ひときれずつの約束を
そして一週間が経ち、約束の日となる。
集ったのはシュナイさんとトモエさんの他に——ベルデさん、リラさん、ノビィウームさんという彼らの飲み仲間たち。
僕と同行してきたのはカレンとショコラだ。
「家でも同じやつ作ってるし、カレンは今日、試食しなくてもいいんだよ?」
「スイ、なに言ってるの? あっちはあっち、こっちはこっち。私は両方、作るところに立ち会った。だったら両方を最後まで見届ける責任がある」
大真面目な顔で僕を
「お前は食べられないけど、ごめんな」
「わうっ!」
犬には甘すぎるし、なにより中に入っているレーズンがNGだ。ただショコラもそれがわかっている——というより、
「やっぱあの店のミルク、なんか隠し味入れてるのかな……お前の食いつきが全然違うんだよな」
「ばう! ばうばうばうっ」
わかる? わかる? とばかりに、ぴょんぴょん飛び跳ねながら僕にじゃれついてくる。ずっと尋きそびれてたけど、今日こそトモエさんに教えてもらお……。
ともあれそんなこんなで店に到着し、案内されて二階席へと。なお一週間前と同様、今日は定休日だ。
「よう、スイ、カレンちゃん。遠路からご苦労だったな」
「わうっ!」
「ああ、もちろんショコラ、お前さんもな」
先に来ていたベルデさんが気さくに手を挙げる。隣のシュナイさんはどこかぎこちない面持ちで、無言のまま頷くのみ。
そこからリラさん、ノビィウームさんとやって来て、全員揃ったところでラウンドテーブルにぐるりと着席する。
なお、今回のメンツはみんなすべての事情を理解してはいる。が、一方でシュナイさんとトモエさんのあれこれについては、こうして全員がいる場では一度も話題に出たことがないらしい。なのでいつもの気の置けない空気とは少し違う、独特な緊張感が場を支配していた。
ショコラすら空気を読んで、出されたミルクをがっつくことなく……いや美味しそうに舐めてはいるな……?
「お待たせしました。こちら、スイさんが作ってくださった『シュトレン』というケーキですわ」
そして、ついに。
全員分のお茶を淹れ終わったトモエさんが、お皿に乗せたそれをテーブルの上に置いた。
密閉するようにきっちり包んだ油紙を取り除くと、そこには一週間前に見たのと変わらない——たっぷりの粉砂糖でコーティングされた、真っ白な楕円形の塊。
「このケーキは、一週間前に作られました。ですが腐っていませんし、黴も生えておりません」
「一週間? そいつは、堅パンなのか?」
「いえ、ケーキですよ、紛れもなく」
ベルデさんの問いに僕が答える。
「ちなみに一週間は味がこなれるまでの期間で、保存期限としてはまだまだ余裕があります。涼しい場所で適切に保管すれば、ゆうにひと月は保つ。冷蔵するならその倍も。味についても、時が経てば経つほどどんどん良くなっていきます」
「……そいつは」
「まあ、まずは食べてみましょうか」
トモエさんがナイフでスライスし、ひと切れずつ配っていく。
「わたくしも初めてなんですの。ご一緒させていただきますわ」
そうして彼女も席に着き、みんなでフォークを持つ。
口に運び、
「うん、成功だ」
僕は心中で安堵する。
保存もばっちり、味も熟成されいた。むしろ
ややあって、それぞれがぽつぽつと感想を述べ始めた。
「ほう、美味えな」とベルデさん。
「うん。なんてーか、ずっしりした味だね」とリラさん。
「このひときれで食いごたえがある」とシュナイさん。
「ラム酒の香りがいいな。酒にも合いそうだぞ」とノビィウームさん。
「美味しい。バターとナッツとドライフルーツが混ざって美味しい」
そしてカレンのいつもの食レポよ……。
生地自体は、濃厚でしっとりとしたバターケーキといった感じ。
砂糖でコーティングされた表面はやや固く、ざくりとした歯触りで、その後、香りの移った砂糖が口の中でほろほろと溶けていく。
ただ、そこまで甘さは感じない。砂糖の甘みよりも、他の材料の強さが勝っているからだ。
それは生地の中にこれでもかと入れられたナッツとドライフルーツ。噛む度にアクセントとなりながら味を膨らませ、それをラム酒の香りが包み込み、渾然一体となって複雑な味を織り成してくれる。
……なのでまあ、カレンの感想は割と正しいのだ。言い方だけで。
全員がひと切れ分を食べ終わったところで、トモエさんが立ち上がった。
「スイさんによると、そのひと切れだけで一食分……三倍量のパンほどの栄養があるそうです。ニホンでは栄養、という言い方をしないそうですが」
「カロリーと言います。要するにエネルギー……生きて動くために必要な力ですね」
「……なるほど、つまりそいつは、そういうやつか」
「ええ、ご
トモエさんはにやりと笑む。
他所行きの上品なそれではなく——悪どい、だからこそ彼女本来の魅力が詰まった顔で。
「長期保存に向き、しかも栄養のある甘味。一日にひと切れずつ食べれば、森でも元気を保てますわね」
「
元来シュトレンは寒い時期に少しずつ食べるものだが、それはつまりエネルギー効率がいい食品ということだ。
バターの脂肪分は身体に貯蔵され、言わばエネルギーの長期保存手段となる。
砂糖は短期的な活力を生み、ナッツ類はその日一日を動くエネルギーに。ドライフルーツにはビタミン類が豊富で、おまけにラム酒が体温を上げてもくれる。
ベルデさんだけではなくリラさんもその価値に気付き、神妙な顔になった。
森に入って活動する冒険者にとって、これはすごく有用なお菓子なんだ。
そしてまた一方——そんな彼らを待つ人たちにとっても。
「……シュナイさん」
トモエさんはついに、恋人に正面から向き合った。
肩をすくめ、穏やかに目を細め。
底意地の悪そうな、けれど同時に刹那げな顔で、言う。
「わたくし、スイさんと独占契約を結ばせていただくことになっていますの。このシュトレンを市場に流通させる際に、うちのお店を
ひねくれた言葉だ。
けれどその真意を理解できない人は、この場にはひとりもいない。
「このシュトレン、それなりに値が張ります。日帰りや一泊そこらの滞在には必要ない品ですが……たとえば定期的に長期滞在する仕事熱心などこかの
その震える声音に込められた想いを。
その
「半分こです。切って、半分、お渡しします」
わかっていない人なんて——ひとりも、いないんだ。
「あなたに半分、わたくしに半分。一日にひと切れずつ食べてくださいまし。わたくしもひと切れずつ食べます。それで、なくなる前に帰ってきてください。わたくしもひと切れずつ食べながら、数えて待ちます」
トモエさんが、胸の前で拳を握る。
睨むように、
「……わたくしは、それでいい。そういう暮らしでいいんです。あなたがいない間も、わたくしは……わたしは、あんたと一緒に、ケーキを食べる。ずっと一緒に、ケーキを食べてるから。だから……だから」
「トモエ」
そんな彼女の言葉を、シュナイさんが遮った。
そして立ち上がり、テーブルを回り込んで。
無愛想な、世の中を斜めに見たような顔で。
トモエさんに、告げた。
「腰を折って悪いが、俺からも話があるんだ」
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作品の設定上、ショコラは地球の犬とは別の生き物で、食べるものにNGはありません。
ただスイは今のところ「万が一があったら嫌だから」という理由で「犬が食べてはいけないもの」を食べさせていません。
またメタな理由ですが、この作品を読んだ方に「あの小説で犬が食べてたから」と勘違いさせてしまうのは僕の本意ではないと考えています。
そのため今後も、(作劇上、なんらかの必要があった場合を除き)犬が食べちゃダメなやつは基本的にショコラにも食べさせない……という感じでやっていきます。
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