インタールード - シデラ:街の人々(後)

 ノアップもパルケルも、リックもノエミも森に行ってしまった。


 彼らを見送ってから半日後——ドルチェ=アテナクはお腹が空いたので、ひとり屋敷を出て街に赴いた。


 一応、ノアップは使用人を雇っていて、だからドルチェがのんべんだらりとしていても、最低限の世話はしてくれる。食事は出るしお風呂は沸くし、寝台ベッド敷布シーツも整えられる。


 ただ、ノエミに言われたのだ。

 たまには街に出かけなさい。ご飯も外で食べてみなさい。お小遣いは渡しておくから、自分のやれる範囲でね。


 正直、怖かった。

 ドルチェは『お金』という概念にまともに触れるようになってからまだ日が浅い。パルケルやノエミに付き添ってもらいながらの買い物はしたことがあるが、ひとりではまだ経験がなかった。


 もらったお小遣いのうち四分の一ほどを革袋に入れ、目抜き通りの市場を歩く。活気に満ちた人の波は見ているだけでくらくらする。


「お、王子のところの嬢ちゃんじゃねえか」


 そんな中——揚げパン売りのおじさんに、声をかけられた。


「なんだ、今日はひとりか?」

「あ、どうも……っす」


 名前は知らないが、ノアップたちと一緒に何度か食べたことがある屋台だった。元々は王都から流れてきた人だとかで、甘辛く煮た肉の入ったパンが胡麻油で揚げてあり、すごく美味しかった覚えがある。


「王子は森に行ってんのか? そういやここ最近、慌ただしくしてたよなあ。やっぱ年の瀬が近いからかねえ」


 ノアップは街の人々から『王子』と呼ばれている。本当に第三王子だからというのもあるが、どちらかといえば親しみによるものが大きいらしい。大仰な呼び方に比してみんなざっくばらんな態度で接しており、本人の人懐こさも相まって気さくに声をかけられることが多かった。


 そして覚えの良さは、いつも連れ立っているドルチェにも及ぶ。


「その、ノアップさんは……大事な依頼があって、しばらく留守、っす」

「なるほど、嬢ちゃんは留守番か。昼飯買うならうちのパンはどうだ? おまけしてやるぞ」

「あ……じゃあ、買う、っす」


 具体的に食べたいものもなかったため、勧誘されるがままに決める。


「幾つにする? この前はふたつくらい食ってくれてたよな」

「……おなじで」

「毎度! 三十のところ、二十でいいぞ」


 揚げたてのパンが手際よく紙袋に詰められていくのを横目に、胸の前で握っていた革袋の口を開こうとした、その時。


 どんっ! と、衝撃があり、

「きゃっ……」

 ドルチェはその場に尻餅をつく。


 なにが起きたのかよくわからなかった。視界がぶれ、なぜ自分が転んでいるのか定かでなく、そして手に持っていたはずの革袋が——、


「おい、スリだ!」


 屋台のおっちゃんが叫んだ言葉に、目を見開いた。

 スリ——掏摸すり。通りすがり、すれ違いざまに財布をこっそり盗んでいく悪い人。前にノエミから教えてもらった。そういう人も街にはいるから注意しなさい、と。だから気を付けていた。胸の前、ぎゅっと両手で握り締めて離さずにいたのに。


 なのに、こっそりじゃなくてこんなにあからさまに、強引に盗られるだなんて、思いもしなかった。


「あ……」


 道ゆく人たちが何事かと足を止める。犯人は人混みの中をすり抜けていってもう見えない。なのにドルチェは呆然として動けずにいる。


「おら、逃げらんねえぞ!」

いてえ! ……っ、畜生が!!」


 人の波の中、走っていった先からそんな叫び声が聞こえた。

 ドルチェは地面にぺたりと座り込んだまま、ぽかんと口を開けていた。



※※※



「ほら、これ。中身が抜かれてないか、確認してみてくれ」


 数分後——。

 ドルチェの手に革袋がぽん、と置かれ、手渡してきた男がにこりと笑む。

 通りすがりの冒険者だった。スリを捕縛してくれたのだ。


 髪を後ろに撫でつけた、若い男の人。目付きは鋭く頬に傷跡が走っていて、なかなかの威圧感がある。だけど態度と声音は柔らかかった。


「おうジーク、よくやった、お手柄だぞ」

「よせよ、たいしたことじゃねえ。……にしてもなんだありゃ、スリにしても杜撰ずさんすぎる。どっかから流れてきた奴か? この街でああいうのが通用するかっての」


 スリ——若い女性だった——を引っ立てていく衛兵の背中を見送りながら、揚げパン屋のおっちゃんが冒険者に笑いかける。名前を、ジーク、というらしい。


「あ、あの。中身、減ってないっす。ありがとうございました……っす」

「ああ、いいってことよ。あんた、『孕紮おうさつ』さまたちが面倒見てる子だろ? ひとりで留守番中に、災難だったな」


 ジークのドルチェを見る目は、優しい。

 顔は怖くても、優しかった。


「やっぱ、王子たちぁ揃って留守にしてんのか?」

「ああ、でかい任務でさ。スイさんからの依頼だ。俺も明日からベルデさんらと行くことになってんだよ」

「ほお、年の瀬にお疲れなことだ」


 ジークとおっちゃんの会話は、あまりドルチェの頭に入ってこなかった。

 知った名前が出てきても、別の気持ちが胸に満ちている。


 ドルチェを助けてくれたこのジークという青年は、いかつい面立ちをしている。ありていに言うと、すごくおっかない。


 アテナクの集落に、こんなに人相の悪い者はいなかった。誰も彼もが一見して無害そうな雰囲気の、穏やかな物腰の人たちばかりだった。


 だけど、なんでだろう。


 こんなにおっかない顔をしているのに、立ち居振る舞いも粗野なのに。

 集落にいた誰よりも、この人は、優しい。


 いや、この人だけじゃない。

 揚げパン屋のおっちゃんも、助け起こしてくれたおばちゃんも。慰めの声をかけてきた見知らぬ人々も。心配そうにこっちを一瞥する野次馬たちでさえも。


 みんながみんな、ドルチェのことを案じてくれている。

 から生まれたの自分を、まっすぐ見てくれている。


「ついでだ、おっさん。俺にもパンくれ。三つ」

「おう、毎度あり。嬢ちゃんの分もまとめて、五つで六十でどうだ?」

「あ? なんだそりゃいい商売だな! まあいいや。……ほら嬢ちゃん、厄落としだ、俺とおっさんがおごってやるよ」


 紙袋に入った揚げパンを渡される。

 革袋からお金を出そうとすると「いいから」と制された。


「お代だ、おっさん」

「……おい、六十つったろ、五十しかねえぞ」

「俺とおっさんの奢り、って言ったろ。この子はシデラに来たばかりなんだぞ? なのに、ちんけなスリに出会でくわしたんじゃ街の面目がねえよ。ここは俺たちで器量を見せてやらなきゃ」

「は! そう言われちゃ断れねえな」


 笑い合うジークおっちゃんに、ドルチェは少し俯く。

 さっき助け起こしてくれたおばちゃんが、ぱんぱんと肩を叩きながら言ってきた。


「盗られた代わりに儲けたねえ、お嬢ちゃん」

「お金のこと、難しいっす……よくわかんないっす」


 つぶやいて、革袋と紙袋を一緒くたに胸へ抱く。

 硬貨は硬く、パンは柔らかい。

 だけどどっちも、あったかかった。




 ノエミたちが帰ったら今日のことを話して聞かせようと、そう思った。





——————————————————

 ジークくんのことをみなさんは覚えているでしょうか。

 ミントが街に初めてやってきた時に遭遇したやから顔の青年です。

 けっこう気さくで、よくお年寄りの荷物を持ってあげたりするぞ。

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