買い食いにでも行きましょう

 依頼を受けることにしたとはいえ、今すぐの決行とはならない。スケジュール合わせとか他派閥への折衝せっしょうとか諸々の調整を経て、城の中へ入れるようになるまで、二日三日はかかってしまうそうだ。


「条件が整ったら連絡を入れる。では、よろしく頼む」


 話し合いを終え、エミシさんは部屋を辞した。おそらくはその足で長老会へ赴き、交渉を開始するのだろう。別れの挨拶をスイッチにしたかのように、彼の顔は再び感情の読めない仏頂面へと変わっていたから。


 彼はひとりで出て行ったので——僕らハタノ家の面々に加えて、エジェティアの双子、そしてハジメさんが部屋に残されることとなる。


 リックさんとノエミさんはともかく、ハジメさんはてっきりついていくと思ったのだが、


「『天鈴てんれい』さま。スイ殿、カレン、それにショコラ殿。……これまでの無礼をお詫びする。つっけんどんな態度を取って悪かった」


 彼女は父親を見送った後、僕らへ向かって深々と頭を下げた。

 カレンが一歩前に出て、問う。


「ん。……あなたはもう長老会の使者ではなくて、私が知ってるハジメ。そういうことでいいの?」

「ああ。先の、エミシ長老の退出をもって自分は任を終えた。職務中に知り得た情報を口外することはできないけど、それだけだ。きみの友人の、ハジメ=アクアノさ」

「そう、よかった」


 ハジメさんの頭を、よしよしと撫でるカレン。身長差があるので踵を上げながらだったけれど、その仕草はお姉ちゃんのようだった。


「はあ、疲れた……」

「まったくよ。私たちには任務があったわけじゃないけども」


 続いてリックさんとノエミさんがソファーに身体を沈み込ませる。


「ありがとう。ふたりは、万が一の時のためにいてくれたんだよね」

「ああ、まあね。……どうも、その必要はなかったみたいだったが」

「入国管理局ではひやりとしたわよ。でも、私たちが口を挟む必要もなかった。……なにもかもエミシ長老のてのひらの上だったようね」

「そうだね。でも、リックさんとノエミさんがいてくれたのは心強かったよ」


 管理局での一幕は、まさにノエミさんの言う通り——エミシさんの計画通りだったんだろう。


 管理局の局員が血統主義者たちの指示を受けている情報を掴み、僕らがそれに反発するであろうことも予測した上で、それらを利用してこの宿へ誘導できるよう仕組んだ。しかも、口八丁で局員をやり込めるというおまけ付きだ。


 あの場でのエミシさんは『強権を通して長老会の意向を無視した人』ではなく『局員の無礼を取りなして丸く収めた人』となっていた。思う通りに事態を進めた上で自分のポイントまで稼ぐなんて、まったく恐れ入る。


 カレンはハジメさんと、僕はエジェティアの双子と、それぞれしばらく談笑していた。すると母さんがおもむろに立ち上がり、僕に声をかける。


「スイくん。お母さんはちょっと、街に出てくるわ」

「外? なにか用事があるの?」

「用事、というほどでもないのだけど……ここは懐かしいから、少しね」


 母さんの微笑みは、ほんの少しだけ憂いを帯びているように見える。

 そっか——『懐かしい』か。

 この国は母さんにとって、在りし日の冒険の舞台なんだ。


「ひとりの方がいい?」

「そうね、そうさせてもらおうかしら」

「わうっ!」


 と。

 そんな母さんにショコラがひと吠えし、足元に身体を寄せていく。


「くぅーん」

「あら、あなたも懐かしくなったの? ……そうね、一緒に行きましょうか」

「わう、わんっ!」


 母さんはショコラを愛おしそうに撫で、


「南の方まで足を運んでくるわ。夕ご飯までには戻るから。……ハジメさん、いま『壁』の門は簡単に通れるの?」

「はい。さすがに第一区へは難しいですが、第二区へ行く分は問題ありません。身分証と要件さえはっきりしていれば手続きはすぐです。『天鈴』さまを禁じられる門番などいないでしょうし」

「そう、わかったわ、ありがとう。じゃあ行ってくるわね。ショコラ、おいで」

「わん!」


 僕らへ頷くと、ひとりと一匹ふたりで部屋から出ていった。

 手を振りながらそれを見送った僕は——訪れた無言の中で、一同に向き直る。


「あのさ。フライト時間が長かったせいで、僕とカレン、お昼ご飯を食べてないんだよね。夕ご飯があるから控えめにしなきゃいけなくはあるんだけど……」


 ちょうど考えていたタイミングで母さんがを言い始めたので、間抜けな感じになってしまうのだが、ともあれ。


「僕も、街に出てみたい。よかったら案内してくれないかな?」


 ルームサービスでは味気ない。

 せっかくこんな異国まで来たんだから、したいじゃないか……買い食いとか……!


 僕の提案に、カレンたちが追従した。


「ん、おなかへった。でも私、この辺りは詳しくない」

「僕らにもスイさんを連れてきた責任がある。同行したいな」

「そうね、でも私たちもやっぱり、北区画はよくわからないのよね」


 そしてみんなの視線を受けて——みんなの視線が誰を見ているのかにようやく気付き。

 ハジメさんは、きょとんとした声をあげた。


「え、……自分が、かい?」


「ん、当然」

「他に誰がいる。北区はアクアノの庭みたいなもんじゃないか」

「美味しいお店くらい知っているのでしょう?」


 カレンに、リックさんに、ノエミさんに詰められて、少しの間、どぎまぎとしていた彼女だったが——やがて咳払いをすると背筋を伸ばして気を入れ直し、ちょっとだけ胸を張って、年頃の女の子みたいに。


 得意げに、言うのだった。




「無論さ、まかせてくれたまえ。なんでも好きなものを言ってほしい、案内するから」

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