インタールード - 穏やかな年始

鉄に火、風邪に粥

 夜中に目が覚め、幾分か体調が良かったので台所に忍び込んだ。

 しかし物音であっさりと、妻にバレた。


「あんた、なにしてんだい。おとなしく寝てなって言ったろ」

「腹が減った」

「だったらあたしを起こしゃいいんだ、莫迦ばか


 呆れ顔をした妻——スプルディーアは、台所の魔導灯を点けるとやれやれとばかりに溜息を吐く。ノビィウームは髭で埋もれたその顔をむっつりとしかめ「わかった」と短くつぶやいた。


 ノビィウームが風邪をひいたのは、二日前。

 スイ=ハタノから注文を受けた髪飾りを納品した、その次の日のことである。


 珍しいことだった。生来、頑強なたちだ。前に体調を崩したのがいつだったかすら覚えていないくらいなのに——気疲れもあるのかもしれない、と少し思う。


「気疲れのせいだよ、きっと」


 そんなノビィウームの心情を予想したかのように、妻が言う。

 背を向け、炊事場のかまどに火を入れながら——ぶっきらぼうに。


「『鉄』の称号を受けてからこっち、慌ただしくしてたろ。がらでもなく後進の世話なんかもしてさ。知恵熱のひとつくらいは出てもおかしかないさ」

「……ふ」


 台所の椅子に腰を下ろし、ノビィウームは薄く笑む。

 確かにそれは、その通りだ。


 別に今までも、若い連中の面倒を見てこなかったわけではない。シデラで店を構える鍛冶師の中でノビィウームは年長の部類だし、控えめに言っても腕は抜きん出ている。師匠譲りの頑固な性格が災いして世渡りも口も下手であったから組合ギルドの外に名は知られていないが、職人の中には慕ってくれる者も多く、そういう連中に教えを請われればなにくれと面倒を見もする。


 だが、鍛冶師として最上位である『鉄』の称号を授与され、おまけに時を同じくして『うろの森』の観測装置を製造するという大仕事まで舞い込んできた。称号をもらったからには指揮する側に回らねばならず、余計な気苦労が激増したのも事実である。


「いや、よくよく考えりゃあ、そっちよりもむしろ身内にかけられた苦労の方がでけえな……。あいつら、みたいに結婚しおって。スイもスイで飾りもんを頼んでくるから、指輪だの髪飾りだの、こまけえ作業が立て続けだった。それでくたびれたに違いねえ」


 ぼやきに、妻は返事をしなかった。

 だからことことと、火にかけた鍋が笑う音だけが夜の台所に響く。


「……ほら、できたよ」


 やがて。

 いい香りとともに長机テーブルに置かれたのは、乳粥だった。


 縞山羊しまやぎの乳はもともと桂皮シナモンに似た芳香があり、それは火を加えるとより芳醇ほうじゅんになる。なんだかんだ風邪で弱っていたのか、その豊かな味わいは舌から喉、喉から胃、胃から全身へじんわりと巡っていく。


「……乳だけじゃないな、この味は」

「酒が抜けてると舌もしゃんとするのかね」


 スプルディーアは肩をすくめ、炊事場の脇に置かれた瓶を後ろ手に指差した。


「例のだよ。ようやく、うちみたいな家にも出回り始めた。まだちいと高値たかいが、手軽で美味いと評判さ」

「ああ、コンソメか」


 ノビィウームの友——スイ=ハタノがシデラにもたらした、新たな特産品。


「乳粥なのに、肉の味がする。気力が入っていくようだわい」

「昨日の寝込んでた時なら甘くする方がよかったろうけどね。そろそろ元気になりそうだし、滋味がある方がいいさね」


 ベルデたちから話を聞くに、このコンソメの製造があったおかげで街はかなり活気付いたようだ。冒険者はもちろん街の畑も牧場も、注文と放出が多すぎて冬の蓄えが少しばかり危うくなったほどらしい。


 とはいえ、原料となる肉も野菜も香辛料も、必要になりますと言われてはいそうですかと増産できるようなものではない。今はまだ、他都市からの買い付けにもだいぶ頼っているような状況だ。シデラの景気が本格的によくなるのは——つまりこのコンソメが一般家庭に安く出回るようになるのは——春以降のことになるだろう。


 粥をもしゃもしゃと食いながら、ノビィウームはぽつりと問うた。


「……ワシらがここに店を構えて、どのくらい経つかな」

「なんだい、いきなり」


 スプルディーアは片眉を上げると、考え込む。


「あんたが王都の貴族とやり合ったのが、爺ちゃんが死んだ次の年だったから……九年になるかね。最初は、とんだ都落ちだと思ったもんさ」

「なにを言う。あの貴族には、ワシよりもお前さんの方が怒り狂っとっただろ」


「そりゃあ、爺ちゃんの打った剣をあんなふうに言われちゃあね。……まあ、いい街だよここは。それで、どうしたんだい?」

「九年か。面白え連中とも出会えたし、さすがは最前線、求められる武器の基準も厳しい。ワシも、ここに来て良かったと思っとる。だがな、それでもこの九年……暮らしは変わり映えせんかった。火の勢いは、ずっと同じだった」


 椀に残った粥をかきこむ。美味い。


「ああ……そういうことかい」


 妻が得心したように頷いたのへ、ノビィウームはふう、と息を吐き、


「あいつは、ふいごみてえなやつだ」


 笑う。


「初めてあいつが店に来た時のことだ。あいつはお師さまの剣を携えていて、ワシはそれを見せてもらった。で、来歴を聞かせた。——普通は、喜ぶもんだろう。親父の形見が業物だって知れたんだから、ありがたがって得意がりゃあいい。でも、あいつはそうしなかった。しんみりしただけだ。これは自分のものじゃねえって、お師さまと親父殿のものだってな」


 あの日のことを、ノビィウームは今でも覚えている。


「でもってあいつは、言った。ワシに……刃を打ってくれと。お師さまと同じことをしてくれと、そう言ってくれた」


 ——包丁をひと揃え、お願いできませんか。


「あいつは、この街だけじゃない。ワシの火も、してくれたんだ」


 あの時の、身体の奥底から湧き上がる歓喜を、覚えているのだ。


 きっと相手は気付きもしなかっただろう。

 今もそうだ。風邪で弱った自分が、あいつのもたらした食い物で力をつけたなんてこと、知る由もない。


 だけど、だからこそ。

 ふいごさかった炎に鉄を打たずして、鍛冶屋は名乗れまい。


「食った。寝る。いつまでも熱を出しちゃいられねえからな。……夜中にかせて悪かった」


 ノビィウームは立ち上がるときびすを返し、台所を出て寝床に戻る。


 スイは——ハタノ家はふらっとシデラにやってくる。次にいつ顔を出すかわからない。だからその時になって、熱を出したままごほごほと背中を丸めているわけにはいかないのだ。



※※※



 ばたり、と扉が閉まる。

 あとに残るのは麦粒ひとつ残さず空になった椀、それと椀の中に転がる匙。

 それを見ながらスプルディーアは、大きな溜息とともに、嬉しそうにぼやいた。


「まったく呆れたもんだよ。酒に酔った時だけじゃなくて、熱を出した時まで同じ話をするなんてね」

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