やっぱり釣りの才能がない
楽しいお弁当が終わったら、あとは食後休み、そして自由時間だ。
めいめいが好きなことをして楽しむ——とはいえそこまで散り散りばらばらにはならない。ポチは僕らの傍を離れずにいてくれるし、ミントにはカレンがついている。
そして僕はワゴンから取り出した釣り竿を手に、湖のほとりに立っていた。
「いいかショコラ。あの川は相性が悪かっただけだ。そしてこの湖はきっと相性がいい。つまり今日こそ僕はフィッシュオンする。わかるな?」
「くぁ……」
「あくび」
だめだこいつ。完全に僕に失望……いや、最初から期待すら抱いちゃいない……。
「くそ、今に見てろよ。お前をぎゃふんと言わせてやるからな」
「くぅ……」
「のび!」
隣で自由自在なショコラを放置し、竿を投げる。
川と違って今回は遠投。なんとリール付きの釣り竿なのである。
シデラの街で発見、購入したものだ。いわゆる片軸と呼ばれるやつで、金属と木材が使われており、精度もそこまで高くない。それでも釣り糸を巻き取れること、長い糸を使って遠くまで針を投げられることがありがたかった。
糸を垂らし、時折は竿を引いたりリールを巻いたりしながら獲物を誘う。こんな前人未到の森の中だ、魚もきっとすれてないに違いない。だからなにかはかかってくれる……と、思ったのだけど……。
「………………こない」
「くぁ……わふっ」
「気配殺してるのに……アタリもない……」
魚が怯えないよう、魔力ももちろん抑えてある。だから問題ないはずなのだ。しかし待てども待てどもいっこうに、浮きが震える様子はない。
「どう? スイくん。釣れた? ……その様子じゃ、ダメそうね」
「うっ……」
様子を見に来た母さんが苦笑する。
「いや、まだかかってないだけだから……」
「ふふっ」
そうして意味ありげに笑むと、ショコラを撫でながら隣に腰掛けた。
「川ではいつもあなたがお魚を獲ってるんだっけ? ショコラ」
「わふっ。わう!」
「今日はダメよ。バスタオルもないし。濡れ鼠のまま帰ったら全身泥だらけにしちゃうでしょ」
「くぅーん……」
そんなショコラの顎を膝に乗せながら、母さんは湖を見る。
「懐かしいわ。お父さんもたまに、釣りしてた」
「日本でも一緒に行ったよ。父さん、上手かったよね」
僕がボウズの横でわんさかフィッシュオンさせていた。むすーっとする僕に「こればっかりはどうしてやることもできないなあ」と困ってたっけ。
「そうねえ。コツを聞いたことあるけど、まったく参考にならなかったわ」
「『じーっと待って、かかったら魚に合わせてくいっ』とか、そんなんでしょ」
「そうそう! それよ。こっちはそもそもかからなくて困ってるっていうのにね」
「釣りをしたのは海? 川?」
「けっこうあちこちでやったわ。いちばん記憶に残ってるのは、獣人領の海ねえ。けっこう長く滞在してたから。……まだ結婚する前よ。カレンの実の両親も一緒だった」
いま思い返すと、あれが私の青春だったのね。
最後、ぽつりと小さく、そんなことを付け加えて。
僕やカレンが生まれる前のこと。
異世界に転移したばかりの父さんと、そんな父さんに反発しつつも惹かれていた母さん。そして、親友だったというカレンの生みの両親——。
きっとそれは、輝かしく美しい思い出なのだろう。
僕が安易に、触れてはいけないような。
「そういやさ」
だから何気なく——たぶん傍目にはわざとらしく——話題を変えた。
「母さんは、釣り、どうだったの? その口振りだと察しちゃうやつ?」
「まあ失礼ね! ……でも、その通りよ」
問うと、唇を尖らせた後、おかしそうに顔を綻ばせる。
「全っ然、釣れなかったわ。さっきも言った通り。針に魚がかかったこともないの。私が機嫌を悪くするのに、お父さんいつも、不思議そうな、困ったような顔をしてね。だから、そうね。スイくんの釣りが下手なのは、きっと……」
と。
その時だった。
「あ」
釣り竿を上げ下ろししていた僕の手が、抵抗で——止まる。
「スイくん!? もしかして」
「かかった!!」
竿を立てる。大きくしなる。両手にかかる確かな重み。
きた。ついにきた。僕にも——きた!
「く……重い。でかいぞこれ!」
「落ち着いて! しっかり!」
「わうっ! わんわん!」
竿を引っ張ってみるが、手応えが凄まじい。竿が折れそうだ。
ものすごい大物だぞこれは。
「竿は大丈夫なの!? 針と糸は……?」
「魔術をかけてる! ずるかもだけど……っ」
「わんわん!」
あわあわとうろたえる母さんに、励ましてくれてるのか吠えまくるショコラ。
確かにこの抵抗、どう考えても糸ごと持っていかれるやつだ。
でもその心配はない。だって竿にも針にも糸にも、壊れないよう『不滅』の特性を付与してある。異世界の魚にはとんでもなくでかいやつがいるかもしれないと思い、念のためにしていた措置が功を奏した。
加えて、身体強化をかければ無理矢理ぶっこ抜くこともできるはず!
「っ、おおお……うおおおおおおっ!!」
両足をふんばって、腰を入れて、気合い一閃。
それまで大きかった水の抵抗が抜け、獲物が湖面を突破し宙へと舞い上がり、岸辺、僕のところへと放物線を描いて落ちてくるのを目にし——。
「は……?」
「あっ……」
「わうっ!」
落ちてきたのは、丸く太く、藻の生えた。
湖の底に沈んでいたと思しき、朽ちた倒木だった。
ずしゃあ。
回避した僕らへ飛沫をかけながら、倒木は草むらに横たわる。
しばらくの無言があった。
たいへん気まずい無言だ。
僕は愕然とし、ショコラは木のにおいを嗅ぎ、母さんは俯いて、
「まじかよ……」
せっかくかかったと思ったのに、これか。
釣り道具が壊れないよう魔術をかけていたのが災いした。本当なら糸が途中で切れて、
というか無機物に引っかかってること、途中で気付けよ。魚が暴れてるかどうかくらいは判断できるだろ。いや気付けるわけもないだろ、だって生まれて初めてだったんだもん。……間抜けな自問自答をしながら立ち尽くす僕の肩を、母さんが叩いた。
「スイくん、あれ」
「なに? ……あ」
母さんの指差す先、倒木の影。
たぶん、朽ち木のうろかなにかに潜んでいたのだろう——川魚が何匹かぴちぴちと、その場に跳ねている。
「いや、これはでも……さすがに」
「いいじゃない。釣れたってことで、一応は」
やけに楽しげに、僕の頭を撫でて微笑む母さん。
慰めているのとは少し違う空気だ。
なんだろう、これは。なんというか、どこか懐かしそうな。
「……まあ、じゃあそういうことでいっか」
母さんのその顔に、なんだか力が抜けた。同時に可笑しくなる。
僕は笑って、魚の前にしゃがむ。
「これ、ローチかなあ。鯉とか鮒とかの仲間だ、たぶん」
「食べられそう?」
「小骨が多いんじゃなかったっけ。残念だけど、リリースしよう」
僕は魚をそっと両手で包むと、一匹ずつ湖に逃がす。
じゃばじゃばと湖水へ消えていく魚影を見送りながら、少し笑った。
どうも僕には釣りの才能が、とことんないらしい。
でも、今はそれでもいいやって思う。
だって——。
「残念だったわね。また次回、頑張りましょうか」
「そうだね。まあ、地道にやってればいつかは
母さんが僕を見る目は、優しさよりも慈しみが濃い。
——だって、仕方ない。
僕は、母さんの子供だもんね。似てるのは、仕方ないさ。
※※※
ちなみに——。
かつて母さんも、僕と同じように木を釣り上げてしまって、父さんに笑われたことがあったらしい。
それを知ったのは、これよりもちょっとだけ後のこと。
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