インタールード - シデラ:ノアップの屋敷

 アテナクの集落から戻ってきて、半月近くが経つ。

 つまりノエミとリック、それにドルチェがこの屋敷で暮らし始めてから半月ということだ。


 ノエミもリックも、下宿をするにあたり最初は恐縮していた。おまけに家主はソルクス王国の第三王子とその婚約者だ。なにか粗相があれば国際問題になりやしないかと不安もあった。

 だがそんな懸念は数日も経てば綺麗さっぱり消えてしまい、今はもうここが第二の実家でいいんじゃないかとばかりの居心地の良さである。


 屋敷は広くて過ごしやすく、ノアップとパルケルは気さくで接しやすい。冒険者としても頼りになる腕前を持っており、学ぶところが多かった。ベルデとシュナイの肝入りであることも手伝って、自分たち四人はシデラの冒険者ギルドで、期待の新鋭として厚遇されている。


 エルフ国アルフヘイムからの返答も特にない。それに関して気になりはするものの、スイ=ハタノが森で——妖精というものの存在は正直、半信半疑だが——あれこれ探ってくれている最中なので、こちらとしても時間をもらえるのはありがたくさえあった。


 そんなわけで。


 ノエミは、リビングのソファーにぐでーっと寝転がる同胞——ドルチェ=アテナクに、呆れ気味な視線を送って言うのだ。


「ドルチェ、あなたそろそろ働いた方がいいんじゃない?」

「はた……らく……?」


 知らない単語を聞かされてよくわかんない、みたいな顔をされた。

 びっくりした。


「いやあなた、ここに来てからずっと食っちゃ寝でしょ……? そろそろ栄養状態も改善してるし、このままじゃ本当にただの居候よ」

「このままじゃだめなんすか?」

「だめに決まってるでしょ……」


 この半月でわかったことがある。

 ドルチェは案外、いやかなり、図々しい。


「そりゃあノアップさんとパルケルはあんなふうだから気にしないんでしょうけど、あなたもちゃんと自活しなきゃ。私たちだってお家賃と食費は入れてるのよ」

「そっすか……そうっすねえ」


 ただ、その図々しさは世間知らずによるところも大きい。

 森の中の集落で仲間外れにされて暮らしていた彼女は、社会性というものにひどく乏しい。他人の顔色をうかがうのは上手いくせに、他者をおもいはかった行動を上手く取れない——そんな矛盾を抱えている。


 ついでに言うと、お金を稼ぐ、という行為の重要さがいまひとつ理解できていないようでもあった。


「じゃあ明日にでも、森に行って食料を獲ってくるっすよ」


 なのでこんな反応が返ってきたりする。


「あのねドルチェ、いい?」


 ノエミは溜息混じりに説明する。


 社会の仕組みと、貨幣経済のこと。

 人と人との関わり、それを繋ぐ『お金』というものの存在のこと。

 みんな物々交換の代わりに貨幣をやり取りしていて、『労働』とはその貨幣を得るためのものであるのだ、と。家主であるノアップに貨幣を渡すことで、住まわせてもらっている日頃のお礼や、日々の食事や生活にかかる物資への賄いができるのだ、と——。


「コンソメの生産工場で働かせてもらいなさい。魔導の訓練には付き合うわ。ある程度ものになったら、ギルドマスターに口利きして……最初は短い時間でもいい。『働く』ってことと『お金を稼ぐ』ってことを覚えて、慣れていきましょう」

「コンソメ……スイさんが食べさせてくれた、あの煮込みのことっすよね。あれ、美味しかったなあ」


「あら、ここでいただく食事も美味しいでしょう?」

「うん、みんなで一緒に食べるご飯は、なんというか胸のところがふあーっとするっす。でもスイさんに食べさせてもらったあれは、ここでのご飯ともやっぱり違うっすよ」

「そう、……そうよね」


 ノエミはドルチェの頭をぽんぽんと撫でる。ふわふわした頭髪に掌が沈み込む感触は、まるで初摘みのお茶の葉を掻き回すみたいだ。


「ねえドルチェ。あなたはずっと、ひとりでご飯を食べてきたのよね」


 ソファーに寝そべる彼女の肩を押しのけ、隣に割り込んで座る。


「スイさんはそんなあなたにご飯を食べさせてくれた。そしていま、私たちはあなたと一緒にご飯を食べている。でもね、まだ足りないのよ」

「足りない……」

「誰かと一緒に生きるってことは、誰かとご飯を食べるっていうこと。そしてね、誰かにご飯を食べさせてもらう代わりに、誰かにご飯を食べさせてあげるってことなのよ」


 この子はきっと、それをまだ知らない。

 世の中はであると、知らないのだ。


「スイさんのご飯は、あの人が自分で開発して自分で作ったもの。ここで食べるご飯は、私や兄さん、ノアップさんやパルケルが稼いだお金でこしらえたもの。あなたはまだ、それをただ食べているだけ。だから、あなたも私たちと同じように……あなたが稼いだお金で、私たちにご飯を食べさせられるようになりなさい? そうしたらきっと、ご飯はもっと美味しくなる。今とはまた違う味になるわ」

「そっか。……ドルチェがはたらく? ことでお金がもらえて、それでご飯の材料を買う? ことで、みんなに食べてもらうんすね」


 得心したように頷き、その前髪に半ば隠れたつぶらな瞳を輝かせる。

 夕焼けのように赤い、茜色だ。


 おそらく属性は火、それから少しの風。

 内在する魔力も強靭な印象があり、鍛えればものすごい魔導の使い手になるだろう——アテナクの連中は、彼女の才能に気付いていたのだろうか。


「そうよ。お互いに助け合って生きていくの。それはたぶん、あなたがまだ知らないことで、これから知っていくこと。……私たちもここに来るまで、本当の意味で知らずにいたことなの」

「ノエミの言うことは難しいっす。ドルチェは半分もわかんないっす。……たぶん、ドルチェが頑張ることでノエミたちが喜んでくれるってことっすよね?」

「ええ、そうよ」


「だったら、やるっすよ」


 にかっとするドルチェの破顔は歳相応の、無邪気でかわいらしいものだった。

 ノエミはさっそく明日から、彼女に魔導の訓練をすることに決めた。



※※※



 ただ、残念なことに。

 ノエミの意気込みとドルチェの決意は、ほんの少しだけ先延ばしされることとなる。


 その日の夜。

 スイ=ハタノから通信水晶クリスタルで連絡が来た。


『あらかた わかった』


 ——表示盤には短く、そう記されてあったのだ。

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