だから後悔のないように

 氷室ひむろは素晴らしい出来だった。

 ……つまり、ミントの全力がそこにあった。


 階段を下りた先の地下室は縦横三メートル、高さ二メートルほどの空間で、測ったように綺麗である。そしてその天地と壁は滑らかな断面の石で覆われており、一見してまるでコンクリートで塗り固めたようだった。


 ここに母さんの作った氷を奥に敷き詰めて出入り口に扉をつければ、大容量の冷蔵庫となるだろう。なんなら、冬だけじゃなくて夏にも使えるかもしれない。


 むふーと鼻息荒く得意げなミントをみんなでひたすら褒めて称えて高い高いして、あとはもう夕方まで一緒に遊んだ。本当にすごく頑張ってくれたよね。えらいかわいいかっこいい。


「みんと、ももとばなな、すき! しょこらもすき?」

「わうっ!」


 夕方には妖精さんたちと一緒にお茶をした。僕とカレンと母さんは晩ご飯があるので軽く飲み物だけだったが、主役のミントには果物を好きなだけ食べてもらった。


 ……まあ、『妖精境域ティル・ナ・ノーグ』からのお裾分けではあるんだけど。季節に関わらず、いつもいろんなフルーツが手に入るのすごいよね。


 さて、ともあれ。

 いつも通りの楽しい一日が終わり、陽が落ちて夜が来る。


 ミントが外の寝床で蕾となったのに伴い、思い思いに夜を過ごす就寝前のひと時となった。


 リビングにいるのは僕とショコラ、そして母さん。


 カレンは自室で読書に耽っている。最近、父さんの持ち込んだ日本異世界の本に少しずつ目を通しているようだ。技術が進んでいるせいで内容がわからないことも多いが、勉強になるらしい。——きっと、僕と知識を共有しようとしてくれてるんだろうな。

 

「お前はまだ眠くならないのか?」

「わおんっ!」

「元気だな……もう外は暗いから遊べないけど、ポチをあまり寂しがらせるなよ」

「くー……」


 今日はあまり身体を動かせなかったからか、リビングを忙しなく動き回るショコラ。あちこちを嗅いでは僕の膝に頭を乗せ、五秒で飽きてまたうろうろする。落ち着きがない。


「明日は思いっきり運動するか」

「わうっ」

「はいスイくん、どうぞ」


 と、母さんがお茶を持ってきてくれた。ありがとうと受け取る。紅茶からはりんごの甘い香りがした。


「アップルティーだ。こっちでもこういう飲み方するんだね」

「むかし、お父さんに教わったのよ」


「そうなんだ。カレンの分は?」

「さっき持って行ったわ。建築の本に夢中だった」

「ポチの小屋を改装するって話、昼間にしたからかな」


 母さんは僕の隣に腰掛け、穏やかに笑んだ。

 そうしてしばしふたりで、お茶を楽しむ。


 なお、母さんが戻ってきた途端にショコラは歩き回るのをやめた。まるでかしずくように足元で寝そべり身体を擦り寄せる。


 きっと母さんのことを、我が家における序列の最上位だと考えてるんだろう。

 あれ? じゃあ僕って、ショコラの中ではショコラより上なのかな下なのかな……。


「……ねえ、スイくん」


 などと考えていると。

 母さんがゆったりと笑んだまま、問うてきた。


「シュナイとトモエさんのこと、大丈夫そう?」

「うん……まあ、僕のお節介がどこまで通じるかはわかんないんだけどさ。でもたぶん、当人たちだけでも上手くはやるんだろうな。……本当は、僕みたいなガキが口を出せるような領分じゃないから」

「あら、スイくんは子供じゃないわ。ちゃんとカレンと気持ちを通じ合わせてるでしょう? 単に、そういう道を歩まなかったってだけよ」


 いや、フォローしてくれたんだろうけど……母親から面と向かって自分の色恋沙汰について評価されると居心地が悪いぞ。


「うん」という曖昧な返事をする僕。

 母さんはそれにくすりとし——さりげなく、しかし不意に。


「将来を不安に思う気持ちは、わかるわ。冒険者はなにが起きるかわからないもの。ことだって、あるでしょう」


 に、切り込んできた。


「っ、……」

「スイくん。スイくんはもう大丈夫だと思うから、この話をするわ。でも、もしつらかったら言ってね」

「母さんの方は、いいの?」

「大丈夫よ。お母さんはいま、ちゃんと幸せだもの」


 言いながら、左手薬指に嵌めた指輪を撫でる。

 父さんから贈られた最後のプレゼントを、愛おしそうに。


「スイくんたちの暮らしていたあっちでは、どうだったかわからないけど。こっちじゃ、夫婦のかたわれと死に別れるなんてことはそう珍しくないわ。もちろん、ふたり揃って寿命まで添い遂げる人たちもいるにせよ……特に冒険者なんて仕事、いつ死ぬか知れないものだし」


 現にシュナイさんも一度、死にかけている。


 変異種の二角獣バイコーンが率いる群れに囲まれたあの時——僕がいなかったらきっと彼らは、全滅していただろう。うちの家族がおかしいだけで、変異種っていうのはそういう存在なんだ。そしてこの森は、そういう存在にいつ出くわしてもおかしくない場所なんだ。


 ただ、いま気になるのはシュナイさんのことじゃなかった。

 話をしている目の前の人。母さんが語る、母さんのこと。


 実際にの、心と言葉だ。


「好きな人と添い遂げたいという気持ちは、誰だって同じよ。叶うのならお互いがお爺ちゃんとお婆ちゃんになるまで、ずっと一緒にいたい……結婚って、そんな想いで行われるものでしょう?」

「……うん」


 僕の返答は重い。

 何故なら、母さんはそれが叶わなかったから。

 そして母さんと父さんの想いが叶わなかったのは、僕が原因だから。


 だけど——目を見て、はっとした。

 この人は、すべてわかった上で話をしている。


 十三年前、境界融蝕ゆうしょく現象を起こしたのが僕であることも。

 そして僕自身が、その事実に気付いていることも。


『もう大丈夫だと思うから』——さっき母さんが口にした言葉はつまり、そういう意味だったんだ。


「でも母さんは、後悔していないよね。父さんと結婚したこと」

「ええ、もちろんよ」


 だから僕はそんな質問ができて。

 母さんもそれに、笑って力強く頷いた。


「もちろん……ああすればよかった、こうすればよかった。そんなことは幾らでも思い浮かぶわ。それは当たり前で、みんなそう。お父さんとお母さんだけじゃなくて、スイくんもカレンも、何度も何度も思ったでしょう?」

「……うん」


 母さんはいつの間にか、僕の肩を抱き寄せていた。

 そうしてこつりと頭と頭を触れ合わせ、囁くように言う。


「それでも。もし、過去に戻れたとして。未来を知った状態で、あの頃に戻ったとして。私はやっぱり、カズくんと結婚するわ。カレンを引き取って、あなたを産む。カズくんも……お父さんも、きっと同じことを言う」


 結婚するということ。


 それは、年老いて死ぬまでお互いと添い遂げたいという願いであると同時に。

 お互いを、唯一の相手だと心に定めることなんだろう。


「後悔なんてないのよ。あの人と結婚しなかった方が、ずっとずっと、後悔するわ。だからもし……シュナイとトモエさんが、そういう気持ちなら。あの頃の私たちと同じ想いを抱いてるなら、きっと大丈夫」


 そう言って母さんは、僕の頭にキスをして。

 にっこりと笑った。


 だから僕も同じように笑い——頷いてみせる。


「そうだね、大丈夫だ。……ありがとう、気が楽になったよ。手伝いとかお節介とかってより、お祝いくらいの気持ちで作ろうと思う」

「ええ、そうしなさい。もちろんお母さんとカレンにもそのケーキ、食べさせてもらえるのよね?」


 冗談めかして、しかし目の奥に輝く食欲の光は紛れもなく本物だった。


 どうやら母さんとカレン、ふたりにきっちり教えてやらなければならないようだ。

 ……僕が作ろうとしてるやつ、カロリーが本気でやばいからね?

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