森と寄り添う街に花を添えて

インタールード - 王都ソルクス城:中庭

 国王夫妻は日々の執務の合間、昼下がりにお茶をむのが習慣である。


 憩いのひとときは穏やかで慎ましく、中庭の草花を眺めながらゆったりと、さほど高級でもない茶を傾け、市井で売られているのと同じ菓子をつまむ。もっとも、器だけは王家御用達の一級品であるが——それも経済を回す上で必要だからという理由が強い。


 今日の茶器は新進気鋭の陶芸工房『赫赫かくかくたるレオナルド』のものだ。彼らは慈善事業にも力を入れており、王家御用達のお墨が付けば喜ぶ者も増えるだろう。


 そして器を飾る茶菓子は、蜂蜜のかかった黒くねっとりとした車厘ジュレ——昨今、王都をおおいに賑わせている『ノアの夜雲やくも』、つまり胡麻豆腐ごまどうふであった。


「相変わらず、これは美味しいなあ」

「ええ、そうですね」


 のほほんと甘味を堪能するシャップス国王と、伏し目がちな笑みでそれに応えるファウンティア王妃。舌に広がるとともに幸福が心を満たすのは、末っ子ノアップの名を冠していることと無関係ではない。


 夏の訪れとほぼ同時に売り出した『ノアの夜雲』は、ふた月半を経た今や、王都を超えて近隣都市にまで評判を広めつつある。王家手ずからの仕込みがあったにせよ、流行しているに足る理由がその味にはあった。


 とはいえ、


「やっぱり、『天鈴』殿のご子息が関わってるのも大きいんだろうなあ」

ヴィオレあの方は、民に好かれていますからね」


 ヴィオレ=エラ=ミュカレ=ハタノの顔や為人ひととなりを知る者は少ないが、その名は大陸中に轟いている。


 特にここソルクス王国では、王家が『鹿撃ち』を与えたことも相まって、市井からの人気が高い。『権力を屈服させた』者の存在は——たとえ圧政が敷かれていなくとも——下々にとって、心地いいものなのだ。


 もっとも、そんな反骨心すらも取り込んで利用するのが施政者である。

『天鈴の魔女』の子息が開発に関わっていることを王家はさりげなく流布したことで、商品の普及は早まったのだった。


 もちろん、王と王妃の胸にあるのは打算ばかりではない。


「ヴィオレ殿、元気でやってるかなあ」

「新しいご息女が無事に快癒なさってからは特に報せはありませんが、便りがないのは良い便りでしょう」


 二カ月ほど前、竜族ドラゴンの背に乗ってこの中庭に降りてきた友の姿を思い出し、ファウンティアは苦笑する。竜族ドラゴンが王都にやってくるなど、開国以来片手で数えられるほどの珍事だった。城は大騒ぎになり、後始末に奔走させられたのは記憶に新しい。


「ご息女かー。血妖花アルラウネの娘までできるなんて……」


 そこに至っては、もはや自分たちの手に負える領分ではない。王妃としてはもう考えるのをやめた。ただ友人として、娘御が平穏無事に病を治したことを安堵し、喜ぶばかりである。


「父上、母上!」


 と、感慨に紅茶をぬるくしていると。

 中庭に響く元気のいい声が、抑えきれぬ笑みを浮かべて歩み寄ってきた。


「なんです、ノアップ。騒々しい」


 末っ子の第三王子——ノアップ。

 まさに夫婦が食している『ノアの夜雲』の開発者であり、スイ=ハタノの友人だ。


 その隣には狼の耳と尻尾を生やした少女が、これもノアップに負けず劣らずの輝きを目にたたえている。


「スイから手紙が来ました。俺がシデラで世話になった冒険者が婚姻するとのことで、祝いをしないかと!」

義父ちち上、義母はは上、ごきげんよう。つきましてはあたしたち、あちらへ戻ろうと思うのですが」


「おお、それはおめでたいなあ」

「陛下、気軽に祝辞を発するものではありませんよ」


 内心はどうあれ、王が口にした言葉は意味と重さを持つ。誰が聞き耳を立てているとも知れない中庭であればなおのことだ。

 

「……まあ、我が子がお世話になった方の成婚を祝う気持ちは、当然のものですが」


 そこで即座にさりげない助け舟フォローを入れるのが、ファウンティアの役目である。


 体裁を繕ったところで、息子と義娘むすめに向き直る。ただし態度はあくまで王妃として、王子とその婚約者に。


「ノアップ、パルケ・ルル。話はわかりました。王都での事業に支障はありませんか?」

「それはもちろんです! 生産も流通もこちらの手を離れた。もはや俺たちがいなくても、問題はありません」


「『ノアの夜雲』って名前だけは気恥ずかしいけどね」

「なにを言う、パルケル! 俺は誇らしいぞ」

「あんたはそういうところ、面の皮が厚いからね。喫茶店や料理店に入るたび、婚約者の名があちこちから聞こえてくるこっちの身にもなって欲しいわ」

「では次にスイが料理を考案したら、お前の名を付けるか?」

「なんでそうなる!」


 ぱぁんと頭を叩かれるノアップと、顔を真っ赤にするパルケ・ルル。仲が良いのは結構だが、間違いなく王家の振る舞いではない。


 ただ——それを王宮内で堂々とやれるようになったという事実に、ファウンティアの胸は少なからず温かくなった。以前は一挙手一投足を槍玉に上げられ、言いがかりの種にされてきた彼らが、今や誰にも文句の付けられない実績を盾に、堂々と思うがままに過ごせている。


 だからファウンティアは——夫と顔を見合わせて笑みを交わし、愛しの末っ子とその婚約者へ言うのだ。


「いいでしょう、行ってきなさい」

「ありがとうございます、母上!」

「ただし!」


 自分もまた王妃としてではなく、母親として。

 子を案じる思いを、素直に告げる。


「定期的にちゃんと連絡を寄越すこと。たまには帰省して顔を見せること。家族みんなに挨拶をしてから行くこと。いいですね?」


 ファウンティアは椅子から立ち上がった。

 夫も同じように——こういう時、彼は必ず一瞬だけ早く、自分よりも先に動くのだ。まるで妻のやりたいことがあらかじめわかっているように。


 シャップスはのほほんとしたいつもの顔で、それでもわずかに眉を寄せて言う。


「ノア、パルケル。お前たちはシデラに拠点を構えて暮らすんだね?」

「そのつもりです」

「『うろの森』は、我が国で最も危険な場所だ。充分に気を付けなさい。どんなに強くなっても油断はしないように。困った時は遠慮なく友人を、周囲の人を頼りなさい」

「はい! もちろんです」


「うん。それでな、その上でな。存分に……『天鈴』殿のご子息に、振り回されてきなさい。呆れて、頭を抱えて、勘弁してくれと嘆いてきなさい。父と母もそうしてきた。それはきっと、かけがえのないものになるから」


 シャップスは息子と義娘を、順番に抱き締めた。

 だから続いてファウンティアも、同じようにする。


 手を振って中庭を去っていく彼らの背中を見る瞳。その目尻に光る濡れたものを、手巾ハンカチでそっと拭いながら。



※※※



 そうして——。

 末っ子とその連れ合いを見送り、お茶を終え、執務室に戻ったふたりを、宰相のエイデル=タイナイが出迎える。


 彼はとてつもなく苦い顔をして、手にした文を開くと、国王夫妻に告げた。


「申し上げます。先だってスイ=ハタノが、新しい菓子を考案したとのしらせ。ゆうにひと月以上は日持ちし、ひと切れだけで半日は動ける活力を得られるものだそうです。現在はシデラ村の喫茶店が専売しているとのことですが、これが将来的に広まれば、冒険者や行商人にとっては革命的な携行保存食になりますね」


「うっそだろ」

「は……?」


 頭を抱える王。ふらりとよろめく王妃。


「実物を確かめたいところですが、なにぶん生産が始まったばかりで、現地でもすぐにで手に入るかどうか。いかがしますか? 両陛下」


「……そう、ですね」

「いや、なんでノアじゃなくて余を振り回すの……」


 ぶつぶつつぶやくシャップスをわきになんとか持ち直したファウンティアは、控えていた侍女へ告げるのだった。




「すぐにノアップを呼び戻しなさい! たった今、用事ができましたっ」





——————————————————

 王妃はこの夜「あなたの息子どうなってるんですか」という通信文を友人に送ったとかなんとか。

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