季節が変わる

 夢に出てきた稀存きぞんしゅ——生きたビットを飛ばす化け物は、過去最高にグロかった。


 あんなのと戦ってた四季シキさんたちを心から尊敬する。そしてあんなのを創り出したっていう二千年前の国、なに考えてたんだ本当に。


 ただ四季シキさんに言われたように、どんな悪夢を見ようと、どんな悲惨な光景にうなされようと、引っ張られてはいけない。僕はあくまで現在を生きる人間で、対処すべきは目の前の問題なのだから。


 その後、数日をかけて僕は夢をいった。


 釣りのようなものだ。覚醒時に印象に残った出来事を餌にして、それと関連付いた過去の光景が夢に浮かびあがってくる。問題は、どんな餌を放り込めば記憶さかなが食い付いてくれるかわからないことだが——もうこれは、日々の暮らしをしっかりこなしていくしかない。


 冬籠りのための準備。狩りや採取による食料調達。調理、食事、炊事洗濯掃除。それに家族との触れ合いに、ご近所さんたちとの交流。


 イベントごとが多ければ多いほど、印象に残る体験は増える。印象に残った体験が増えれば増えるほど、夢への取っかかりができていく。およそ一週間ほどかけて、僕らは少しずつ夢を、過去の記憶を積み重ねていった。


 そして、その日。

 日常をこなしていく中、これまでになかったイベントが我が家に訪れる。

 季節の移り変わり。この世界に戻ってきて初めて見る景色。


 曇り空からちらほらと、降ってくる白いもの——。

 初雪だった。



※※※



「わあ! すごい、ちべたい! でもすぐきえちゃう……」

「わうっ、わんわんわん!」

「きゅるるぅ……」


 ミントとショコラ、ポチが庭ではしゃいでいる。


「いつもより早いわねえ。それともグレゴルム地方では例年通りなのかしら?」

「ん、確かにこっちは王都より気温が低めだとは思う」


 母さんとカレンはそんなことを言い合っている。


「久しぶりだな……」


 僕は——去年は雪を見たんだっけ見てないんだっけ、と、ぼんやり考えていた。


 そんなに本格的な降雪ではない。それこそ、雨が気まぐれを起こして姿を変えました、程度のものだ。目で見てはっきりとわかる程度ではあるけれど、外気はそこまで寒くもなく、きっと積もりもせず消えてしまうだろう。


「少し冬籠りの準備を早めなきゃいけないかもしれないわね」

「もう備蓄は充分。でも私は燻製をもう少し作りたい」

「ふふ、それは自分が食べたいからでしょ?」

「むう。じゃあヴィオレさまにはあげない。燻製はワインに合うけどあげない」

「待って、私がすべて悪かったわ」


「しょこら、ぱくってできる? ふってくるやつ、ぱくって!」

「わう! ばうっ!」

「おおー。できた? できた! ……ぽちはつめたいの、へいき?」

「きゅるるる?」

「へいきそう! ぽちはつよい!」


 家族たちが思い思いに会話を弾ませている。

 その様子を眺めながら、自然と口許が綻ぶ。


 こういう時、夢のことは考えないようにしている。雪がトリガーになってどんな過去が出てくるんだろう、なんて気にしていると、逆に印象が弱くなってしまって過去の記憶と結び付かないのだ。


 それに、もったいないからね。

 初雪に出会った家族の姿は——今しか見られない、一度きりのものなんだから。


「ショコラは雪が大好きでさ。向こうじゃ、降ると必ず大はしゃぎしてたよ」

「そういえば、ヘルヘイム渓谷は寒いところだったわ。谷底が氷河で覆われたりもしてた」

「あいつの祖先も、シベリアっていう寒い地域が故郷なんだ。だからやっぱり本能的にも血統的にも、寒い方が好きなのかもね」


 そんなことを母さんと話してから、ショコラとミントのところへ歩んでいく。

 きゃっきゃとポチの周囲を駆け回る、ひとりと一匹。


「そらっ」

「わあ、あははははっ!」


 走っているミントの脇の下をすくい、遠心力でくるっと振り回してから勢いで抱きあげる。ミントは僕の腕に身を任せながら笑い声を甲高くした。


「たかい! ゆき、ちかくなった!」

「じゃあもっと高くしようか」

「わあっ」


 腕に腰掛けさせていたのを肩車に移行すると、僕の頭上で両手をいっぱいに広げる。


「すい、これ、まだいっぱいふるかな?」

「どうかなあ。今日はわかんないけど、これからどんどん寒くなっていって、いっぱい降る日もきっと来るよ。雪が積もって、この辺りが一面、真っ白になるかも」

「ふおおお……すごい、これがいっぱい!?」

「うん。でも、母さんの氷みたいに冷たいから、無理はしちゃダメだよ」


「だいじょーぶ! みんともしょこらもぽちも、さむいのすき!」

「わうっ!」

「きゅるるる……」


 ポチはなんか『いやそこまでではない』みたいな雰囲気だな……。

 甲亜竜タラスクの棲息する共和国は冬がそこそこ厳しいところで、寒さが苦手な種ではないそうだけど、やっぱり厩舎はあったかくしておいてやりたいよね。


「わうっ! わうわうわうわう」

「お前はほんとに楽しそうだな……」


 ショコラは僕とミントの周りと、ポチの周りを変わりばんこにぐるぐるぐるぐる8の字の軌道で駆け回る。蜜蜂かな?


「ショコラ!」


 僕らが遊んでいるのが羨ましくなったのか、カレンが近寄ってきて、ショコラを呼びながらポチの隣に立つ。


 で、手招きとともに、ひゅいっと口笛を吹く。

 ショコラは「わう!」とひと吠えすると、たたたたっと走り——跳躍し、ポチの背中をサーカスみたいに飛び越えた。


「ん、よくできました」

「わふっ! くぅーん」


 ドッグフードをひと粒取り出して放り、わさわさ頭を撫でるカレン。


「いつの間にそんな芸、仕込んだの……」

「ショコラはかしこい。一度で覚えた」

「ドッグフード常備してるし……」


 よく見たら腰に巾着を結えている。もうそれショコラのドッグフード専用袋じゃん。ショコラの視線が袋に釘付けじゃん。いや、いいけどさ、いいんだけどさ……。


「まあ、狩りの訓練にもなるか」

「わうっ!」


 カレンの指示を聞くのは大事だしね。


「ね、すい! いまの! みんともいまの、やる!」

「やるって、ジャンプするやつ?」

「そう! やるー!」

「わかったよ。気を付けてね」


 肩車から下ろしてやると、ミントはうきうきで両腕をわきわきさせ、身を屈めてとてとて走りだす。足音も歩調もかわいらしいがそこはミント、ポチの手前で足を揃えて、「えいっ」と跳躍すると高々と軽々と、ポチの背中よりも高く舞い上がり、向こう側にふわっと着地した。


「成功だ! すごいすごい」

「むふー!」


 得意満面のまま踵を返し、今度はポチの前脚に抱きつき、よじのぼって背中にまたがる。そっちはジャンプで飛び乗るんじゃないんだ……。


「ぽちのせなか、つやつや! このまえ、あらったもんね」

「きゅるっ?」

「みんとがごしごししたんだよ! えへへー」


 そのままぺたんとうつ伏せに、ミントはポチの背中へ身を任せた。


 ——家族たちが、思い思いに団欒している。


「わうっ、わう!」

「だめ。おやつはそんなにたくさんあげられない」

「くぅーん……」

「っ……そんな顔をしてもだめ」


「スイくん、干物、軒下に吊るし直しておいたわよ」

「あ、忘れてた。ありがとう母さん。でもよく気が付いたね」

「ふふ、もちろんよ? お母さんだもの」


「スイ、騙されてはだめ。魚の干物もいいおつまみになる。ヴィオレさまはずっと目をつけてた」

「カレン? ちょっと話し合いましょうか?」

「いいよそれくらい。寒くなってきたんだし、晩酌くらいは楽しみとしてさ」

「まあ……スイくん、なんて優しい子に育ったの。大好きよ」

「むう、そうやってすぐヴィオレさまを甘やかす……」


「しょこら! しょこらもぽちのせなか、くる?」

「わふっ、わん!」

「きた! いらさい! たかいねー!」

「きゅるるっ」


 はしゃぎ合い、じゃれ合い、笑い合う光景。

 父さんのお墓に咲く花畑にも、細雪ささめゆきが色を添える。



 冬が始まった。

 世界の謎が立ちはだかっていようと季節は巡るし、僕らの日常は中断しないのだ。

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