そんな彼らのために

 かくして、シデラ。

 トモエさんの勤める『雲雀亭ひばりてい』の定休日に合わせ、僕らは訪れた。


 じっくり作業するため、今日はミントも子ドラゴンたちも連れてきていない。いつものメンツ——カレンとショコラだけだ。


「いつも悪いな、外で待たせちゃう形になって」

「わう! くぅーん……」


 ただ、ショコラが厨房に入れないのもいつものこと。


「ちょっと時間かかるからおばあさまのところにいてもいいけど……」

「がう、わおんっ!」

「わかったよ。じゃあ大人しくしててくれな」


 店の裏口、その場にお座りをして動こうとしないショコラをぐしゃぐしゃに撫で回し、厨房にお邪魔する。僕の傍から離れないでいてくれるのはいじらしいけど、まさか縞山羊のミルクが目当てじゃないよな……?


「きゅー……っ」


 目の前に置かれた皿にぶんぶん尻尾を振っていたのはまあ、愛嬌ということで。


「それじゃ、よろしくお願いします」

「こちらこそ。新作、楽しみにしておりましたわ」


 迎え入れてくれたトモエさんはいつも通りの態度だった。少なくとも憂いを抱えているふうではない。ただやっぱり、少しだけ表情が硬いようにも思えた。……シュナイさんとトモエさんにプレゼントするケーキ、とは言ってあるからなあ。


「言われた通り、お砂糖とバターはかなり多めに準備しましたけど……」

「ええ、ありがとうございます。たぶん足りると思います」


 砂糖もバターも、小麦粉の三倍量を用意してくれと頼んでおいた。

 いやほんと、改めて見ると圧巻である。


「足りないものはありませんか?」

「ヨーグルト、お酒に漬けたドライフルーツにナッツ、ナツメグにシナモン……大丈夫ですよ、バッチリだ」


 ——よし。

 僕は軽く手を叩き、気合を入れながら言った。


「まずは前準備として、ギーを作ります」

「なんですの、それ?」


 ギーとは、インド発祥(だったと思う)の、バターオイルである。


 用意するのは、牛の乳から作った無塩の発酵バター。本来は生乳から作るらしいけどべらぼうに時間がかかるし温度管理もめちゃくちゃ大変なので割愛。


 バターを鍋に入れ、火にかける。弱火でじっくりと煮ていくにつれてアクみたいな泡がめちゃくちゃ出てくるが、取ったり掻き混ぜたくなったりするのを我慢してそのまま熱し続ける。


 時折、表面をヘラで寄せて液体の様子を確認しつついると、やがて泡が細かなものへ変わっていく。液体が澄んできて鍋の底が見えるようになったら焦げ付く寸前に火を止めて、あとは予熱を通す。


「最後に、これを布でしてやれば完成です」

「すごくいい香りがする。それに綺麗」

「ええ、金色で透明な……これが『ギー』ですの?」


 ガラス瓶に入ったそれに見入るふたり。


「バターからタンパク質なんかの不純物を取り除いたものです。ちゃんと瓶を密閉して、このまま涼しい場所で常温保存してください。半年くらいは保つはずです」

「これ、ケーキ以外にも使い道があったりしますか?」

「はい。要するに油なんで、いろんな料理に使えますよ。健康にもいい」


 ほう、と感心するトモエさん。


「じゃあギーができたところで、いよいよ始めましょうか」


 まずは通常のケーキと同様、小麦粉とふくらし粉を混ぜてふるう。そこに卵を落とし入れ、砂糖と香辛料——ナツメグとシナモンを振りかけて混ぜ捏ねる。


 そこから更に加えていくのは、バター、水切りしたヨーグルト、さっき作ったギー、そしてローストしたナッツ類に、酒漬けしたドライフルーツ。


「バターをそんなに入れるんですね……ギーも合わせたら、とんでもない量ですわ」

「すごいでしょ? ナッツにドライフルーツもポイントです」


 ドライフルーツはこの世界で、保存食として通年出回っている。シデラでは特に施策として積極的に生産していた。携行できる甘味は冒険者たちの命綱だからだ。


 葡萄ぶどうなつめあんずなどがポピュラー。今回は全部ぶち込むことにした。大きさを揃えてお酒——レモン果汁を少々加えたラム酒に漬けて馴染ませたものを使う。


「小麦粉の分量に対して三割以上のバター、それから六割以上のドライフルーツ。それがでの正式な基準みたいです。まあ、こっちの世界じゃ誰にとがめられるわけでもないんですけど、できるだけ近いものをってことでならっておきましょう」


 各種材料を混ぜたものを更に捏ねて、生地を少し休ませてから楕円形に成形。ラグビーボールみたいな形にし、発酵を待ってからいよいよオーブンに投入だ。


 待っている間、ショコラにミルクのおかわりをあげたり、他愛ない会話をしたりで小一時間後——。


 オーブンから出てきたものはお世辞にも美しいとは言い難い、表面が褐色に焼き固められた、ごつごつした塊だった。

 

「これ、見てくれがあまりよくありませんわね……」

「まだ完成じゃありません。工程は半分ってところです」

「え……?」


 疑問の声をあげたトモエさんは、僕の返答に絶句した。

 実際、作成時間って観点だと、まだ半分どころじゃないんだよね……。


「熱いうちにこれを塗ります。溶かしたバターと砂糖を混ぜたものです」

「バターと砂糖、まだ使うの……?」


 さしものカレンも呆れているが、僕はにやりと返すのみ。

 刷毛はけで丁寧に全面へ塗り付けて、最後の仕上げに、


「ここから粉砂糖をめちゃくちゃかけます」

「ええ……」

「そん、なに」


 細かく挽いた砂糖をこれでもかと、表面が真っ白になるまで。ごつごつした土塊つちくれみたいな外見は、がらりと様相を変えた。


 砂糖の量に驚いていたふたりだけど、それを見てつぶやく。


「これ、まるで」

「ん。……雪が積もってるみたい」


「これで調理自体は完成です。でも、完成はまだ。油紙あぶらがみで包んで密閉して、熟成させます。……二、三週間あってもいいけど、今回は一週間にしましょう」

「一週間……? 腐ったりしませんか?」

「そのための砂糖です」


 砂糖には防腐剤としての効果がある。表面をしっかりコーティングし、かつ生地の中にたっぷりのドライフルーツを入れることで、腐敗を防いでくれるのだ。


 そして時間を置くことでドライフルーツの風味は生地に移っていく。味が馴染み、一体化し、美味しくなっていく。


「一週間後、みんなを集めて試食会をしましょう。それまで、味はお楽しみです」

「スイ。このケーキ、名前はあるの?」

「あるよ。発祥した国の言葉で『坑道』とか『地下道』みたいな意味があるみたい。形がトンネルに似てるからかな? ただ、神さまに捧げる供え物から来てるって説も見た気がするな」


 本来は、クリスマスに向けて少しずつ食べるケーキだ。

 だけど——冒険者たちが生死をかけて森に籠るシデラの街では、もっと大きな需要と価値がある。


「名前は『シュトレン』。美味しくて長期保存できるし、高エネルギーだから非常食になる。だから、森にこれを持って入れば食事の時の楽しみになるし、いざという時に命を繋ぐこともできる」

「……っ」


 目を見開いたトモエさんに、僕は頷く。




「このシュトレンは、シュナイさんとトモエさんみたいな……生きて帰ると誓う人と、帰りを待つ人とを繋ぐ、この街のためのケーキだ」





——————————————————

 シュトレン(シュトーレン)でした。

 コメント欄で的中させていた方がいらっしゃいましたがネタバレになるのでなにも言えなかった。すまねえ……!

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