ふたりきりなのも久しぶり

 シデラの街には、幾許いくばくかの残暑があった。


 とはいえ、羽織っているウインドブレーカーを脱ぐ程度で丁度いい。

 この上着、転移当日に着てたやつなんだけど、異世界でもなんだかんだで愛用してるんだよね。『不滅』の特性を付与してるから劣化もしないし、手入れはたまに洗濯して汚れを落とすくらいで済む。


 ちなみにウインドブレーカーのことを誰かにつっこまれたことは、意外と少ない。つっこむにしても「なんか変わったデザインだな」って程度だ。異世界に普及している衣服の中には僕もよくわからない素材が使われていることがあって、たとえば大蛇の皮をトゥリヘンドの鱗で補強した軽鎧なんてのと比べれば、ポリエステルの綾織りギャバジンなどは全然目立たないのだった。


「お前とふたりきりなの、久々だな」

「わうっ!」


 シデラへ赴いたのは、僕とショコラだけだ。

 いつもならカレンか母さんが一緒なんだけど、今は妖精さんが割と頻繁に遊びに来ていて、ミントと合わせてまあまあ手がかかるということで、残ってもらった。


「こっちに戻ってきたばかりの頃を思い出すな」

「くぅーん」


 あの時と違って人に溢れた街中ではあっても、心境としては既視感がある。


 家族たちに囲まれた生活に慣れきってしまったので、ふたりきりは寂しいという気持ちがなくはない。ただ一方で妙な解放感もあった。気兼ねない、という表現がより正しいのかも。まあ——家が恋しくなるまでは、せいぜい羽を伸ばすとするか。


「羽を伸ばすっていうようなバカンスでもないけどさ」

「わふっ」


 大通りを歩いていると時折、声をかけられる。


「お、今日はひとりか?」とか。

「そろそろ野菜が入れ替わるぞ、買いに来いよ」とか。

「ちぃーっす! スイくん、おつかれしゃっす!!」とか。


 ……いやきみ、なんでそんな田舎のやからみたいに頭下げてくるの。


 若い冒険者さんの間ではどうも、僕のことが妙な感じで伝わっているらしい。誰だよ変な噂を流したの。この具合、『いちゃもんつけてきたおっさん冒険者を叩きのめした』とか『S級モンスターの死骸をギルドに持ち込んだ』とか、そんないわく付きのやつでしょ。


「マジ尊敬っす! 変異種を担いでギルドに入ってきたあの勇姿、俺らの間じゃ伝説なんすよ!」


 そんなやつだったわ……忘れてた……。

 

「ああ、うん、ありがとう……」


 握手を求められて恐縮しながら応じつつ、やっとこさ目的地へと到着する。


 冒険者ギルドからは目と鼻の先。春先に土地を買い上げてから急ピッチで建築を進め、最近ようやく完成したその建物は——王立魔導院、境界融蝕ゆうしょく現象研究局、シデラ支部。


 セーラリンデおばあさまの、勤め先である。



※※※



 受付の人に案内され、執務室へ通される。するとそこにはおばあさまの他にももうひとり知人がいた。


「お、スイっち、ショコラん、おひさし! 元気だった?」

「リラさん、どうも。……どうしてここに?」


 ギルドの受付嬢である異世界ギャル(もどき)、リラさんだ。


 彼女は夏前から、冒険者ギルド前線街興信局——僕の発案した食品の量産、普及を担当する部局に移ってくれている。そういう意味で、継続的にお世話になっている人だった。


「年寄りのお茶に付き合ってくれてたんですよ」


 穏やかに微笑むセーラリンデおばあさま。


 とはいえ見た目はそれこそうちの母さんより年若いくらいなので、リラさんと一緒だと女の子同士が睦まじくしているようにしか見えない。深窓の令嬢とギャルの組み合わせ、漫画とかにありそうだな……。


「リラさん、仕事中じゃないの?」

「いーのいーの。ウチっていつも、おばーちゃんとの連絡役なんよ。それがちょーっと時間かかったからって、別に職務怠慢にはならんし?」

「まあ、ふたりがそれでいいならいいけどさ……」


 おばあさまは、僕らハタノ家と王国との窓口を担ってくれている立場上、興進局とも密に連絡を取り合う必要がある。なので一応、仕事といえばそうなのだろうけども。


 応接用のソファーに腰掛けると、職員さんがノックして入ってくる。僕にお茶を、ショコラにミルクを持ってきてくれた。ぴぃんと耳を立て、かしこまったようにお座りしてミルク皿が置かれるのを待つショコラ。


 お前は見知らぬ人への愛想がないくせに、こういう時は礼儀正しいんだよな……。


「ありがとうございます」

「わうっ!」


 若い男性職員さんはにこにこしながら一礼すると部屋を辞した。


「あ、もしかして難しい話? ウチも出てった方がいいかな」

「いや、大丈夫だよ。内緒話にはならないと思うから」

「そっかー。じゃあこれ飲み終えるまでゆっくりすんね」


 にかっと笑ったリラさんは再びティーカップを傾ける。そんな彼女を、穏やかな笑みで眺めるおばあさま。


 孫を見るような心持ちなのかもしれない。リラさん、おばあちゃんっ子で歳上に好かれやすい性格してるし。


 僕もひと時、淹れてくれたお茶の香りを楽しんだ。

 シナモンの散らされた紅茶はすっと胸がすくようで、思わず息を——、


「そういやさー、スイっち。やーっとカレンちゃむとくっ付いたんだって?」

「ぶふっ!?」


 急な攻撃にむせる。すんでのところで紅茶を吐き出さずには済んだけど、いきなりなにを言い出すのこの人!


「いやー、ウチとしてはむしろ、まだくっ付いてなかったことにびっくりだったけど。でもよかったねえ。幼馴染だったんっしょ? 素敵じゃんか」

「……どこでその話、聞いたの? そんな表立ってアピールした覚えはないんだけど」

「さーて、どこでしょうなあ」


 にやにやするリラさんの向こう、執務机の奥でそっぽを向いた人がいる。

 おばあさま? なんで目を逸らすんですか? どうして?


「にゃははっ! まあ、今度は連れてきてよ。みんなで祝っちゃるから」

「そういうのやめて……というか酒の肴にしたいだけでしょ」

「ばれてた! ま、でも、おめでとうってのはほんとだし、みんなで飲みたいのもほんとだよ。スイっと、こっち来てもすぐ帰っちゃうことあるやん? ノビィウームのおっさんのところだけに顔出して終わりとかさあ」


「それは確かに。ごめん、ありがとう。近いうちにみんなとご飯でも食べたいな」

「うんうん」

「……からかうようならすぐに帰るからね?」

「ええー」


 確かに最近は、シデラの人たちとの交流が薄くなってた気がする。定期的な用事はあるからひとりひとりとはそれなりに顔を合わせるんだけど、初めてここに来た時みたいに、ゆっくりのんびり過ごす日があってもいいよね。


 とはいえそれも、目下の問題を片付けてからだ。


「それで、おばあさま。お願いしてたやつは……」

「ええ、こっちにありますよ」


 おばあさまは立ち上がる。

 そして僕に見せてくれるのは——執務机の横に積まれた書物たち、ざっと十数冊。


「すごい。お手数をかけさせちゃってごめんなさい」

「王都の研究局に速達を頼むだけでしたから、たいした手間ではありませんよ」


 おばあさまの言葉通り、この本たちは元々、融蝕現象研究局の本部に所蔵されていたものだ。


「輸送にかなりかかったんじゃないの? 代金、払うのに」

「なにを言いますか。可愛い孫にお金を使う楽しみを奪うものじゃありませんよ」


 この世界、物流にかかる費用はかなり大きい。


 地球と違って陸海空の輸送手段が充実している訳ではないし、道中にはそれなりに危険もある。特に今回のような速達は、キャラバンでの定期運行を使わない急ぎでのものだ。相場は跳ね上がってしまう。


 しかもこの量の本、かなり重い。きっと輸送費は数万ニブ、下手をしたら六桁に届いている可能性もある。


 正直、日本にいる時は頭がくらくらする数字だったが——日本円に換算したら尚更だ——それでも僕はおばあさまの心遣いを受け取ることにした。


「うん。……ありがとう、おばあさま」


 セーラリンデおばあさまは嬉しそうに目を細めた。

 今度また、遊びに来てもらおうかな。せっかくだから秋の味覚をご馳走したい。


 リラさんがティーカップをテーブルに置きながら、本の山にしげしげと視線を上下させ、溜息をく。


「うひゃー、すっごいねー。これ全部スイっちが読むの?」

「ちょっと勉強しようかなって。僕は別の世界で育ったから、まだまだ知識が足りてないんだ」

「いやいや、足りてないからってんじゃ済まないでしょその量。てか、なにについて書かれたやつなん?」


 リラさんの問いに、立ち上がる。


 積まれた本、そのてっぺんにあるものの革表紙を撫でながら——いかにも研究書らしいそっけない装丁と刻印されたタイトルを確認し。


 読み上げるように、僕は言った。



「『修正リペイント』と呼ばれる、世界の辻褄合わせについて。それから、境界融蝕現象にまつわるあれこれだよ」

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