買い食いにでも行きましょう
依頼を受けることにしたとはいえ、今すぐの決行とはならない。スケジュール合わせとか他派閥への
「条件が整ったら連絡を入れる。では、よろしく頼む」
話し合いを終え、エミシさんは部屋を辞した。おそらくはその足で長老会へ赴き、交渉を開始するのだろう。別れの挨拶をスイッチにしたかのように、彼の顔は再び感情の読めない仏頂面へと変わっていたから。
彼はひとりで出て行ったので——僕らハタノ家の面々に加えて、エジェティアの双子、そしてハジメさんが部屋に残されることとなる。
リックさんとノエミさんはともかく、ハジメさんはてっきりついていくと思ったのだが、
「『
彼女は父親を見送った後、僕らへ向かって深々と頭を下げた。
カレンが一歩前に出て、問う。
「ん。……あなたはもう長老会の使者ではなくて、私が知ってるハジメ。そういうことでいいの?」
「ああ。先の、エミシ長老の退出をもって自分は任を終えた。職務中に知り得た情報を口外することはできないけど、それだけだ。きみの友人の、ハジメ=アクアノさ」
「そう、よかった」
ハジメさんの頭を、よしよしと撫でるカレン。身長差があるので踵を上げながらだったけれど、その仕草はお姉ちゃんのようだった。
「はあ、疲れた……」
「まったくよ。私たちには任務があったわけじゃないけども」
続いてリックさんとノエミさんがソファーに身体を沈み込ませる。
「ありがとう。ふたりは、万が一の時のためにいてくれたんだよね」
「ああ、まあね。……どうも、その必要はなかったみたいだったが」
「入国管理局ではひやりとしたわよ。でも、私たちが口を挟む必要もなかった。……なにもかもエミシ長老の
「そうだね。でも、リックさんとノエミさんがいてくれたのは心強かったよ」
管理局での一幕は、まさにノエミさんの言う通り——エミシさんの計画通りだったんだろう。
管理局の局員が血統主義者たちの指示を受けている情報を掴み、僕らがそれに反発するであろうことも予測した上で、それらを利用してこの宿へ誘導できるよう仕組んだ。しかも、口八丁で局員をやり込めるというおまけ付きだ。
あの場でのエミシさんは『強権を通して長老会の意向を無視した人』ではなく『局員の無礼を取りなして丸く収めた人』となっていた。思う通りに事態を進めた上で自分のポイントまで稼ぐなんて、まったく恐れ入る。
カレンはハジメさんと、僕はエジェティアの双子と、それぞれしばらく談笑していた。すると母さんがおもむろに立ち上がり、僕に声をかける。
「スイくん。お母さんはちょっと、街に出てくるわ」
「外? なにか用事があるの?」
「用事、というほどでもないのだけど……ここは懐かしいから、少しね」
母さんの微笑みは、ほんの少しだけ憂いを帯びているように見える。
そっか——『懐かしい』か。
この国は母さんにとって、在りし日の冒険の舞台なんだ。
「ひとりの方がいい?」
「そうね、そうさせてもらおうかしら」
「わうっ!」
と。
そんな母さんにショコラがひと吠えし、足元に身体を寄せていく。
「くぅーん」
「あら、あなたも懐かしくなったの? ……そうね、一緒に行きましょうか」
「わう、わんっ!」
母さんはショコラを愛おしそうに撫で、
「南の方まで足を運んでくるわ。夕ご飯までには戻るから。……ハジメさん、いま『壁』の門は簡単に通れるの?」
「はい。さすがに第一区へは難しいですが、第二区へ行く分は問題ありません。身分証と要件さえはっきりしていれば手続きはすぐです。『天鈴』さまを禁じられる門番などいないでしょうし」
「そう、わかったわ、ありがとう。じゃあ行ってくるわね。ショコラ、おいで」
「わん!」
僕らへ頷くと、
手を振りながらそれを見送った僕は——訪れた無言の中で、一同に向き直る。
「あのさ。フライト時間が長かったせいで、僕とカレン、お昼ご飯を食べてないんだよね。夕ご飯があるから控えめにしなきゃいけなくはあるんだけど……」
ちょうど考えていたタイミングで母さんが同じことを言い始めたので、間抜けな感じになってしまうのだが、ともあれ。
「僕も、街に出てみたい。よかったら案内してくれないかな?」
ルームサービスでは味気ない。
せっかくこんな異国まで来たんだから、したいじゃないか……買い食いとか……!
僕の提案に、カレンたちが追従した。
「ん、おなかへった。でも私、この辺りは詳しくない」
「僕らにもスイさんを連れてきた責任がある。同行したいな」
「そうね、でも私たちもやっぱり、北区画はよくわからないのよね」
そしてみんなの視線を受けて——みんなの視線が誰を見ているのかにようやく気付き。
ハジメさんは、きょとんとした声をあげた。
「え、……自分が、かい?」
「ん、当然」
「他に誰がいる。北区はアクアノの庭みたいなもんじゃないか」
「美味しいお店くらい知っているのでしょう?」
カレンに、リックさんに、ノエミさんに詰められて、少しの間、どぎまぎとしていた彼女だったが——やがて咳払いをすると背筋を伸ばして気を入れ直し、ちょっとだけ胸を張って、年頃の女の子みたいに。
得意げに、言うのだった。
「無論さ、まかせてくれたまえ。なんでも好きなものを言ってほしい、案内するから」
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