前髪に光る

 更けた夜はやがて朝を呼び、陽が昇るとついにその日がやってくる。

 一カ月に及んだセーラリンデおばあさまの滞在が、終わったのだった。


 とはいえ、家族のみんな——ミントにも、物悲しい雰囲気はない。

 昨晩のうち別れは存分に惜しんだし、なによりシデラの街は僕らにとって、実際の距離ほど遠い場所ではないのだから。


 ポチも含めた全員が、おばあさまを見送るべく庭に集まっている。

 玄関を出たおばあさまが、僕らへ優雅に一礼をした。


「長いこと、お世話になりましたね」

「またいらして。シデラでの雑務を押し付けている身で図々しいけど」

「いいえ、あなたたちのためになると思えば仕事にも身が入るというものです。それに、たまに長い休みを取るのも気分が切り替えられていい。……この歳になって初めて知ったのが、情けない限りです。私は、あくせく働きすぎていたんですね」


 母さんとおばあさまがそんな会話をする中、空に影が差す。

 ジ・リズが来てくれたのだ。


 だから僕はそれを見上げ——手を大きく振って、牧場へ着陸してもらうよう合図を送る。


 なぜなら庭ではこれからひとつ、イベントが行われるから。


「竜殿がいらしてくれました。それじゃあ、行きましょうか」

「おばあさま、少し待って」


 ジ・リズが裏手に降り立ったのを見、向かおうとするおばあさまを引き止める。


「どうかしたのですか? スイ」

「うん、僕じゃなくて……」


 背後——ショコラにくっついたまま、母さんの影に隠れるミントへと視線を遣った。


 母さんがしゃがみ、その小さな両肩を抱く。

 その横でショコラもまた、促すように身体を擦りつける。


「……ほら、ミント」

「わふっ! わう!」

「うん……」


 もじもじと——緊張した様子でいたミントだが、やがて決心したように唇を引き結ぶと、両腕を後ろ手におばあさまのもとへ可愛らしく歩み寄っていく。


 目前に立ち止まり、息を大きく吸い、吐いて——。


「ばあば? みんと、ばあばといっぱい、あそんだよ。あそんでね……それでね。ばあばのまりょく、もらった」


 その言葉に。

 おばあさまは目をみはる。


「まあ……なんと」


 おそらく、おばあさま本人も知らなかったことだろう。

 僕らもミントに言われ、注意深く彼女の魔力を探って初めて気付いたくらいだ。


 このひと月——ミントはかなり頻繁におばあさまと遊んでいた。懐いて引っ付いていた。その交流において、意識的にか無意識にか、ふたりは魔力を交感させ、ミントの身体はおばあさまの魔力を記録し、記憶し、そうして取り込んだのだ。


「だからね。うまれたときは、ちがうけど、みんと、ばあばのまりょく、もらったから。だからみんとも、ばあばのかぞく、なった。みんと、よそのこじゃなくて、ばあばのこどもにもなった」


 僕の、カレンの、母さんの魔力と同じように。

 ポチの、ショコラの、父さんの魔力と——同じようにして。


 おばあさまは見開いた目をかすかに潤ませると無言でしゃがみ、ミントと視線の高さを合わせる。唇が優しい弧を描き、たおやかな指がミントの頭を撫でる。


「あのね。でね……」


 そして、ミントは。


「かぞくのあかしがあるの。すいといっしょにつくったよ。ばあばに、ぷれぜんと」


 後ろ手に隠していたを、おばあさまの前に差し出す。

 髪留めだった。

 

 銀製の細い基部にバネ仕掛けのクリップがついていて、簡単に髪に挟めるやつ。

 先端には宝石の飾りがある。青紫の黝簾石タンザナイトと黄褐色の黄玉トパーズが並んであしらわれていた。


「これ、は……」

「かぞく!」


 ミントは、自分の首にさがっているペンダントを揺らしながら笑った。


「おかさんも、すいも、かれんも、しょこらも、ぽちも、みんとも、みんなもってる! おかさんとすいとかれんとしょこらはね、おとさんにもらったの。みんととぽちは、おとさんのかわりにすいがくれたの。それでね……ばあばのは、みんともてつだった!」


 この髪留めは以前から、ノビィウームさんに発注していたものだ。


 素材は最高級のものを使ったし、しっかり魔力も込めた。主に、僕とミントのふたりで——母さんたちも協力はしてくれたが、いちばん頑張ったのは、ミントなんだ。


「わたしに、くれるのですか?」

「ミント、ばあばにつけてあげなさい」

「うー!」


 ミントが辿々しい手で、おばあさまの前髪に髪留めを差し入れる。

 母さんが苦笑しながら背後からそれを手助けし、位置を直して整えてやる。


 カレンが手鏡をそっと、おばあさまに渡した。


「ばあば、きれい! ……どう?」


 少し不安げに反応をうかがうミント。

 ややあって——おばあさまは手鏡をカレンに返すと、両手を伸ばして。


 ミントを抱き上げ、抱きしめる。


「ありがとう。ありがとう、ミント。ばあばはとっても嬉しいわ。……ありがとうね。私を、家族だと言ってくれて。私の魔力をもらってくれて——私のことをおばあちゃんにしてくれて。本当にありがとう」

「うーっ! ばあばは、かぞくだよ! みんとたちのかぞくっ」


 声は震えていた。俯いていたその表情は、僕らには見えない。ただ——寒空の中、おばあさまの頬に赤みがさす。


「『不滅』の特性と、いろんな術式を込めてあります。魔道補助具としても使えるけど、それよりも……おばあさまに、僕らと同じものを持っていて欲しかった。離れた場所で暮らしてても、おばあさまはもうハタノ家の一員だから」


 もはや形骸化したミュカレ侯爵家の名を継ぐ貴族としてではなく。

 王族に嫁いだ未亡人という政治的に難しい立場でもなく。

 夫と息子を喪いひとり取り残された孤独な人なんかではなくて。


 ヴィオレ=ミュカレ=ハタノの伯母——僕らの大叔母さまで、ミントのばあば。

 セーラリンデおばあさまにはこれから、そうあって欲しいと思ったんだ。


 ミントをそっと地面に下ろしたおばあさまは、僕らひとりひとりを見渡す。


「スイ、カレン、ヴィオレ」

「うん」「ん」「ええ」


「ショコラ、ポチ、……ミント」

「わうっ!」「きゅるるっ」「うー!」


 最後に、庭の隅。

 そこに立つ墓碑に視線を向けて、


「それから……カズテル。お世話になりました。また近いうちに来ますからね。でも、あなたたちもシデラに来たら、私に顔を見せに寄るのですよ」


 その顔はとても晴れやかで、穏やかで。

 額に飾られた髪留めが陽光に反射して輝いていて。

 我が家の庭に立つその姿は、とても自然に見えた。



※※※



 牧場からジ・リズが飛び発つ。

 その背に乗るおばあさまと、送り役として同行する母さん。

 遠くなる影にぶんぶんと手を振りながら、ミントは満面の笑みだった。


 だから僕とカレンはふたり顔を見合わせながら、微笑みを交わし合う。


「さて、ショコラの散歩に行こうかな。ミントも行く?」

「いく!」


 おばあさまを見送って、お正月気分も終わりだ。

 冬の風の冷たさに気合いを入れながら、僕はショコラの首輪にリードを繋げた。

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