初秋の風へご挨拶

夏が終わりつつあるようで

 夜だけではなく、日中まで涼しくなってきた。


 異世界に帰ってきてからというもの、季節感の違いに驚かされる。

 日本では六月の半ばくらいから——下手をすると十一月くらいまで暑さに悩まされてきたのに、こっちではほんのひと月ばかり暑さを感じていたら、もう夏が終わってしまった。


「森の気温が低めってのも大きいよね」

「わうっ」


 こことシデラの街とでは、暑さが段違いだった。


 結局、クーラーもほとんどつけないままだ。気温が最も上がる時間帯はだいたい屋外にいたってのも大きい。畑仕事してたり、狩りに行ったり。今みたいにこうして——牧場でのんびりと、空を見上げていたり。


「牧草もいい感じに成長してくれたなあ」

「くぅーん」


 柔らかい草の上に寝そべりながら、隣でだらけるショコラをわしゃわしゃする。顎を僕のお腹に乗せて完全に脱力していた。


 向こうではのんびりと水を飲むポチと、そんなポチの甲殻をブラシでごしごしやるカレンの姿。たまに綺麗にしてやらないと、苔とか生えそうなんだよね……。


 そして更にその向こう。

 ミントと母さんが、妖精さんたちと戯れていた。


 どうやら草笛をこしらえているようで、時折、ぴゅう……と、軽やかで甲高い音がこっちに響いてくる。僕も試しに頭の横に生えた牧草の葉を引っこ抜き、適当に折って咥えてみた。


 ひゅー、と、吐息だけが漏れた。


「だめかあ」

「わふっ?」

「なんでもないよ……そもそもやり方がよくわかんないんだよなあ」


 母さんは作り方を知ってるようだ。父さんに教わったのかな。父さんは田舎育ちだったそうだし、きっとできただろう。僕も、教わっておけばよかったかもしれない。


「あとで母さんに聞いてみよ」

「くぅー……」


 ミントと母さん、その周囲をふわふわする五体の妖精たちをぼんやりと眺めながら僕は——数日前にした、ジ・リズたちとの会話を思い出していた。



※※※



「なるほどなあ」


 四季シキさんによって『常若とこわかの城』へ招待され、彼らの過去を聞かされた次の日。

 僕らはジ・リズに家まで来てもらい、二千年前に起きたことについてなにか知っていないかを尋ねた。


 僕がひと通りの経緯を話し終えると、彼は目を細め、遠くを見遣りながら首を少しだけ傾けた——時の流れに、思いを馳せるように。


わしら竜の寿命が、おそらく千年ほどだ。二千年となると、さすがに当時を知る者もおらんだろうな」

「おそらく、ってどういうこと?」

「かかっ! 千年の間に、己の年齢トシなんぞ忘れちまうからだよ。儂も竜の中では若い方だが、それでも自分の年齢が幾つかと問われると咄嗟とっさには答えにきゅうする」


 三百年くらいは生きてたと思うが、と、悠久の呑気さでジ・リズは笑った。

 そして笑った後、真面目な顔に戻って続ける。


「ただそう言われてみると確かに、思い当たる伝承があるなあ。妖精って単語と結びついておらんかったから、この前は思い出しもせんかったが」

「伝承って、どんな?」


「かつてヒトが世界を壊しかけた、そういう話だ」


「それ、は……」

「具体的なことはなにも伝わっちゃおらん。ただ、ヒトは昔、その欲から禁忌に手を染め、結果として世界が壊れそうになったことがある——とだけ」


「禁忌……つまり、神代かみよの大魔術?」

 母さんがぽつりと小さくつぶやき、


「うむ、おそらくな」

 ジ・リズが頷いた。


「儂ら竜族ドラゴンの間では教訓めいた風に語られている。ヒトはか弱く短い生命いのちを持つが、だからこそ途方もない行いをしでかすことがある。故に長命種たる我らはヒトを見守り、よき隣人として彼らをいましめよ——といった具合にな」


「具体的なことが伝わってないのは、世界が書き換えられたから? 『修正リペイント』のせいで認識そのものが組み変わってるから、記録ももちろんない。だけど竜族ドラゴンの間では『なにかが起きた』っていう記憶だけが残ってて、それが今に伝わってる……」


「その通りだろう。でもって、その『禁忌』……大魔術は、妖精王とやらが使ったものだけじゃないんだろうさ。おそらく二千年より前、代償によって世界を『修正リペイント』する行為が、何度も行われてきた。それで、本当に世界が壊れかけちまってたのかもなあ。……今では、知るよしもないが」


 ジ・リズの推測はほぼ事実なんじゃないかな、と思う。


 バグ技が発見されて、それを利用しまくっていたらデータが吹っ飛びそうになり、慌てて誰かがバグそのものを修正した。結果、代償を用いた大魔術は使えなくなり、世界は壊れずに済んだ。


 ただしバグを修正したことにより、バグ技を利用していた頃のことを誰も思い出せなくなり——少なくともヒトの歴史において、二千年前は先史せんし、つまり文字による記録が残っていない時代となったのだろう。


「ん。……妖精のこととか、エルフの成り立ちとかが竜族ドラゴンにすら伝わってないのも道理」


 カレンが納得したように言う。


「たぶんエルフっていう種族は、なんだと思う。四季シキさんたちが妖精に変わる際、彼らの血族の一部はその大魔術の影響を受けた。『妖精境域あっち』にまでは行かなかったけど、耳が尖ったり、魔力の循環機能に秀でた身体になったり……そういうを付与されて、別の種族に変わってしまった」


「そして儂らもまた世界の『修正リペイント』を受け、新しく出現したエルフという種族を、先史以前からいる存在だと誤認した、という訳か。一方で『妖精』という存在は……あくまでヒトに伝わる民俗フォークロアとしてのみ『修正リペイント』され、竜族儂らの頭の中までは書き換えなかった」


 説得力がある。

 ただ僕が気になるのはやはり、カレンのことだ。


「なるほどなあ。……大丈夫? 思いもよらないところで自分のルーツが判明しちゃった感じだけど」

「ん、ありがとう」


 カレンは僕の懸念に微笑み、そっと手を握ってきた。


「むしろ興味深かった。エルフ、ドワーフ、獣人……ヒトの亜種と呼ばれる私たちが、いったい歴史のいつ、どこでヒトから枝分かれしたのかは、今でも議論が続いてる。エルフに関してだけだけど、こっそり真実を知ることができて得した気分」


 幸いなことにその表情には、憂愁ゆうしゅう懊悩おうのうなど、ネガティブな色はなく——少し悪戯っぽい、いつものカレンらしい微笑みがあるのみだった。



※※※



 そして、あれから三日。

 僕は牧草に寝転がり初秋の日差しを受けながら、妖精たちについて考える。


 カレンでも、母さんでもなく、僕が——僕だからこそ考えなきゃいけないことがあった。


 彼らの過去、身に降りかかった不幸についてではない。

 不幸に相対して取った選択と、その結末についてでもない。

 今、彼らがどんなふうに生きていて、どんなふうに暮らしているかというのともまた別の話だ。

 

 もっと別の、根源的な問題があるんだ。

 それは二千年よりも前にさかのぼり、それでいて現在ではなく未来に繋がること——即ち、について。


「僕が動かなきゃ、始まらないんだよな」

「わふっ?」


 全身のバネを使って、寝転がった姿勢からぴょんと立ち上がり。

 ショコラの頬を掴んでうにうにしながら、僕は愛犬に語りかけた。




「とりあえず、まずはシデラに行ってみようか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る