四季と色によせて

どうしてこんなことをと問えば

 少し時間をさかのぼって、アリスさんを結界から引っ張り出した後の話だ。


 一瞬だけ感じた強い憎悪と、それがメイシャル=ファズアジクからのものであることに気付いた僕は、顔には出さないようにしながらこっそり手を打っていた。

 できるならアリスさんをこっちで保護したかったけどそれは果たせなかったので、なおさらだ。


 帰りの道中、スマホのメモ帳に文章を書いてこっそり四季シキさんに見せる——こういう時にスマホは便利だ。異世界の道具だと説明しておけばそれ以上はつっこまれないし、通信水晶クリスタルより長くて詳細な文章が打てることを誰も想像できないから。おまけに、誰にも認識できない相手に画面を見せているわけだし。


 内容は、長老会のひとりがおそらくアリスさんに害意を持っていること。

 なにがあるかわからないこと。

 僕らは寝ずに起きているから、その時は報せに来てほしいこと——。


 表情を険しくさせた四季シキさんは「わかった」と短くつぶやく。どのみち、四季シキさんもシキさんもアリスさんのそばを離れる気はなかったようなので、あとは僕らが気を張っていればいい。


 それからアリスさんに、僕の防護結界をほどこす。家族以外の相手には意識して張り続けないといけなくて、おまけにある程度離れてしまうと維持できないという欠点があるのだが、幸いなことに『妖精の雫』のおかげで魔術の出力は上がっている。大丈夫だろうという確信があった。


 あとは結界の効果が切れないよう、そしてすぐに駆けつけられるよう、適当なことを言ってエミシさんのところに泊まらせてもらい——待つこと、半日。


 誰もが寝静まったであろう夜半に、は動いたというわけだ。



※※※



 路地を疾走し、公園を飛び越え、森を突っ切り、まっすぐ一直線のルートで急いだ。

 四季シキさんの案内はもちろん、ベルデさんたちが遭難した時に使った魔力探査もある。なので位置はわかっていた。


 たぶん、二分もかからなかっただろう。

 辿り着いたのは屋敷——おそらくは、ミヤコさんの。


「緊急事態だから侵入させてもらおう。音はたてたくない」

「ん、私がやる」


 カレンが一階の窓へ手をかざす。


「——夢にDr問わずTw沁みてStよろめきYk蟻がT這うSy……『靄破あいは』」


 魔術が稼働。霧がじわりと湧き出て窓ガラスを覆い、やがて音もなくさらさらと、砂よりも細かな粒と砕けていく。


「ありがとう、カレン。四季シキさん、ここからのルートはわかりますか?」

綿貫わたぬきは三階だ。だけど最短となると……」

「了解です。じゃあショコラ、頼む」

「わうっ!」


 僕らを促すようにこっちを振り向いてひと吠えし、ジャンプして屋敷に入っていくショコラ。ちゃんとアリスさんの匂いを覚えているのだ。かしこい。


 ショコラの先導に従い廊下を走り、階段を上がる。途中、使用人さんらしき影が隅に倒れているのが見えた。魔力を探った限り意識を失っているだけで、手当の必要も時間もないので無視させてもらう。


 そうして。

 僕らは目的の部屋に辿り着き、立ち止まって静かに扉を開ける。


「……そこまでです」


 僕が声を発し、母さんが天井の魔道灯まどうとうけ、明るさに照らされたのは。


 ベッドに寝かされているアリスさんと。

 彼女にナイフを振り下ろそうとしていた——いや、振り下ろしてし損じたのか——メイシャル=ファズアジクと。

 アリスさんの上に覆いかぶさり、彼を睨みあげているシキさんだった。


 さしものメイシャルさんも、驚きに目を見開きこちらへ振り返る。


「なぜ、ここを」

「企業秘密です。……ナイフを捨ててください」

「っ……」

「捨ててください」


 直後、がしゃん! と。

 背後で大きくガラスの割れる音がした。


 四季シキさんだ。人を呼ぶためにやってくれたのだろう。


「なにごとじゃ!? ……っ」


 ほどなくして。

 慌てた様子で駆けつけてきたミヤコさんが、光景に絶句する。


 僕は彼女を一瞥だけすると、メイシャルさんを再び睨んだ。


「もう諦めてください。ナイフを振り下ろしても無駄ですよ。僕の結界は変異種の……稀存種の攻撃すら通さない。それに、逃げられもしない。ショコラの鼻はもうあなたのことを覚えた」

「ばうっ! ぐるるるる……」


 牙を剥いて唸るショコラと、己を取り囲む人数、それと魔力の威圧にようやく——彼は断念する。


 歯咬はがみしながらナイフを放り、だけど忌々しげに、ベッドに眠っているアリスさんを睨みつけた。いつでも魔術を放てる体勢の僕らをまるで見ていない。


 張り詰めたような気まずいような、重い空気の中。

 震える声を発したのは、ミヤコさんだった。


「……なぜじゃ、ファズアジクの」


 それは至極当然の、問い。


「そなた、なぜ。このような。恐ろしいことを……」

「恐ろしい、か」


 対するメイシャルさんは、自嘲気味に笑んだ。

 これが——こんなものが、僕らに見せてくれた初めての笑顔だなんて。


 彼は言う。

 くらい眼をして。


「私にはお前たちの思想の方がよほど恐ろしいよ。始祖このようなもののために今を生きる者たちの人生を歪め、不幸にし、踏みにじっておきながら、罪悪感の欠片もなく、まるで子供のような顔で眼を輝かせる。なにが始祖の想いだ。始祖に喜んでもらいたい、だ」


 唇を、頬を歪め。


「まったく結構なことだな、ミヤコ=ヴェーダ。幼子おさなごの頃に抱いた純真な気持ちを今でも持ち続けていられるのは、本当に羨ましい。


「……どういうことです。この際だ、僕らにもわかるように説明してください」

「お前たちには無関係だ……と言いたいところだが、始祖を引き戻した当人だからな。依頼されただけとはいえ、正直、私はお前のことも憎い。いいだろう、教えてやる。だが、込み入ってもいなければ悲劇的でもない、ひどくつまらん話だぞ。舞台劇にしたとしても客など寄ってこん」

「関係ありません。あなたは舞台劇の役者じゃない、生きてる人間だ。僕が知りたいのは事情じゃなくてあなたの気持ちだ。あなたがなにを考えているかだ」


 僕がそう返すと、彼は——メイシャル=ファズアジクさんは。

 どこか悲しげに息を吐き、そうしてミヤコさんを再びめつけて、


「三十年ほど前のことだ。シルキア分家の男が、ひとりの女と想い合っていた。だが、ふたりはそこの老人により強引に引き離され、男はシルキア本家令嬢の夫となった。……そして残された女は失意の中、似たような境遇の男を見付けだす。自分と同様に、血統主義者たちによって人生を狂わされた男をだ」


 くつくつと、神経質そうに。

 己の首筋を掻きむしりながら、吐き捨てる。




「私は、そんな両親のもとに生まれ、ふたりの復讐のためだけに育てられてきた。長老会に入り込み、血統主義派の連中を失墜させるための道具としてな」

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