逆鱗です
怒りは、なんとか一瞬で抑えられた——と、思う。
そもそもハジメさんはあくまでメッセンジャーであり、伝達しているだけ。ふざけたことを言ってきているのは
彼女には最初から怯えの色があった。きっと激昂されることは理解していて、それでもやらなければならなかったのだろう。
だから感情をぶつけるのはお門違いであるし、なにより今の僕らは怒っただけでその感情が凶器となり得る。場合によってはショックで昏倒させてしまうかもしれない。
「大丈夫だよ、スイくん。きみたちの魔力は、ぼくが抑えた」
緊迫した空気の中。
軽やかにそう言ったのは——言ってくれたのは、
「え……」
「スイくんとカレンちゃんが、妻の涙を身に付けてくれていたのが功を奏したね。少しばかり干渉させてもらったよ」
「そんなことできるんですか」
「さすがにヴィオレさんのことはどうしようもなかったけど、そっちはさすがだね。魔力が荒れたのは一瞬だけで、ちゃんと制御している」
「母さんはこういうの、暴走すると思ってた……」
「……私も、相手は選ぶわ。お父さんにむかし、言われたことがあるのよ。殺意は的確な相手に向けて放て、って」
「お説教が物騒」
「まあ、スイくんの感情も見事だったよ。ぼくが抑えるまでもなく波がすっと引いていった。だから……きみのやるべきことは、わかるね?」
「はい。……カレン」
「……っ」
右隣にいるカレンの肩を抱き、手を握る。
強張った五指をほどいてぎゅっとすると、僕へと身体を寄せてきた。肩に預けられた頭は震えている。奥歯を咬み締める音が聞こえるようだ。
「大丈夫。大丈夫だよ、カレン」
「……スイ」
おそらくいま現在もなお、
だからカレンの激情を僕が
「安心して。僕らの歩みを止められる奴らなんて、この世にはいない。余裕の態度で構えておけばいい。……父さんの言う通りだ。殺意は、取っておこう」
「ありがとう、スイ。もうだいじょぶ。ごめんなさい」
「いいんだよ」
ありがとうございます、と無言で返し、カレンのことも解放する。
一同の空気が目に見えてほっとするのがわかった。
どうもみんなにとってうちの一家は『怒らせちゃいけない』枠に入っているようだ。いやごめん、悪かったよ……。
「ショコラ、こっち来て」
「わうっ!」
この先も心を落ち着かせるためだろう。カレンがショコラに手を広げ、ショコラもそれに応えるようにカレンの膝に乗る。
「よしよし。いい子。お前は冷静だったね、見習わないと」
「くぅーん」
パルケルさんがめちゃくちゃ物欲しそうな顔をしているけど見なかったことにします。
ややあって、リックさんとノエミさんが揃って、弾かれたように謝罪する。
「すまない、僕らの責任だ。こうなることは半ばわかっていたはずなのに」
「ええ。先に一度、断りを入れておくべきだったわ。怒りも、もっともよ」
続けて、ハジメさんが口を開く。
「いや、エジェティアは悪くない。この口で直接に、と言ったのは自分だよ。……正直、覚悟してここに来たし、覚悟して伝えた」
その声はわずかに震えていた。
カレンが静かに問う。
「……ハジメは、どう思ってるの? このことを」
「自分の意見は差し控えさせてくれないか。自分はあくまで、長老会の遣いだから。私情を持ち込むわけにはいかない。それに……自分は、あの国に生まれ育ったエルフなんだ。考え方も価値観もきみみたいにはいかないんだよ、クィーオーユ」
「僕らもハジメの言葉に共感はできる。始祖六氏族の血はそれだけ、
「『
リックさんとノエミさんの言葉に、母さんが薄く溜息を吐いた。
けれど溜息とは裏腹、その眼光は鋭く、力強い。
「そうね、感情としてはともかく。……ただ、断言します。カレンは、この子は、あのまま
だから僕も続ける。
「……モノ扱いしてる感じはあるよね。血を繋ぐだけの道具としか見てない。血が続いていることそのものの大切さも理解できるし、貴族の考え方としてそうなるだろうなとは思うけど、うちの家族は誰も納得しないよ」
ここでこんなことを主張しても、意味がないことは承知している。
ただ——僕らはやっぱり、腹に据えかねてるんだ。
めちゃくちゃに怒ってんだぞってことくらい、表明したっていいじゃないか。
だって、ハタノ家にとって。
人を子孫を残すための道具として扱うのは、この世で最も許せないことのひとつなんだから。
父さんと母さんがカレンを引き取った理由がわかった。
もちろん、親友のお子さんってことは大きかったんだろうけど——きっと父さんも母さんも、カレンのこの境遇、
「まあ、なんにせよ……ハジメさん、僕らはその要求を呑む気は一切ないよ」
「ああ、長老会にはそう伝える。自分はあくまで遣いだからね」
ハジメさんは姿勢よく座ったまま小さく肩だけをすくめ、微笑んだ。
彼女の考え方がどんなものかは未だよくわからない。最後の一線で僕らとどうしても相容れない可能性もある。ただやっぱり——僕らがこうして我を通そうとしている中、それが原因で板挟みにはなってほしくないと思うんだ。
僕は気配を意識的に緩める。
体面上は穏やかな態度を取りつつ、心の中は引き締めつつ、あくまでフレンドリーに、一方で油断せず、ハジメさんを促した。
「じゃあ、話を再開しよう。他に
ハジメさんはこくりと頷き、口を開いた。
「ああ。もうひとつある。それは——」
——————————————————
ハタノ家の面々がぷんぷんしただけで終わってしまった……。
前回の引きにだいぶ反響がありまして、反応くださった方それぞれの期待や感想、もしかしたら不安があるかと思います。
この話数まで読んでくれている人をがっかりさせたりイライラさせたりなどはしませんので、その辺は安心してください。
本作には悪意を持つ人間も出てきます。善人しかいない世界ではありません。
でも作者としては、『悪い奴』をただやっつけてめでたしめでたし、みたいな作品ではないなとも思っております。もちろん、悪意がまかり通って放置される……みたいな作品でもありません。
その辺りのバランスを取りながら、スイくんたちを歩んでいかせたいです。
まだ明かされていない、語られていないことがけっこうあります。そういった事実や謎を開示しつつ、ストーリーを進めつつ、みなさんを楽しませていければなと思っております。
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