夜闇に寝静まる頃

 アリスさんは目覚めないまま、エルフ国アルフヘイムに保護されることとなった。


 僕の見立てでは眠っているだけだ。

 千八百年にわたって因果遅延の空間にいたせいで、反動がきている。たとえば映画を見ているとして、シーンの途中でスクリーンが前触れなく急に別の映画に切り替わったら、視覚と頭がついていけずに目の前がくらっとくると思うけど——そういうのの、すごく極端なやつ。別に病気とかではないので、一両日もあれば目を覚ますだろうというぼんやりとした予測があった。


 もちろんこれはあくまで、闇属性の魔力を持つ者としての勘みたいなものだ。理論的な根拠や実証があるわけでもない。エルフたちが心配して検査したがるのも無理はない話だった。


 心情的には、僕らでていたい。確かにエルフたちは彼女の子孫だけど、ここには直接の友人である四季シキさんとシキさんがいるのだから。遠い子孫との初対面よりも二千年ぶりの再会を優先させてほしくはある。


 ただやっぱり、四季シキさんたちの存在そのものを明かすわけにはいかない以上、僕らは『手伝いにきた部外者』でしかなく——アリスさんの身柄を引き渡すことだけは、避けられなかったのだった。



※※※



 そうして、その日は解散となった。

 アリスさんがどこに保護されているかも教えてもらえないまま、僕らは宿に戻る……ことなく、ゆえあってエミシさんのお宅にお邪魔している。


「悪いわね、今晩だけお世話になるわ」

「それは構わないのだが……私は立場上、歓待できないぞ。妻も娘も同様だ」


 母さんが我が物顔でお茶を飲みながら、応接間のソファーに腰掛ける。


「はぐっはぐっはぐっはぐっ」


 ショコラもまた我が物顔で、ご飯をもらってがっついていた。形状はドッグフードに似ている、小さなお団子の山だ。なんでも、とうもろこしやきびなどの粉を捏ねて茹でたやつらしい。エミシさんの奥さんがわざわざ作ってくれたそうで、ありがたい……。


 そんな奥さんと娘のハジメさんは席を外している。というか、僕らが機密情報を持っているせいで会えないのだとか。ショコラのご飯のお礼を直接言えないのが申し訳なかった。


「それにしても、なぜ我が家に? いや、来訪を厭うわけではないが」


 かく言う僕も、カレンと一緒にお茶をいただいていた。僕はさすがに遠慮がちだよ? カレンは……我が物顔でクッキーをもしゃもしゃしていました。もうどいつもこいつも我が物顔だよ。


「すみません。アリスさんのことが気になってるので」


 できるだけ近くにいたかった。

 宿のある第三区ではさすがに遠い。壁で隔てられているのも難点だし。


「我が国の医療技術は、他国に引けをとるものではない。なにより、目覚めていないだけで健康体だと言っていたのは他ならないきみではないか」

「まあ、そうなんですけど……」


 歯切れを悪くせざるを得ないのがちょっと申し訳ない。


「万が一ってことがないとも限らないし、僕にも責任があります。できれば付き添わせてもらいたかったくらいですよ」

「心情は理解できる。だがこれはやはりあくまで、我が国の問題なのだ。……血統主義の連中にも落とし所が必要、と言った方がいいか」

「始祖であるアリスさんのお世話を任せることで、彼らの心に余裕ができるってことですか」

「きみたちにも悪い話ではないはずだ。……特に、血統主義派を率いるミヤコ老は、きみに感謝しているだろう。悪い言い方をするが、ここできみが前に出すぎると、せっかくを邪魔に思い始めるかも知れない」


 エミシさんのその言い草に、思わず苦笑した。

 きっとこの人も、血統主義の考えを苦々しくは思ってたんだろうな。


 そして、だからこそ。

 彼はひとつの懸念を抱いている。


「……ただそれだけに、懸念けねんは始祖さまだ。あの方がお目覚めになった後、なにを思いどんな言葉を口にするのか。それ如何いかんによって、趨勢すうせいは変わるやもしれん」


 そもそもミヤコさんがあんな思想を持つに至った動機は、アリスさんである。

 アリスさんが目覚めた時、六氏族の血が続いていることを喜んでもらいたい——そんな願いを抱き、そんな願いのもと、彼女はひたすらに邁進まいしんしてきた。


 ならばミヤコさんにとっておそらく、アリスさんの言葉は絶対のはずなのだ。


 エミシさんが心配しているのは、アリスさんがミヤコさんに賛同してしまうことなのだろう。『私たちの血を残してくれていてありがとう』くらいならまだいいが、『これからも残していってね』なんて言われた日には——大義名分がお墨付き、揺るがないものになってしまう。


 もちろん僕はそんな心配をほとんどしていない。

 だってシキさんの親友だからね。それも、身を犠牲にして子孫たちを守った人なんだ。きっとミヤコさんの心を救ってくれると信じている。……百年の時間を経て、大切なものを守ろうとするあまり別の視点がその手から滑り落ちてしまっている、あの人の心を。


 ——ともあれ。


 エミシさんを交えて、そんな話をぽつぽつとしつつ。

 魔力を大量に使ってさすがに気疲れしていたので仮眠などを取りつつ。

 時間が経ち、夜になり、アクアノの屋敷に静けさがやってくる。僕らはあてがわれた寝室で、ベッドに入り——待った。


 たぶん、なら今夜だろう。

 まだアリスさんが目覚めていないうちのはずだ。


 確証はなかったし、はっきり言ってしまえばこれも、勘だ。

 だけど闇属性で因果を操る僕の『勘』は、かなり当たる。は特に。


「スイくん!」


 そしてそれは、夜半。真夜中にやってきた。

 寝室に響く大声。鼓膜を震わせるのは、僕ら家族以外には誰にも聞こえない、妖精王の呼び声。


「相手が動いた!」

「わかりました」


 上半身を起こす。僕だけじゃなく、カレンも、母さんも、ショコラも。


「悪い予感が当たったわね」

「ん、……アリスさんが気の毒。せっかく戻ってきたのに」

「仕方ないよ。行こう」

「わうっ!」


 全員、これを見越してすでに着替えていた。

 寝室から出る。控えてくれていた使用人のお姉さんが驚いてあんぐりするのへ手早く伝言を頼んだ。エミシさんを起こしてもらうこと、後から合流してほしいこと。


「急ぎます。かなり速いんで、四季シキさんは『妖精境域あっち』を経由しながら先導してください」

「ありがとう、助かる。……現場にはシキもいる。頼んだ」


 僕らは夜の闇、第二区の路地を駆け始める。

 相手はきっと、アリスさんを殺そうとしてくるはずだ。防護結界を張っているから達成はできないはずだが、それでも逃すわけにはいかない。



※※※



 日中のことを思い出す。

 アリスさんを因果遅延の空間から引っ張り出し、一同が喜ぶ中。

 一瞬だけ、


 それは泥沼のような、破壊衝動のような、どろどろしていて尖った感情。

 今まで巧妙に冷静に覆い隠していたものが、我慢できずに刹那だけ溢れ出てきた、溢れ出てしまった——そんな。


 僕はそれを感じ取ったから、第二区に留まり、備えてきたんだ。




 憎悪のぬしは、メイシャル=ファズアジク。

 長老会のメンバー。

 初対面で名乗って以降、ひと言も口を開かずにいたあの青年だった。

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