ランチボックスを開けて
ミントたちは二時間ほどで戻ってきた。
途中で薮の中なんかも通ったんだろう、枯葉やら蜘蛛の巣やらを身体にくっ付けて、足も土で汚して——だけど満面の笑みを浮かべながら、叫ぶ。
「ひだりからでかけたのに、みぎにかえってきたよっ!」
「そうねえ、すごいわね。ちゃんと湖の周りをぐるっと回ってきた証拠ね」
突進してきたミントを抱き留めながら、髪の毛の汚れを取り除いてやる母さん。
「おかえり。どうだった?」
「ん、なかなか面白かった」
「わおんっ!」
微笑を浮かべるカレンに、元気よく吠えるショコラ。
「お前もなんかいろいろくっ付いてるなあ。いったいどこを突き進んだんだ」
「途中、生い茂ってるところがあった。ショコラとミントが入っていってちょっと大変だった」
「そっか。魔物とかは出なかった?」
「それもだいじょぶ。……最近はもう、私たちに襲いかかってくる奴らは変異種くらいしかいない気がする」
「意識的に魔力で威嚇してるからかな?」
「それもあるけど、一番の理由はたぶん、これ」
カレンは自分の耳につけたピアスを指差した。
ああ、そっか……エジェティアの双子もめちゃくちゃ怯えちゃってたもんね……。
『妖精の雫』は本当に強力なお守りだ。使い方、
「まあじゃあ、ともあれ無事にお帰りなさいってことで。そろそろいい時間だし、お昼ご飯にしようか」
僕は停めているワゴンへと向かう。
本日の主目的、湖のほとりでランチといこう。
※※※
お弁当には、腕によりをかけた。
なにせ行楽といえばお弁当だ。お弁当が美味しければ行楽は成功であり、行楽とは美味しくお弁当を食べるためのものと言っても過言ではない。
まずはサンドイッチたち。
挟みましては鳥肉の燻製、野菜、たまご、ツナマヨ。この季節に手に入るものをフル活用し、
別のバスケットには、おにぎり。
こちらは昆布、おかか、ネギ味噌など、和風のものを中心に。カレンにも手伝ってもらったがだいぶ握るのが上手くなっていて、どれも綺麗な三角形になっている。
おかずは更に違う箱に詰め込んである。
唐揚げ、卵焼き、きんぴら、焼き鮭。つくね団子、カレーコロッケ、高野豆腐の煮付け、ミニハンバーグ、などなど。
そして最後の籠にはデザートだ。
フルーツの盛り合わせに、アップルパイ——。
「うわあ、すごい、すごいっ!」
「豪勢ねえ。食べきれるかしら」
「ん、頑張る」
「多めに作ったからね、無理はしないで。食べきれなかったら持ち帰って夕ご飯に出すから大丈夫だよ」
ミントが、母さんが、カレンが顔を輝かせてくれる。
もちろんポチとショコラのことも忘れてはいない。
「ポチには塩サラダを作ってあるからね」
「きゅるるるう!」
「ショコラには茹で肉だ。豆乳で煮込んだから美味しいはずだぞ」
「わうわうわうっ!」
それを囲むように家族で円になって座る。
ペットボトルに入れてきたお茶をコップに注いでみんなに渡す。
ショコラが、ポチが、そしてミントがうずうずと身を捩らせている。
でもごめん、ちょっとだけ待っててね、特にミント。
最後にもうひとつ——あるんだ。
「ミント、これ」
「なに?」
僕は小さな包みを、差し出した。
それは布でくるんで四隅を上で結んだ、直方体の箱。
日本人ならばむしろバスケットよりもこれの方が、馴染み深い。
「開けてみて」
「うー! ……なかに、かたいはこ?」
「蓋があるんだ。周りをこうやって、かちって上げて」
パッキンのロックを外し、蓋を開け。
ミントは、目を輝かせた。
「……ふわあああ! ちっさい、おべんと!!」
中に入っていたのは、俵型のおむすび。
それから、唐揚げに卵焼きに、きんぴら。
メニューはバスケットの品と変わらない。
だけどそれは——その、プラスティックでできた四角形の容器は。
「お弁当箱だよ。僕があっちで使ってたやつだ」
高校生の頃の、三年間。
毎日これにご飯とおかずを詰めて、そのランチクロスで包んで、学校に持って行っていた。
「スイくん、それって、向こうの?」
「うん。あの日、こっちに転移した日……僕が持ってきたやつだよ」
あの時は父さんが死んだばかりで、おかずを作る気力がなくて、冷凍食品を詰めてたっけ。ワイバーンに襲われて、家の電気も点かず、とにかく不安な中で食べた。
ひょっとしたらこれが最後の文明的な食事になるんじゃないかって、不安を抱きながら——。
あれ以来ずっと、戸棚に仕舞っていたんだ。
「ミントにあげる。日本にはもっと小さい子用の、可愛いキャラ絵が描かれたやつとか売ってたんだけど……高校生男子の色気のないやつでごめんね」
別に行楽の時だけじゃなくても、なにかと便利なんじゃないかと思った。普段の食事に使ってもいいし、お菓子なんかを詰めてもいい。なんなら、遊び道具としてくれたって構わない。パッキン付きで液体も漏れないから、便利かもしれないし。
そんな考えで、手渡した。
小さい箱って子供心にわくわくするよね、みたいな気持ちだった。
だけど、ミントは。
ゆっくり、そっと。
まるで宝物を扱うみたいに、お弁当箱を一度、
がばっと——僕の首に、抱きついてくる。
「わ……」
「ちっさいおべんと、かわいい! うれしい! ありがと! すい、すきっ!!」
回された腕はぎゅうっと強く、歓喜に溢れていて。
弾む声は感極まり、少しだけ潤んでいて。
あったかい体温はそのまま、ミントの高揚を表していて——。
「……かえって申し訳ないな。僕のお下がりなのに」
「そんなことない。スイが使ってたものだから、ミントは嬉しい」
「そうね。この子はわかってるのよ。それがあなたの思い出の品だってこと」
思い出——そうなんだろうか。
そうなのかもしれない。
この弁当箱は、父さんが買ってくれたやつだ。といっても、高校入学の時、通販だったかどこかのホームセンターだかで、僕が選んで父さんがお金を払ってくれる形で。
買い替えたくなったら言うんだぞ、と父さんは言った。
いつ壊れるかもわからないし、そのうち汚れも取れなくなるだろうしな。デザインが気に入らなくなったとかもあるかもしれない。
——だからその時は、言うんだぞ。
お前は変に遠慮するからなあ——。
結局、僕は、買い替えなかった。
遠慮したわけじゃない。ただ、壊れなかっただけだ。しっかり洗ってたから油汚れも染み付かなかっただけ。デザインも無難なやつだから、飽きなかっただけ。
そう。
遠慮したわけじゃない。
ただ、大切に使っただけなんだ。
結果、こんな量産品の、どこにでも売ってるような弁当箱は——自分でも気付かないうちに、思い出の品になっていて。
ああ、そうか。
思い出の品になっていたから、僕はこれを、ミントにあげようと思ったのか。
ミントに使ってもらいたいなって、思ったのか——。
「じゃあそろそろ、食べようか。ショコラとポチが待ちきれなくなってるし」
「きゅるるぅ……」
「くぅーん……」
「うー……みんとも、たべたい!」
満面の笑みで弁当箱を抱えるミント。
いただきます、と冬の空に溶ける、家族の声。
僕はおにぎりを手に、唐揚げを口に運ぶ。
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