だって、お母さんだもの

 そして、綿貫わたぬきアリスさんは微笑みを浮かべた。


 全員が固唾を飲む中、自分が命を狙われた後だというのに。

 穏やかに、優しげに。

 陽だまりのように、笑ったのだ。


 なぜだろう、彼女のその姿に既視感があった。

 どこかで見たことがあるような、そんな気がした。


 アリスさんはまず僕らに視線を定める。


「私を領域から引っ張り出してくれた、きみ。ありがとう。スイ、で合ってるかな。それから後ろの人はきみと顔が似てる。お母さん? エルフの子はきみの恋人かな? ふふ、いいね」

「あ、その……はい」

「ぐるる……」

「うん、そうだね、わんちゃん。きみもスイくんの家族だ。大丈夫、わかってるよ。……私たちと小町こまちもそうだったから」

「わうっ!」


 次いで、


「意識はあっても身体がいうことを聞かなくてさ。瞼も開かなかったから、名前と顔が一致してるか自信がないんだ。そこのきみがメイシャルで……」


 メイシャルさんと、


「そっちの子が、ミヤコ。合ってるよね? いま来たばかりの三人の名前も教えてくれるかな」


 ミヤコさんと、


「は! エミシ=アクアノと申します」

「ユズリハ=シルキアです、始祖さま」

「っ……モアタ=ピューレイと申す者です! 始祖六氏族とは血が遠く、私なぞ、始祖さまのご尊顔を拝するには不遜の身ですが……」


 エミシさんたちに。


 モアタさんはさすが血統主義というか、お殿様でも前にした時みたいにめちゃくちゃかしこまっている。頭を下げ、今にも床に平伏せんばかりの勢いだ……。


 だけどそんなモアタさんに、アリスさんは首を振った。

 降りつつ、なおも優しげに——言う。


「血が遠い、なんて悲しいことを言わないでよ。……


「あ……」

 そこで、僕は気付く。

 既視感の正体。

 彼女のあの顔を、どこで見たことがあるのかに。


 母さんだ。


 アリスさんと母さんでは、顔だちも外見年齢も背格好もなにもかもが違う。でも、似ている。あの眼差しとあの微笑み、あの穏やかな空気。


 母さんが、僕を見る時の顔と同じ——母親が子供に向ける顔なんだ。


 ただ一方でもちろん、アリスさんにはアリスさんの為人ひととなりがある。

 彼女はだいぶ気安い感じの性格みたいだった。


「しっかし、千八百年も経ってたかあ。長いよねえ。日本でいうと、邪馬台国やまたいこくとかそんな感じ? 卑弥呼ひみこさまが目覚めたみたいな?」

「自分で卑弥呼とか言っちゃって」

「……ボケても相方いないの、ちょっと寂しいな」


 シキさんが、思わず、といった調子でアリスさんにつっこみ、けれどアリスさんにはまだ彼女のことを認識できず、誤魔化すように肩をすくめる。


 でも、それでも僕らにはわかった。シキさんの合いの手、すごく早かったんだ。まるで長年——ずっと、そうやってきたみたいに。


「始祖っていうけどね、最初のエルフは十二……十三人だっけな。そのくらいだったんだ」


 アリスさんは視線をエミシさんたちに戻す。

 かつての遥かな過去、二千年前に思いを馳せながら。


「モアタ、きみがさっき『六氏族』って言った通り、私たち六人と、その家族だよ。みんな普通の人間だったのが、ある時、ある出来事をきっかけにエルフになっちゃったんだ。……まあ、種族としてだと数は少ないよね」


 とはいえ、時の止まっていた期間を差し引けば二百年前のこと。

 二百年——長くはあるけれど、アリスさんにとってはまだまだ鮮明なようだった。


「未来のため、数を増やす必要があった。私は子供の頃に病気をして、赤ちゃんが産めない身体だったんだけどさ、種族が変わって身体が作り替えられたせいか、できるようになったんだよね。嬉しかった……嬉しかったなあ」

「アリス、本当に……!? アテナク綿貫の名前が残ってたから、気になっていたのよ、私」


 シキさんががばっと身を乗り出す。きっと仲間たちの間では周知のことだったのだろう。


「寿命も長くなってたからね、子供をじゃがぽこ、十五人も産んだわ。ざっとの三倍よ。『悪魔のくさび』もほとんど見られなくなってたし、みんなみんな、健やかに育ってくれた」


 あの子。

 十五人の三分の一、つまり五人の子供。


「ねえ、四季シキ……」

「うん。ぼくらが変じたことは、世界に不幸を呼ぶばかりじゃなかったんだね」

「それに……覚えてくれてたわ。アリスが私たちのこと、覚えてくれてるのよ」


 四季シキさんとシキさんが肩を寄せ合い声を潤ませる。

 だから僕はふたりに視線を送る。


 もう少し待ってて、と。

 絶対に、あなたたちを再会させるから——。


「十五人の子供のうち、ひとりが私の家の名前を継いで、もうひとりが夫の家の名前を継いだわ。それ以外の子は新しく家を起こした。他の仲間……あなたたちが始祖と呼んでいるやつらも、同じように子供をたくさん作って、育てて。寿命までは遺伝してなくて、私らほど長生きはしない身体だったから、たくさんの子を見送ってもきたよ。魔王がまた現れるまでは……や、魔王のことは後でいっか」


 だけど——遠くを見ていたアリスさんの視線がやがて、現在いまに戻ってくる。


「私が言いたいのはね。……メイシャル」


 名を呼ばれたメイシャルさんが、うつむけていた顔をゆるゆると上げた。

 それに笑みを返して、さらに。


「ミヤコ。エミシ。ユズリハ。モアタ。それから、カレン。……顔をよく見せて? 私の可愛い、子供たち」


 エルフたちの——子孫の名前を、ひとりひとり、宝石を抱えるように。

 アリスさんは、言う。

 母親の微笑みで、言うのだ。


「千八百年も経ってるから、あなたたちにとっては遠い人なのかもしれないけどさ。それでもみんなは、私たち始祖の生きた証なんだ」


 こっちへ歩み寄ってくる。

 どこか楽しげに、嬉しそうに。


「ねえ、メイシャル。だから、中身がないとか空っぽだとか、そんなことを言わないで。自分に生まれてきた意味がないみたいに言わないで。あなたがここにいる、生まれてきた……それだけで私は嬉しい。すごく、嬉しいんだよ」


 茫然とするメイシャルさんの頭を、よしよしと撫でて。


「ミヤコ。直系の家が今も続いてるのはすごいと思う。歴史の重さと、そこに詰まったたくさんの人たちの想いを感じるよ。でもね……さっきも言ったけど、エルフの子たちはみんな、私たちから始まってるんだ。どんな家名だったって、私と直接の血が繋がってなくたって、みんなみんな大切な、私たちの子供なんだ。あなたもなんだよ、ミヤコ。それに、モアタ」


 滂沱ぼうだするミヤコさんをそっと抱きしめて。

 感動のあまり身を震わせるモアタさんの背中を軽く叩き、


「エミシ、ユズリハ。アクアノ……あくあの……もしかして、中野なかの? シルキアは、白河しらかわかな。ちょっと発音が変わっちゃってるけど、ふたりの苗字が残ってるのは面白いな。後で話をさせてね」


 エミシさんとユズリハさんの肩を、それぞれぽんぽんとして。

 最後に、カレンへと向き直る。


「カレン」

「……はい」

「不思議だね。二千年も経ってるのに、きみにはなんだか面影がある。苗字はなんていうの?」

「クィーオーユ、です」

「クィーオーユかあ。うーん……新しくできた苗字かな」


「……元になったのは、うえです」


 僕は思わず言ってしまった。


「え、なに。成り立ちって伝わってるの?」

「いえ、伝わっていません。でも諸事情で、ちょっと知ってて。その……カレンは、木ノ上さんの直系の子孫です」

「そっか」


 一瞬だけ怪訝な顔をしたアリスさんだったが、すぐに切り替えたようで、改めて微笑みを浮かべ——愛おしげに、カレンへの頬を撫でた。


「じゃあ、あの子の面影があるのも納得だ。先祖返りっていうのかな。……でも、だったら、私にちっとも似てないのは不公平だなあ」

「え……?」


 どういうこと、とカレンが問う前に、アリスさんは答えを言う。


「クィーオーユの祖先、シュウイチ……木ノ上柊一しゅういちね。私の旦那なんだ。木ノ上と綿貫は、私たちふたりから分かれたんだよ」

「じゃあ……」

「そう。あなたも私の子供ってわけ。血の繋がった、ね」




 僕は思わず四季シキさんたちを見る。

 ふたりはきっと知っていたのだろう。万感の込められた表情でアリスさんと、それから驚くカレンに視線を送っていた。





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 コメント欄で質問がちょいちょいあったのでこちらで。

 大魔術の余波でエルフになったのは、綿貫さんたち六人+その家族七人の、計十三人です。綿貫さんと木ノ上さん以外も、当時すでに(現地の人と)結婚していたり、子供がいたりなどしました。その十三人が始祖六氏族の始まり、という感じ。

 その中でも特に元日本人だった六人は、他の七人よりも大魔術の影響が強く、寿命も長くなっています。なので『始祖』という呼称はこの六人を指して使われることも多いです。

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