夜を語る

 深夜、カレンに揺り起こされた。

 夜番やばんの順が僕に回ってきたのだ。


 同じく目を醒ましたノアとともに天幕から出て焚き火へ向かうと、カレンと一緒に夜番をしていたパルケルさんがカップを差し出してくる。


「ん、はい」

「おお、すまんな」

「ありがとうございます」


 砂糖の入ったブレンドティーはなかなか苦くそれ以上に甘く、ぼんやりした頭を覚醒させてくれる。身体の隅々まで気が入るようだ。


「じゃあ、私たちは寝る」

「ノア、砂時計ひっくり返すの忘れないでね」


 背伸びする僕らにカレンとパルケルさんは声をかけ、天幕の下で毛布に潜り込んだ。


 夜番はおよそ三時間の交代制。

 体感で午後八時くらいにパーティーの就寝が始まり、いまはたぶん、午後十一時ほどだろうか。ここから僕とノアで午前二時まで夜警をしてから、次はリックさんとノエミさんに交代だ。


「三日に一度のペースで、夜番なしの日が来る計算かな」


 今晩はベルデさんとシュナイさんがそれ。まだ僕らが元気な初日にやらせるのは先輩としての配慮だろう。


「くぅーん」

「なんだショコラ、起きてきたのか?」

「わふう」


 と、僕とノアが焚き火を囲んで腰掛けると、ショコラが闇の中からのそっとやってきて隣に伏せる。背中を撫でると少し鬱陶しそうに身をよじらせた。寝起きでちょっとめんどくさいのだろう。

 ……それでも、僕の気配を察知して来てくれたんだな。


 静かな夜に、ぱちぱちとたきぎの爆ぜる音が響く。

 当たり前だけど、夜警で騒がしくしてはいけない。みんなの睡眠を妨げることになる。騒いでいいのは獣が襲って来た時——まあ、今はさすがに僕も結界を稼働させているから、なにが来ても大丈夫ではあるけど。


 ごく小声で、ノアに話しかけた。


「そういえば、王都の商売はどう?」

「うむ、すこぶる順調だ。もう俺の手を離れたと言ってもいい」


 対するノアも囁き声で、にやりと笑む。


「フギミアとウトシュク……ああ、俺に難癖をつけていた貴族どもな。あいつらの顔は見ものだったぞ」


 フギミア伯爵家の領土は堅香子かたくりの産地で、ウトシュク辺境伯家の持つ海では昆布が山ほど採れるそうだ。どちらも、胡麻豆腐の材料として欠かせないものである。


「特にウトシュクなどは地形のせいで、海を有していながらたいした漁ができずにいたからな。掌を返すどころか揉んできた」

「じゃあ、昆布出汁だしも広まりつつあるのかな」

「ああ。『ノアの夜雲』だけじゃなく、様々な料理に使われつつある。おそらくそのうち、王都からシデラに逆輸入されるはずだ」


 ただやはり、一般家庭にまで——というわけにはいかないらしい。

 理由は、水だ。


 この大陸で飲用水や生活用水として使用されているのは硬水で、これは昆布出汁を取るのに向いていない。ただでさえ出汁の主な目的である『旨味』の概念を知らなかったこの世界の人々が、乾燥昆布を硬水で煮出しても効果を実感できるはずもないのだった。


 ただ一方、魔術によって生成された水は別。


 魔導水と呼ばれるそれは金属をほとんど含有していない軟水で、人件費がかかることから日常的に使われることはあまりないが、遠征中の冒険者やレストランの飲用水などに一定の需要を築いている。そしてこれが、昆布出汁を取るのに向いているのである。


 結果、現状において胡麻豆腐——『ノアの夜雲』は、一般庶民が家庭で作る品ではなく、レストランやカフェで供されるものとなっており、材料として使用される乾燥昆布の卸値もまた、高めの傾向を見せているそうだ。


「まあ確かに、乾燥に人件費もかかるし、大規模生産もできないだろうしなあ。日本のようにはいかないか」

「逆に、高級品というのがウトシュクの矜持プライドをくすぐった。ああいう手合いは、薄利多売を下賤な商売だと見下す向きがあるからな」


 ノアの邪魔をし彼の家族を傷付けてきた奴らだ。それがなんだかんだ得をしている現状に、思うところがないではない。感情だけで言うなら、報いを受けて落ちぶれてほしくさえある。


 ただやっぱり政治的な立ち回りというのは、僕なんかが考えるよりも難しい話なんだろう。フギミアもウトシュクも、金銭面で潤ったはいいが貴族たちの間での面目は丸潰れで、社交界ではひそひそされるような状態らしいし、当人ノアたちがそれでよしとしているのだから僕のくちばしは無用だよね。


「ふ、もっと長い目で見れば、俺たちの完勝だぞ? いい商売を与えて潤わせることで、当代は内心でほぞを噛み、次代はありがたがって従順となるのだ。五十年……いや、三十年後には両家が内実ともに、王家の忠実な家臣になっているだろうさ」

「ひゃー……なるほどなあ」


 利益を与え恩を売り、代わりに思想を奪うってことか。


 商売は次の世代にも引き継がれるが、反抗心や敵愾心てきがいしんは継承されず、逆に忠誠心となる——後々のことまで視野に入れて、そんな迂遠うえん搦手からめてで敵を倒すのか。すごい。


「それよりも、義姉あね上のご実家が目を輝かせているぞ。ルクトガルカ侯爵家の領地は寒い。故に香味野菜の産地でな。コンソメの普及を待ち望んでいる」

「お姉さんって、ノアのお兄さんの奥さん?」

「ああ、一番上の。つまり王太子妃だ」

「……うわあ」


 すごいところ来ちゃった。


 まあ、悪どい貴族じゃなければ好きにやってもらっていいや。ノアの話を聞くに、王家の皆さんはみんな民思いの善良な方々ばかりのようだし。そうじゃなきゃ、母さんはこの国に(形だけとはいえ)仕えていない。


「まあ、政治の話などやめておこう。そもそも、お前に協力してほしいだなど、みな血迷っても言わんさ」


 ノアは僕の表情に肩をすくめた。

 そしてふっと力を抜いて、感慨を見せる。


「ただ、それは抜きにして……お前にはいつか、俺の家族を紹介したいな」

「そうだね、是非。でも、王都かあ。行くことあるかな」


「さすがに陸路は長旅になりすぎるものな」

「機会があったら、ジ・リズに頼むことにするよ。国王陛下ご夫妻は、うちの両親と友達なんでしょ? ……父さんや母さんの昔の話を、聞いてみたい」


「冬が深まればさすがに暇だろうから、その時にでも遊びに来てくれ。俺たちは『零下』殿を介して縁戚でもあるのだ。面倒なあれこれをはばかることはない」

「ぜんぜん実感ないけどね……」


 うちの母方の実家は侯爵家で、大叔母は王家に嫁いでいます。……なんて。

 日本にいた頃の僕が聞いても絶対に信じない。


 そんな僕に、ノアは穏やかな顔をした。

 焚き火に薪を突っ込みながら、言う。


「実感なんかなくてもいい」


 嬉しそうに。

 そして、誇らしげに。


「お前は俺の友で、シデラの冒険者で、頼りになる仲間だ。こうして夜の森、ただ中にあって——それ以外、なにを必要とするものか」

「ああ……そうだね。そうだ」


 見上げれば星空。

 遠くから聞こえる、獣の遠吠え。

 風が吹くたびに木々が不気味なざわめきを鳴らし、いつ闇の中から魔物が襲ってくるかもしれない、そんな夜。


 ——こういうの、転移してきた初日以来だな。


 あの時と違って家で守られてはいない。

 でも代わりにノアがいて、みんながいて、僕は力を自覚していて、森で生きることに慣れてきていて。


 だから僕は野晒しの中にあってもショコラを抱き締めず、ただ背中を撫でるだけで安心できているんだ。


「わふう……」


 ショコラも丸くなって、もうほとんど寝ているしね。

 僕らは着実に成長している。そう実感できる夜風だった。




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 王都に行く話を実際に書くかどうかは今のところ未定です。

 仮に書くにしてもかなり先になる気が……。

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