その10『仔の叫び、世界の涙』

牢獄のアリス

まずは調査を進めよう

 けて次の日からさっそく、準備が始まった。


 とにもかくにもまずやるべきことは、結界——綿貫わたぬきさんと魔王の時を止めている魔術を、調査することである。


 見たところ、僕の『深更梯退しんこうていたい』と同系統、因果の遅延を行っていることは間違いないようだ。ただ、だとしても僕に干渉が可能なのか。解除なり改変なり補強なりができるのか。そこの検証から始めなければならなかった。


「こっちの準備はできたわよ、スイくん。いつでもいいわ」

「ん、任せて」

「わうっ!」

「了解。じゃあ、行くよ」


 ……と、いうわけで。

 第ゼロ区では現在、ちょっと格好の悪いやりとりが繰り広げられていた。


 僕の腰にはロープが巻かれてある。その繋がった先を握っているのは母さん。カレンとショコラはわきで身構え、魔力を巡らせていた。

 そして僕は母さんに命綱を預けながら、結界にゆっくり近付いているのであった。


 もちろん、こんなことをしているのには理由がある。


 魔術を解析するには、つぶさな観測が必要だ。しかしこの因果遅延は空間そのものにかけられており、効果範囲外の離れた場所からだと完全な——術式はもちろん魔力の一切が感じ取れないのだ。


 観測するには近付いて、術式に触れてみるしかない。もちろん、不用意に近付くと効果範囲内に踏み込むことになり、そうなると取り込まれ、こちらの時間まで止まってしまう。なので必然——ぎりぎりまで接近した上で、かつこちらの時間を止められないよう注意しながら、術式を構成する魔力の流れを把握する。

 そういったことが必要になるのだった。


 結果、解決案として採用されたのがこのロープだ。


 僕の腰にロープを巻きつけて、綱引きの要領でいつでも引き戻せるようにしつつ、じわじわ歩み寄っていこうというわけである。ロープには『不滅』の特性を付与しており、切れることがないように。カレンは万が一の場合、いつでも魔術無効化マジックキャンセルを使えるように。その際、浮いている変異種が結界を脱するかもしれないから、ショコラはそいつらをすぐ仕留められるように。


 要するに、僕が取り込まれかけたら家族に引き戻してもらう作戦だった。


「指先でも触れられればきっと、なんとかなるはず……」


 ひとりごちながらおそるおそる一歩ずつ、手を伸ばしつつ近寄っていく。

 変異種の数が少なめの方角を、二十メートルくらいの距離から。


 十八メートル。まだ魔力は感じない。

 十七メートル。まだだ。

 十六メートル、十五メートル、十四、十三、十二、十一。

 魔王と綿貫わたぬきさんまで十メートルほど。そこまで指先が達した瞬間、術式を感知した。


「これだ!」


 即座に、感知した術式に宿る記憶を読み取る——鑑定魔術を発動させ、組成構造を頭ではなく感覚で理解しようと試みる。


「ス……」

 ——『す』?


 僕の耳に背後から、そんな声が聞こえたと思った瞬間だった。



「rrrkndい丈夫!? スイくん、スイくん!!」

「わあっ?!」



 

 圧縮された音に続く耳元の大声が、鼓膜を震わせた。


「なに今の、びっくりした……!」

「大丈夫ね? なんともない?」

「え、……え?」


 いつの間にか僕は、母さんに背後から抱き締められている。


「よかった……どうなることかと」

「ん、危なかった」

「わん! わんわんわん!」


 母さんがほっとした表情でへたり込んでいた。

 カレンが泣きそうな顔で僕の手を握っていた。

 ショコラは幾度も吠えてから、僕のほっぺたをべろべろ舐める。


「え、なに? なにがどうしたの……」

「スイくん。きみは止まっていた。……およそ三分ほどだ」

「え……」


 立ち会いのエミシさんが、少し上擦った声で言ってきた。

 心なしか顔が青い。


 ……というかそれを聞いて、僕の血の気が引いた。


「三分? 僕が、止まってた……?」

「ああ。ヴィオレが呼びかけても返事がなくなり、慌てて救出にかかった。しかし綱を引っ張ってもびくともしない。仕方なく、カレンが魔術を用いてきみの周囲の魔力を消し去った」

「マジックキャンセルしたんですか? 変異種は?」

「二匹、結界から脱したがクー・シーが仕留めたよ」


「まじかよ、時間が完全に飛んでる」

「わんっ!」

「よしよし。……ふたりも、ありがとう」


 尻尾を振ってじゃれついてくるショコラを撫で、顔を青くしているカレンと母さんにお礼を言い、僕は立ち上がる。腕を回してみたり体内魔力の巡りに集中したり、ひと通り確認してみたけど平気そうだ。


「肝が冷えたわ。スイくんは返事をせずにぴくりともしないし、どんなにロープを引いてもうんともすんとも言わなくて」

「たぶん、綱を引く力の伝達も遅延してたんだ。因果遅延は、ものごとの結果が先延ばしされる魔術だから」

「でも、私の無効化は効いた。……効いてよかった」

「魔力そのものを分解したからだろうね。代わりに変異種も一緒になっちゃったみたいだけど……」

「わうっ!」

「ん、ショコラがすぐにやっつけた。ヴィオレさまが氷牢ひょうろうで閉じ込めたから爆発の被害もない」

「そっか。改めてみんなありがとう。エミシさんたちもご心配をおかけしました」


 背後にはエミシさんだけではなく、他の長老会の面々も控えている。が、ユズリハさんやモアタさん、ミヤコさんはもちろん、昨日はずっと鉄面皮だったメイシャルさんも目をみはっているのがちょっと面白い。たぶん、うちの家族の鮮やかな手並み——魔術無効化と変異種の処理にぶったまげたのだろう。ふふん。


 ……正直、モアタさんやミヤコさんに対してはすかっとした気持ちがなくはない。どうだ見たか、これがハタノ家だ。


「いやまあ、僕は見てないんだけど……」

「どうしたの?」

「なんでもない。まあでも、危険を冒した甲斐はあったかな」


 実際には三分、体感は刹那未満。

 けれど、僕が魔術に触れてから身体に流れ込むまで——つまり術式が稼働してから僕を取り込むまでの間は、実時間でも体感でも、およそ二秒ほどかかっている。


 そしてその二秒さえあれば、観測も記憶もできるんだ。


 僕は一同を見渡し、大きく頷いて告げた。


。どんなものかはだいたいわかった。細部を吟味する必要はあると思うけど、たぶん……解決のための手は、打てると思う」


「な……あの、一瞬で」


 長老会の面々が口をあんぐりと開け、硬直する。




「よかった。もう一回やりたいって言われたら、お母さん、怖くて泣いちゃうところだったわ」

「ん、これ以上、あの結界を削るのも避けたかった」

「わうっ!」


 そしてそれとは対照的に、ハタノ家の面々は安堵にほっと胸を撫でおろすのだった。





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 第十章の始まりです!

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