記憶は、循環する

 がばっ、と。

 目を開けると同時、布団から上半身を起こす。


 心臓はばくばくうるさく、身体はじっとり冷えている。しばらくは呼吸することも忘れ、を脳裏で思い返す。


「……見た」


 夢を——あれは間違いなく、二千年前の、四季シキさんたちの記録だ。


 じっくり試していこうと思っていたのに、まさかの初日からか。

 深呼吸をし、枕元のスマホを掴んでロックを解除。メモ帳を開いて箇条書きに、内容を記入していく。寝起きで判断力の低下している今、情報の精査や取捨選択などしてはいけない。ただ覚えている限りのあるがままを、片っ端からとにかく書くんだ。


 それにしても……。


「なにをトリガーにして、このシーンが見えたんだ……?」


 ひと通り入力を終えたところで、ひとりごちる。


 夢を見ることができたのはもちろん、四季シキさんたちと行った魔力交感のおかげだろう。だが問題は、何故『この夢』だったのか、だ。


 内容は、かつて行われた戦い。

 十人の日本人転移者たちが、稀存きぞんしゅ——『魔王』を相手に大暴れする光景だった。


 夢の中の稀存種は醜悪だった。僕が戦ったキマイラとは比べ物にならないほど、様々なケモノたちが合成されていた。大量の頭、雑多な生物たちの手足、用を為さない翼、それにびっしり牙の生えた口と、虹色にぎらぎら輝く目玉。もはや元になった種がなんなのかすらわからないほどだ。


 そして、そいつとの戦いの中で、転移者のひとりが——あんなにも、むごたらしく。


「……っ」


 ぶるぶると首を振る。

 あれは夢だ、自分の身に起きたことじゃない。


「いや。だけど、現実でもあるんだ」


 二千年前、四季シキさんたちが実際に、経験したことなんだ。


 大きく息を吐いた。

 ちょっと夢に引っ張られて情緒がおかしくなっている。落ち着かない気持ちで、さすがに眠れそうにない。


 ベッドから立ち上がり、ウインドブレーカーを羽織って部屋を出る。階段を下りて玄関のドアを開け、外の空気を吸いに、庭へ。


 前回の夢を見た時と同じことしてるな、僕。

 確かあの時は、ショコラが来てくれて——、


「くぅーん」

「お前……よくわかったな、僕が起きてきたの」


 まさしく、あの時と同じように。

 暗闇の中からのそっと、ショコラが姿を現した。


「くぅーん……?」


 どうしたの? と、もふもふの毛並みが足元に擦り付いてくる。


「大丈夫だよ。この前とは違う、へこんじゃいない。……でも、ありがとうな」

「わふ、ふすっ……」

「うりうり」


 しゃがみ、顔を両手で挟んでぐにぐにしてから全身を撫で回した。

 そういえば、いま何時頃だろう? ショコラもまだ遠吠えはしてなかったと思うから、夜明けには早いのかな。


 空を見上げる。輪っかのついた異世界の月は、半分よりも少し膨らんだ更待月ふけまちづき。それが中天からやや西に傾いている。


「午前二時、三時。そのくらいか?」

「わうっ?」

「さすがにこのまま起きてたら明日がつらいな。もう少ししたら寝直すか」


 前脚を僕の膝に乗せてじゃれてくるショコラをあやしながらそんなことを言っていると——。


「だったら眠くなるまで、少しぼくと話をしないかい?」


 庭の横手、イングリッシュガーデンの茂みの奥から。

 小柄な人影がやってきて、僕に笑いかけた。


四季シキさん」


 薄い月光に透かされた羽を仄かに輝かせながら、四季シキさんは肩をすくめた。


「妖精っていうのは、本来、夜に現れるものさ。……真夏の夜の夢、だったかな」

「あれ、面白かったですか? 僕はまだ読んでなくて」


 本棚にあるんだよね、シェイクスピアの文庫本。他の作家の小説と合わせて、何冊か四季シキさんに貸している。


「いや、実はぼくもまださ。でも芥川龍之介は読んだよ」

「どれです? 『羅生門』とか?」

「『偸盗ちゅうとう』と『トロッコ』」

「チョイスが渋い」


 僕も暇な時にいろいろ読んではいるんだけど、そのうち四季シキさんの方が詳しくなりそうだ。


 無言で誘われてガーデンの奥、東屋ガゼボへ。向かい合って椅子に腰掛ける。なんとも準備のいいことに、テーブルには湯気のたったお茶が置かれていた。


「ハーブティーだよ。よく眠れる」

「ありがとうございます、いただきます」


 足元に伏せて丸まるショコラの背中を撫でつつ、ひと口。


「日本の文学を読んで、なにか思い出したりはしました?」

「いや、全然だね。ただ、シキは本が苦手ということがわかった。読んでると、すぐに寝ちゃうんだ」

「そっか……もう少し簡単なやつがあればよかったんだけど」

「図鑑を貸してくれないか。絵を見るだけでも楽しいだろうさ」

「なるほど、確かに」


 動物図鑑とか良さそうだ。

 僕にしてみれば異世界の生物が載っていない本だが、シキさんにしてみれば異世界の生物がたくさん載っている本になるわけだし。……元が、日本人であっても。

 わかってはいるけど、やっぱり少し、寂しいものがあるな。


 そんなことを考えていた僕へ、不意に。

 四季シキさんが言った。


「きみが庭に来るのは、わかっていたよ」

「え」

「不思議じゃなかったかい? どうしてぼくがこんな夜中に目を覚まし、現世かくりよに出てきているのか」

「それって……」


 僕は一瞬、ぽかんとする。

 けれど数瞬後、気付いた——思い当たった。


「……まさか」

「ああ、そうさ。……考えてもみなよ。ぼくらは日中、互いの魔力を交換した。ならば、きみに起きたことがぼくに起きるのも不思議じゃない」


 言われてみれば確かに、理屈上はあり得る。起こり得る。


 僕がやったのはつまり、夢を媒介にした記憶の追体験——闇属性魔術で因果線を逆に辿ることにより、魔力に宿った過去、その記録を閲覧するという行為だ。


 理屈もいまひとつ定かではなく、もちろん術式なんて組まれていない。稼働条件もよくわからない偶然任せのものだから、僕にしかできないんだと思い込んでいた。


 でも、四季シキさんも僕ほどではなくとも、闇属性の魔力は持っていて。

 そして四季シキさんの体内には日中、僕の魔力が一度、巡っている。


「なにか、見たんですね。……なにを、見たんですか」


 思わず震える僕の声。


 その問いに、四季シキさんは——妖精王は、言った。


「ぼくはきみほどに魔導が強くないから、どうにも薄ぼんやりとしていて現実味がないけどね。少しだけ、思い出したよ」


 自嘲気味に、寂しげに、皮肉げに、肩をすくめて。


「確かにぼくは……ぼくらは『魔王』たちを倒した。それが、日本から転移してきたぼくらの使命だと信じていた。でもね、なんのことはない。あれの発生は、そもそも防げるはずのものだったんだ」


 かつての世界、今や失われたその記録の一端を、口にする。



※※※



「二千年前、『魔王』どもは、。つまり人災だよ。ぼくらはそれの対処にいいように使われ、使われ尽くして……そうして、世界を巻き込んで壊れたのさ」


 それは。

 かつて世界を救った勇者だった人の——勇者だったはずの人の、皮肉げで忌々しげな笑みだった。

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