最近まで、気ままに暮らしていたこと。


 それが最近になって、偶然、僕らが妖精の姿を認識し——シキさんが幽世かくりよの外に出られるよう奮闘する中で、彼らが元日本人であることを知って。更には『うろの森』のトラブルに際して力を借りる際、魔力交感の副作用でふたりもまた当時の記憶を思い出してきて。


 エルフ国アルフヘイムへ赴き、アリスさんがまだ生きていることを知り、奇跡的な再会を果たして——。


「……で、今に至るというわけです」

「ふえー……すっご」


 聞き終わった頃には、アリスさんは口をぽかんと開けて半笑いになっていた。


「いやあ、スイくん様様じゃん。日本からの転移者ってのがまた運命的だわ」

四季シキさんたちが日本人だったってわかった時は僕も驚きました」

「言われてみれば薫子たちのドレス、学生服っぽいな。そういうヒントも見逃さずにいてくれたおかげだねえ。転移に時代も場所も関係ないってのも面白い。きみのいた時代って、平成何年だったの?」

「あ、いえ。もう平成じゃなかったです」

「マジで!?」


 彼らがこちらに転移してきたのは、日本の暦でいうと今から二十六、七年ほど前のようだ。その当時に中学生だったんなら、ええと……生まれ年はうちの父さんと同じくらいになるのかな? こちらの世界の時間軸では二千年も開いているので、頭がこんがらがってくる。


 日本が平成を終え令和になっていることに感慨深げな顔をするアリスさんに、四季シキさんたちが申し訳なさそうに言う。


「そういうわけでね。魔王がまだ残っていたことも、きみたちが再び戦ったことも、阿形あがたたちが命を落としたことも……ぼくらはここに来るまで、ちっとも知らなかったんだ。本当にすまない」

「千八百年前になにをしていたのかは、わたしたちもまったく思い出せないの。たぶん、生まれ変わったあとの何百年かをかけて、自我を再形成……『妖精境域ティル・ナ・ノーグ』を創造していたんじゃないかと思うわ」


「いいんだよ、そんなこと」


 けれどアリスさんは、からっとした笑顔を返す。


「そりゃあね、しんどい思いもしたし、あんたたちがいてくれたらなって思った時もたくさんあった。でもそれ以上に、私たちは満ち足りてたよ。薫子と歳也と坊やたちが、どこか別の場所で幸せに暮らしてる……そう思うと、こっちも頑張んなきゃって気持ちになれた。あんたたちがいなくて苦しかったことよりも、あんたたちを想って勇気付けられたことの方が、遥かに多かったよ、みんなね」


 ただやっぱり最後はまた涙ぐみながら、シキさんの頭を撫でながら。


「ほんとはそういう話、ずっとずっとしてたいんだけどなあ……」


 と——。

 アリスさんが無念そうに、部屋の扉を見遣る。


 それとほぼ同時だった。


「わん!」

「どうした、ショコラ」

「わうっ」


 ドアがわずかに開くと、隙間からショコラが身体を滑り込ませて僕らのところへと駆け寄って、ひと吠えしてきた。

 尻尾は振っていない。つまり、なにかしらせに来てくれたのか。


 次いで廊下から、母さんの声。


「スイくんー? エミシが、もう話は終わったか、って言ってるわ」


 ちょっとばかり演技じみた説明口調の呼びかけだった。

 そうか——いつの間にか、けっこう時間が経っちゃってたんだな。


「うん。さすがにそろそろかな。私も実はちょー眠いんだよねえ。時間が止まってたとはいえ、魔王と不眠不休で戦ってる最中だったし」

「ああ、確かにそれは……」


 アリスさんに四季シキさん、シキさんと目配せし合う。

 名残惜しいけど、今夜のところはここまでか。


「スイくん、どうかしら? お話があるならまだ待っててもらうけど」

「大丈夫。入ってもらって。……アリスさん、ひとまずゆっくり休んでください。これからのことは目が覚めてからにしましょう」

「わたしたちも『妖精境域ティル・ナ・ノーグ』から見ているから。いつでもここに来られるし、あなたの傍にいられる。だから焦る必要はないわ」


 僕とシキさんの言葉に、アリスさんは笑顔で頷く。

 頷き——唇を引き結び、真面目な表情で言うのだった。


「そうだね。時間はたくさんある……時間をたくさん作るためにも、魔王をどうにかしなきゃいけない。明日からはその話をしようか」

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