最初にケーキをくれたのは、あなた

「トモエ。腰を折って悪いが、俺からも話があるんだ」

 シュナイさんは立ち上がると、テーブルを回り込んでトモエさんと相対し、そう言った。



 トモエさんは言われるがままに口を閉じる。

 僕らは固唾を呑む。

 ショコラもなにかを察したのか、伏せて黙した——ミルク皿が空になってるっていうのに。


「……お前と初めて会ったのは、おやっさんがまだ現役の頃だった。俺ぁ駆け出しも駆け出しのガキで、お前の家もそれなりには潤ってた。きょうだいたちはもう全員揃ってたっけか? いや、キノトがまだ生まれてなかったな」


 懐かしそうに笑む。

 一方でトモエさんの表情は変わらない。シュナイさんをじっと——真っ直ぐに、ただ黙って見ている。


 続きを、待っている。


「あの頃の俺らは、未来さきのことになんの不安も抱いちゃいなかった。俺はおやっさんと一緒にこのままずっとやっていくと思ってたし、お前だって……いや、おやっさん自身でさえ、同じだったろうさ」


 ああ——僕は思った。

 それは、誰だってそうだ。


 僕だってほんの七カ月前は、父さんと死に別れるなんて想像もしていなかった。


 未来は現在の延長で、こともなし。ありふれていて平穏だと。

 なにかあるにしてもそれはもっとずっと先のことだって。『明日じゃない』って思っていた。


 その『ずっと先』は、っていうのに。


 思わず、ショコラの背中を撫でる。


「きゅー……」

 鼻を鳴らし、ショコラが身体を寄せてきた。


 そしてシュナイさんは、続ける。


「おやっさんがああなってからは……まあ、苦労したよな。俺なんかが言えることでもねえが、お前は大変だったはずだ。だからお前がおやっさんのことどう思ってるか、未だに聞けやしねえ。ただ、俺ぁよ。お前とずっと一緒にいすぎたせいで、ちぃと見えなくなってた」


 どこかひねた口調で、それでも懺悔の色が濃い言葉は、


「お前がどんな女で、なにを考えてるのかを、だ」


 それでもトモエさんを——真っ直ぐに見ていた。


「トモエ。お前は強くてしたたかで、がめつくて……とんでもなくしぶとい奴だ。俺がいなくたってひとりでも食っていけるし、稼いでいける。このケーキだってそうだ。独占契約? たいしたもんだぜ。こいつが流行れば億万長者の目だってあるだろうよ。ただ同時に……お前は心配性でさみしがりで、大切なものを失うことを恐れてる。誰かがいなくなっちまうことを、誰よりも怖がってる奴だ」


 たぶんそれは同じものであり、裏返しなんだろう。

 心配性だからこそ、したたかに振る舞う。

 がめつく貪欲なのは、寂しがりだから——。


「付き合いが長えからか、それとも負い目があるからかな。俺ぁ、お前の弱い面ばっかを気にしちまってた。でもって、臆病になってた。もし将来、俺がいなくなったら、お前は悲しむだろうなって。俺がもしおやっさんみたいになっちまったら、お前を不幸にさせる……それだけは耐えられねえなって。でも、目が覚めたよ」


 シュナイさんは一歩、トモエさんに歩み寄った。


「お前は強い。強くなった。弱い部分の裏返しってところも含めて、トモエ、お前という女だ。俺は、そんなお前と一緒になりたいって思う」


 懐から、小さな箱を取り出す。

 その中身は、もちろん——。


「ありがとう。俺に、ケーキをくれて。一緒にケーキを食おうって言ってくれて。こいつはノビィウームの旦那に作ってもらった、とっておきだ。……結婚してくれ」


 トモエさんの瞳の色と同じ宝石があしらわれた指輪を。

 彼女はそっと受け取った。


 そして、受け取った後。

 俯いてじっと指輪を見詰め、しばし沈黙し。

 顔をあげて——言った。


「話が長えんですのよ、この唐変木!」


 がんっ! と。

 メイド服のスカートを膝までたくし上げ、ローキックが炸裂する。


「うぉ、っえ!」


 向こう脛へまともに食らったシュナイさんは顔を歪めて脚を抑えた。それをまったく無視して、トモエさんは指輪をめつすがめつする。


 ただ、


「ふーん……安物じゃないでしょうね?」

「おいなに言ってんだ、旦那に謝れ! だいたい俺は腐っても一級冒険者だぞ? もし俺が死んでもそいつを売れば、しばらくは食うに困らねえ」

「……売るわけないでしょう、ばか」


 ただ。

 その指輪はもう——トモエさんの左手薬指にあった。



※※※



「スイ、スイ」


 ふたりのやりとりに感動していると、カレンが小声で袖を引っ張ってくる。


「どうしたの」

「……ん」


 振り向くとカレンの促す先。

 一同——ベルデさん、リラさん、ノビィウームさんの三人がいつの間にか席を立ち、部屋を去ろうとしていた。


「私たちはお邪魔」

「そっか。ショコラ」

「わふっ。きゅー……」


 僕もそっと椅子から離れる。

 ショコラも大人しく従うが、一瞬だけ空のミルク皿を名残惜しそうに見たのに僕が気付かないとでも思ったか?


「……この後、なんか食べさせてやるからさ」

「くぅーん」


 抱き合うシュナイさんとトモエさんを後目に、僕らはそうして貴賓室を出る。

 あとはふたりの時間だ。


 なんにせよ、上手くいってよかった。

 僕のシュトレンもそれなりには役に立てたみたいだし——そう思いながらドアを潜る寸前、最後にちらりとふたりを見る。


 ちょうどシュナイさんがドアに背を向けている形になっていて、身長差のせいでトモエさんの顔も見えない。


 だけど——。

 シュナイさんの背に添えられたトモエさんの手。


 その片方が僕へ向けて、やってやりましたわよ、と親指を立てた。

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