ちょっとミルク飲みすぎじゃない?

 シデラでの用事は本の受け取りだけだったのだが、ちょうどお昼時ということで、セーラリンデおばあさまと食事に出かけることにした。


 高級レストランでもどこにでも好きなところでご馳走してあげますよと笑うおばあさま。では、と、僕の行きつけにしてもらう。

 つまり『雲雀亭ひばりてい』である。


 店に入ると相変わらず盛況で、嬉しくなる。僕に気付いたオーナーにより二階の貴賓VIP室に案内され——正直すごく恐縮なんだけど、普段は使われていない部屋だし他のお客さまが割を食うこともありませんからと言われ、お言葉に甘えることにした。


「いらっしゃいまし、スイさん、セーラリンデさま」


 看板娘のトモエさんが接客してくれる中、僕らは昼食をいただく。


 シデラの有名店だけあり、セーラリンデおばあさまもすでに何度か来たことがあるそうだ。ただ、もっぱらお茶とケーキだけで、昼食ランチは初めてだという。


 僕らが頼んだのは、お昼の限定メニューである肉と野菜の煮込みシチュー。お菓子メインの店らしく、ほんのり甘い味付けのパンケーキが添えられている。


「あら、これは、スイの……」

「うん。コンソメを使った料理を試験的に出してもらってるんだ」


 おばあさまは、ひと口ですぐに気付いた。


「なるほど、かしこまった場所よりもこういうお店の方が、たくさんの人に食べてもらえますものね」

「素直な反応が聞けるし、先入観なしで味を見てもらいたいなって」


 僕もスプーンですくい、味わう。上品でいい感じだ。


 顆粒かりゅうコンソメをベースにしつつ、赤毛牛の肉と根菜類が大きくごろごろと贅沢に入っている。汁には片栗粉でとろみがついていて、お腹にもたまりそう。


 旧来の調理法であれば、具材を煮込む過程で自然に溶け出した出汁をベースに、他の味付けで補っていたはずだ。だがここに顆粒コンソメを使うことで、肉の旨味は強く、それでいて具材も煮崩れずに食い応えがあり、なおかつ素材の味をダイレクトに味わえる——シンプルかつ力強いシチューとなっている。


「パンケーキにも合いますね」

「うん。僕が前に暮らしてた文化圏だと、パンケーキってお菓子の分類だったんだけど……この甘さがシチューの塩っけにちょうどいいや」


 聞けばお客さんたちにも評判で、トモエさんいわく「かなり儲けさせてもらってます」とのこと。いずれは顆粒コンソメも一般販売する予定だが、先んじて提供していた雲雀亭にとってはいいブランディングになることだろう。


 昼食に舌鼓を打ちながら、足元のショコラに目を遣る。


「それにしてもお前、さっきからずっとミルクが続いてるけどいいのか?」

「わふっ!」


 ショコラは、雲雀亭における『いつもの』——しま山羊のミルクを夢中でぺろぺろがふがふしている。ここに来る前、融蝕ゆうしょく現象研究局でもミルクをもらっていたのに、飽きないもんなのかな。


「局で出したのは牛のものだったから、きっと味が違うのでしょうね」


 ショコラのことを愛おしげに眺めるおばあさま。ちなみにショコラも、おばあさまには気を許している。僕らがおばあさまのことを家族だと思っているのが、こいつにも伝わったらしい。かしこい。


 おばあさまは若さを維持しているからか、七十を超えているのに健啖家けんたんかで、僕と同じ量の昼食をぺろりと平らげてしまった。満足そうに息を吐く姿は普通の女の子にさえ見える。


 そして皿が空になったのを見計らって、トモエさんが部屋に入ってきた。


「食後のケーキを持ってきましたわ。……シチュー、お味はいかがでした?」

「とても美味しかったわ。王都の料理店と遜色のない品でした。これは評判になるでしょうね」

「そう言っていただき光栄です。ではこちらも。新作です」


 そう言って僕へウインクしてくるトモエさん。

 見れば供されたケーキは、以前、僕が教えた品——地球にはあってこっちの世界にはまだ見当たらなかったもの。


「ミルクレープだ」


 トモエさんはにやりと——僕だけに向かってしてやったりな笑みを浮かべ、あくまで営業用の声音で説明する。


「最近ようやく出せるようになりましたのよ。手間がかかるから数量限定ですが」

「普通のケーキより大変だもんね」


 ミルクレープはお菓子の歴史の中でもだいぶ新しい品で、発祥は日本。異世界にこれまでなかったのも道理なやつだ。


 作り方はシンプルなものの、トモエさんの言う通りけっこうたいへん。

 薄く焼いたパンケーキ生地(つまりクレープ)を、クリームを塗りながら積み重ねて層にしていく。ケーキ状の厚さになるまでおよそ十枚くらいか。


 食感が命のお菓子なので、生地一枚一枚の厚さはもちろん、クリームを均一に塗れるかも重要になる。僕も初めて作った時にはいまいち上手くいかなかった。日本では意地になって何度も試作を繰り返した思い出がある。


 トモエさんのドヤっとした顔も当然なのだ。

 いま目の前にあるミルクレープは——日本のケーキ屋さんで買うのと遜色のない出来栄えだった。


 クリームの色はほのかに黄色い。おそらく柑橘系のフルーツを練り込んであるのだろう。小さなナイフとフォークが添えられているのにちょっと特別感がある。


 トモエさんが見守る中、僕らはミルクレープを口に運ぶ。

 おばあさまが目を見開き、感心したようにつぶやいた。


「まあ、これはなんとも……口の中で小気味のよい感触が返ってきます」

「クリームもいいね。酸味がすっきりしてる」


「そうでしょうそうでしょう! 苦労しましたのよ? スイさんはいとも簡単そうに作るものですから、こちらは侮っていました。結局あなたの言うように、専用のヘラを作ってもらう羽目になりましたわ」

「あれ使えば、だいぶ楽だったでしょ?」


 クレープ屋でよく見かける、T字のやつだ。いわゆる『トンボ』。僕はおたまで作ってみせたんだけど、さすがに難易度が高いだろうと思って、トンボの図案を描いて渡していた。必要そうならノビィウームさんに作ってもらって、と。


「それでも、クレープ部分が解決してまだ半分ですから。クリームを薄く塗るのにも、クリームそのものの味付けも、修練と試行錯誤を重ねたんですのよ」


「でも苦労しただけあって、すごくいい出来だと思いますよ。向こうの世界でも通用するくらいです」

「素晴らしいわ。この歳になって、未知のお菓子と出会えるなんて。長生きはするものですね」


「うふふふ、そう言ってくださると報われますわ!」


 僕とおばあさまがこぞって褒めると、トモエさんはかぶっている猫が剥がれるくらい得意げな顔になった。……というかたぶん、おばあさまももう気付いてるよね。言わないだけで。


 ——などとこっそり呆れていると。


「発案者のお墨付きをいただきましたし、今度はカレンさんと一緒に来てくださいな。聞けば、ようやくくっ付いたとか……むしろまだだったのかと驚きましたわよ?」

「……っ」


 どうも調子に乗ったらしく、にやにやと底意地の悪い笑みでそんなことを言ってくるトモエさん。こいつどこで……いや、リラさんか……!

 おばあさまを一瞥すると、あらまあ噂って怖いわね、みたいな他人事感を出しながら、素知らぬ顔でミルクレープを頬張っている。


 ちょっと? あなたが発端なんですよ?


「わたくしたちが見ても相思相愛だったのだし、いったいいつまでじれじれしているのだと思っていましたわよ? まあ、今度またゆっくりその辺のことを聞かないといけませんねえ」

「へえ……そんなこと言うんだ、トモエさん……」


 そっちがその気なら、僕にも手札はあるんだぞ。


「……、どうしましたの? なんですその不気味な笑みは……」

「トモエさん、ミルクレープに苦労したって言ってたけど、試食も大変だったでしょ?」

「え!? っと、ええまあ、それなりには……」

に、僕からもねぎらいの言葉を伝えておいてくれます? 痩せてるから少食そうだし、さぞ苦労したんじゃないかなって」


「っ、しゅ、シュナイに食べさせたりなんかしてません!」

「ん? 僕、シュナイさんの名前なんて出してないですけど?」

「あ……っ」


 トモエさんは見る間に真っ赤となり、両手をじたばたさせながら僕へ詰め寄った。


「きーーーーー!? はかりやがりましたわねてめえ! というか、どこでその話を!」

「トモエさんからだけど」

「わたくし! おのれわたくし! バカ、いつ口を滑らせた!」



 頭を抱えてそっぽを向くトモエさんに、セーラリンデおばあさまが優しげな目を向ける。僕はしてやったりとばかりに、切ったミルクレープを口に放る。


 幾つもの層をかき分けていく食感とともに口の中へ溶けていくクリームと、鼻に抜ける爽やかな柑橘の香り。ここに辿り着くまでの、トモエさんとシュナイさんの侃侃諤諤かんかんがくがくを想像しながら——そっと微笑んだ。

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