そして家庭の味になる
かくして味噌が完成し、満を持して——。
と、言いたいところだけど。
すぐにでも使ってみたい欲求を抑えて、ひと晩だけ我慢することにした。
何故なら次の日は奇しくも、唐揚げの日だったからだ。
週に一度やってくる、ハタノ家恒例、家庭の味。
せっかくだから、唐揚げと味噌汁。
日本でも食べていたあの組み合わせを以て、お披露目の場としようと思う。
唐揚げはいつものあのレシピである。ギーギー鳥の肉の扱い方も、調理を重ねるごとにだんだん習熟してきた。今では最初に作った時よりも美味しさを引き出せていると思う。ことによると、あっちのブロイラーよりもいけるかもしれない。
なので問題は味噌汁だ。
いよいよこの時が来た、そんな心持ちで僕は鍋の前に立った。
まずは
もちろん使うのは、昆布。
鍋に張った水に乾燥昆布を三十分ほど浸けておき、そこから火にかけて沸騰直前になったら取り出す。昆布の旨味が十二分に引き出されたこのスープが味噌汁のベースになるのだ。
そして具材。
今回はシンプルに、豆腐とネギのみにする。
豆腐もネギも、もちろん自家製。豆腐は賽の目状にして、ネギは白い
元来、味噌とは手軽な携行調味料であり、故に味噌汁の調理工程も至ってシンプルだ。
昆布出汁のスープを煮立たせ、豆腐を投入して一分ほど火を通す。それから火を弱めて斜め切りしたネギを入れ、沸騰する直前の温度にして——味噌を溶かし入れたら完成である。
『味噌は
あとは食べる直前に小口の青ネギを散らせば完成である。
小皿に取り、味見をし、上手くいったことを確かめて、僕は家族を呼んだ。
「ご飯、できたよ!」
※※※
毎週、唐揚げの日にはポチも含めた全員が一緒に食事をする。
僕とカレンと母さんにはサトウのごはん、唐揚げと味噌汁、それにサラダ。
ミントには味噌汁と、野菜ジュース。
ショコラには大好物のドッグフード。
ポチには塩をたっぷり振った特製サラダだ。
掃き出し窓を開け、ソファーとテーブルも移動させる。
縁側の軒下に首を突っこんだポチと、食卓を囲んだ僕ら。
みんなで一緒に、手を合わせて——。
「いただきます」
「きゅるるっ! きゅう!」
塩気のあるサラダはポチにとって週一のミネラル補給であるが、同時にデザートみたいな感覚らしい。もしゃもしゃと静かに牧草を食むいつもの風景とは違い、嬉しそうに鳴き声をあげながら目を細めている。
「はぐっはぐっはぐっはぐっ……くぅーん」
ショコラにとっても地球産のドッグフードは大好物だ。今回は薄めた味噌汁をかけている。日本にいた頃にもたまにあげていたやつ。美味しそうにがっついては時折こっちを見て尻尾を振ってくる。こいつも懐かしがってるのかな。
「むふー。これ、おいし! あったかい!」
ミントは気に入ってくれたようで、味噌汁をこくこくとやってにかっと笑う。ネギがほっぺについているのを拭き取ってやると、ぱたぱたと足をばたつかせながら再びお椀を傾ける。
それらを眺めながら、僕の視線はカレンと母さんへと移った。
「……どうかな?」
正直——不安はある。
味見した限りでは、よくできたと思う。魔術で熟成させた急拵えの味噌は、薄口ではあったがそれだけに間口が広く、慣れてない人でもすんなり口にできるのではないか。昆布出汁もしっかりと味を下支えしていたし、豆腐の柔らかい食感とネギの甘さも調和してくれていた。
紛れもなく、日本の味になっているんだ。
だからカレンにも、母さんにも、できることなら気に入って欲しい。
そんな願いを込めて、ふたりの顔を見る。
カレンと母さんは。
お椀を両手で包み、香りを吸い込んで、それからゆっくりと味噌汁を味わい。
ふたり揃って、
「美味しい……」
「ええ。美味しいわ」
——顔を、綻ばせた。
「優しい味がする。さっきミントが言ったみたいに、身体が……ううん、心があったかくなる。ほっとして、落ち着く」
「あの調味料が、こんな香り高い風味になるのね。これが……お父さんの生まれ育った場所の、味」
「……、うん」
思わず声が詰まった。
僕はどうも、予想していたよりもずっと緊張していたらしい。そして予想していたよりもずっと——嬉しかったらしい。
「海藻の味もする。これがスイの言ってた『旨味』? ようやくわかった。確かにこれは、今までスイが作った料理の下にもあった味。深くて、身体に染み込んでいく感じ」
「お豆腐もネギも、このスープにすごく合っているわ。特にお豆腐はすごいわね。これも同じ豆でできてるのに……。同じ豆だから、こんなに合うのかしら?」
「そうだね。味噌も豆腐も、それにいつも使ってる醤油も。全部、大豆からできてるんだ。冷やした豆腐に醤油をかけるっていう食べ方もあるよ」
「ん、今度、試してみたい」
カレンは満足そうにもう一度、味噌汁へ口をつける。それから唐揚げを頬張ってお米を口に運び、最後にまた味噌汁を飲んで、
「
はふはふとしながらうっとり顔を綻ばせた。
「私がむかし食べた缶詰よりも、匂いが気にならないわ。スイくんのお料理が上手いからかしら」
母さんは少しだけ悲しそうな、けれどそれ以上に晴れやかな顔で味噌汁を味わっていた。
僕は頷いて言う。
「そもそもサバの味噌煮って、味噌を使った料理の中でもかなりクセの強い部類なんだよね。サバの匂いもあるし、缶詰ならなおさら。味噌に慣れてない人には、かなりきつかったんじゃないかと思う」
日本でも苦手な人がいるくらいだ。
それに料理をしない父さんのことだから——缶詰ってことで、下手をしたら冷めたまま食べていたのかもしれない。
生活能力に欠けていた父さんと、素直じゃなかった頃の母さん。
恋人同士にもなる前の、それはきっと些細な、けれど不幸にも長い間そのままになってしまっていた、行き違いだ。
「母さん」
だから僕は、そんな過去の棘へとそっと手を伸ばす。
「これからたくさん食べて、この味に慣れていって。……でね。きっとこっちでも鯖に似た魚がいると思うんだ。手に入ったら、僕が作るよ。父さんの缶詰と同じ料理を、もう一回。母さんが笑って食べられるように、作るから」
カレンが無言で母さんの頭をよしよしと撫でる。
「わふっ」
ショコラはひと鳴きして、母さんの膝に頭を乗せる。
「おとさん? おとさんも、これ、のんだことあるの?」
ミントが小首を傾げ無邪気に尋いてきたので、僕は「そうだよ」と頷く。
「きゅる……きゅうっ」
ポチがお皿に残った塩を舐めて、満足げに嘶いた。
母さんは目尻の涙を拭って、みんなを見渡し——最後に僕へ、笑いかけた。
「ありがとう、スイくん。楽しみにしてるわ」
※※※
箸で唐揚げを取り、かじる母さんを見て、ふと気付く。
そういえばカレンも母さんも、なんの違和感もなく箸を使ってるってことに。
握り方も作法通りで、器用に。長年の慣れた道具みたいに。
シデラでも
だからこれはたぶん、僕がこっちの世界にいた頃からの、ハタノ家だけの習慣なんだろう。
父さんはきっと、嬉しかったよね。
好きな人が自分のために、練習してくれたんだから。
自分のいた世界のことを——わかろうとしてくれたんだから。
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カレン「スイ、
スイ「うん……いや、これはさすがにまだ早いな」
カレン「?」
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