水の中に潜るように

 準備してほしいものはあるかと問われたので、ショコラのミルクを所望した。

 そういう意味ではないのだが……と困り顔をするエミシさんたちに、僕は笑う。


「特殊な魔道補助具や触媒が必要とかではないんですよ。だったら、とりあえず終わった後にねぎらってもらえればいいかなって。さすがに今日はこれをやったらへとへとになるかもしれないし」


 そのままの流れで魔王まで——というのはさすがにやめておいた方がいい。

 というより、あの化け物についての情報がなさすぎる。アリスさんを救出して話を聞けば、その辺りが補強されてより挑みやすくなるはずなんだ。


「なので、休憩終わりってことで。慌ただしいですけど、すぐに向かいましょう」


 みんながお茶を飲み終わっているのを見計らい、僕はソファーから立った。

 ただ、休憩終わりというのは方便だ。


「ありがとう、スイさん。わたしたちのために急いでくれたのよね?」

「すまない。……でも、ぼくも待ちきれない」


 だって、長老会の面々の背後にいる四季シキさんとシキさん——ふたりの表情が、今にも崩れそうなほどに切羽詰まっていたから。



※※※



 かくしてわずか三十分ほどの休息を経て、僕らは再び第ゼロ区へと戻ってくる。


 報告は別室で、と長老会に言われた時は手間だなあと思ったけど、確かにこの空間、あまり居心地がよくないんだよね。静寂が落ち着かないし、目の前にどえらい化け物いるし、そのくせなんの気配も伝わってこないし……。化石博物館にいるようでいて、なのに動物園の檻の中にいるようでもあって、とにかく不安になってくるのだ。


「……正直、同じ闇属性といえども、もはや俺などとは次元が違いすぎて推し量れん。だが聞いておかねばならん。始祖さまの救出をどのような方法で行うのだ?」


 第零区の扉を潜った後、モアタさんがそう問うてくる。

 まあ確かに『理屈はわからないけどできますよ』ではそうそう信用できないよね。しかも国家機密を前に。


 ただ、いいタイミングだ。

 僕はついさっき思い付いたをひとつ、くことにした。


「説明する前に……魔力から記憶を読み取ったって言いましたよね。その中でわかったことがあるので、皆さんに教えておきます。この人——始祖のエルフの名前はアリスさんといいます」


 それは『鑑定』に関するものだ。


 四季シキさんたちの存在、二千年前の世界改変、始祖の名前と出自。

 そういった——僕らは知っているけど彼らは知らない謎や、僕らがどこで知ったのかを彼らに言えない秘密を抱えたまま、これから先、どう情報を共有していけばいいのか。


 ずっと考えていた。

 結果、『鑑定』のせいにしてしまおうと思ったのだ。


 僕が魔力から記憶を読み取れるのは嘘じゃないし、なにを読み取ったのかなんて向こうにはわかるはずもないし、だったらこうすればボロを出さずに済むかなって。……さっきうっかり『アリスさん』って呼びかけて焦ったので、そういう意味でも咄嗟の時に「鑑定で知りました」ってごまかせるようになるはずだ。


「アリス……そうか、アリスさまか」

「アリスさま……おお……」


 案の定というかなんというか、モアタさんとミヤコさんが感激して身を震わせていた。エミシさんたちすら感じ入ったように居住まいをただしている。


「スイくん、上手いわね」

「ん、完璧」

「わふう……」


 小声で褒めてくれる母さんとカレン。

 ショコラはお前……ひょっとして眠いのか……?


「ふしゅん」


 小さく鼻を鳴らしてその場で丸くなるショコラ。こんな場所でそんなリラックスできるとは。こいつが一番、肝が据わってるよね。


「こほん。で、やり方ですが……まず、重要なのは因果遅延にどう対処するかです。因果遅延とはつまり。ボールを床に放るのが原因なら、その結果は地面に落ちるということ。この『落ちる』という結果を先延ばしすると、本来なら一秒後に落ちてくるボールが落ちてこない。すると見かけ上、ボールは空中に静止していることになります」


 これを生物に使えば、動きが止まる。生命活動のあらゆるすべての『結果』が先延ばしされることで、擬似的に時間が停止する。


「ただ今回、魔王とアリスさんの時を止めているのは空間そのものにかかった因果遅延です。僕の『深更梯退しんこうていたい』を単体攻撃とするなら、こっちは範囲攻撃。領域に踏み込んだ者すべての因果が遅延し、時を止めてしまう。……なら、どうするか、どう干渉するか」


 重要なことは——、


「カレンの魔導で魔術を消し去ってしまえば済むことですが、それをやるとアリスさんだけじゃなくて魔王まで復活する。魔王については今は置いておくとして、少なくともこの結界はギリギリまで保たせておきたい。なので、アリスさんを範囲外に引っ張り出す」


「途方もない。説明を聞いているだけでも絶望的なのに。まるで波紋を立てずに泳げと言っているようなものだ……」


 お手上げ、というようにエミシさんが首を振った。

 ただその言葉は——その比喩は、けっこう的確な気がする。


「そうです。波紋を立てずに泳ぐんです。つまり、水の中に潜ってしまえばいい。水中で進めば、水面にさざなみは起きないでしょう?」

「どういうことだ……?」


 僕は言う。

 たぶんこれが正解で、これならやれる——と。



 腰の剣を抜く。

 リディル。父さんから授けられた魔剣は、僕の魔力ともよく馴染む。闇属性の魔導を編んで纏わせるには、うってつけの代物だ。



「闇属性が干渉できるのは、時空。原因と結果、現在から未来、その糸車を回したり止めたりすることで、因果を操作する魔術。つまり……」


 刀身に鎖が一本。

 ふわりと浮き出てきて、じゃらりと絡む。

 真っ黒なそいつは、言わば釣り糸だ。


「この鎖を放ると、アリスさんまで届き、絡まる。原因は鎖の投擲とうてき、結果はアリスさんへの到達。もちろん結界の中では因果が遅延していて、ただの鎖であれば空中で静止する。でも……もしその鎖の速度が、とんでもなく速ければ? 『アリスさんへの到達』という遠い未来の結果を、すぐそこまで引き寄せられるなら?」


 僕は剣を肩に担ぐようにして構え、振りかぶって——魔力の鎖を、放る。





「いきます……『黎明過仄れいめいかそく』」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る